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管理人Alphonseが観た映画の感想を書いているブログ。
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SPECIAL BOX。
第22弾は、「君の名は。」特集です。
テレビ放映されたことで、急遽特集を組むことにしました。
それでは、お楽しみください。
ある朝。宮水三葉は男の子の体と入れ替わった。
文句のつけようがない映画。
というのが何年かに一度登場する。
それは、ある人から観れば退屈極まりないものであったりするけれど、多くの作品を観てきた人にはその作品には文句のつけようがない。
何のことだかよくわからないかもしれない。
そう、それはきっと多くの作品を観ていないとわからないからだ。
「ダンス・ウィズ・ウルブス」という映画がある。
ケビン・コスナーが主演をつとめ、それまで、悪人でしかなかったネイティブアメリカンを描いた作品だ。
三時間近い作品で、多くの作品を観たことのない人が観れば、きっと眠ってしまうような作品だ。
けれど、画面になぜか緊張感がある。何が起こるかわからない期待感がある。
三時間という長丁場、眠たくなると何かが起こる。結局最後まで観てしまう。
本作もその時感じた感覚と似たような感じの作品だった。
観客動員だとか、テレビでいう視聴率とか、とやかくいわれるのは、観ている人が作品に飽きてしまうからだ。
テレビなどはその好例で、視聴者が飽きてしまえばすぐにチャンネルを替えられてしまう。
そうならないようにあの手、この手と作り手は繰り出してくる。
それぐらい何時間も銀幕に観客を釘付けにしておくことは難しい。
それをケビン・コスナーは初監督作品でやってのけ、結局アカデミー賞を受賞してしまった。
それと同じぐらい、本作は文句のつけようがない。
誤解して欲しくないのは、絶賛しているのではないということだ。
アラ探しをしてもアラが見つからない作品というだけだ。
隙がないといってもいい。
それぐらい、本作はマイナス点がない。
大したアクションもなく、何かの目標や目的にがんばるでもない。
男女が入れ替わったという不思議な体験を通じて描かれる、十代の何気ない日常だ。
この何気ない日常をドラマにするのが、実は一番難しい。
魔法使いや、ヒーローや、巨大ロボットや、怪獣や、爆発を出せばいくらでも客寄せパンダにすることができる。
けれど、敢えてそれをせず、バイトに明け暮れ、先輩に恋心をよせる男子と、都会に憧れ伝統文化を継承して過ごす女子の日常が淡々と描かれている。
もちろん、否定的な見方もできる。
本作が公開される前に「シン・ゴジラ」が公開されている。
「シン・ゴジラ」の監督は「エヴァンゲリオン」の監督だ。
「シン・ゴジラ」の観客の中にはアニメファンが多くいたことだろう。
その観客は「シン・ゴジラ」が始まる前に当然、本作の予告編を観たはずだ。
その時、面白そうだと感じた観客が本作を観、ネットで人気に火がつき、あっという間にヒット作になってしまった。
と考えられなくもない。
実はこういう例は本作がはじめてではない。
奇しくも男女が入れ替わる作品として有名な「転校生」の予告編は、「機動戦士ガンダムIII―めぐりあい宇宙(そら)編―」で流されていた。
また、「スピード2」「ロスト・ワールド ジュラシック・パーク」の公開は夏だったが、その年の暮れ大ヒットする「タイタニック」の予告編がすでに流されていた。
つまり、「転校生」は「ガンダム」が呼び水となり、「タイタニック」は「スピード2」「ロスト・ワールド ジュラシック・パーク」が呼び水となり、「君の名は。」は「シン・ゴジラ」が呼び水となったといえなくもない。
さらに言えば新海誠版「時をかける少女」といえなくもない。
ここでいう「時をかける少女」とは大林監督のものではなく、細田守監督の「時をかける少女」だ。
細田守監督が「時をかける少女」でヒットメーカーの仲間入りを果たしたので、新海誠監督は大林監督のもう一つの代表作「転校生」で勝負に出たと考えられなくもない。
果たして、一発屋で終わってしまうのか、新たな日本のアニメの時流を作る映像作家となってゆくのか、今後が楽しみな監督の誕生である。
TV放映で通算3回目の視聴時に感じたことを書いておく。この作品。実はオープニングが2回ある。1回目は開始すぐに流される映像。2回目は、瀧と三葉が入れ替わっている事が判明し、「前前前世」が流れるタイミング。
TVアニメは昔からオープニング映像に優れた作画が多い。その優れた作画を本作では2回披露しているのだ。そうすることで観客のテンションを上げている。元々地味な内容であるため、なんとか観客に興味をもってもらうための苦肉の策なのだろう。
3回目という事もあって大筋が理解できてくると、本作がいかに複雑な時間軸の中で話が進んでいるかが、よくわかる。
この時間軸のトリックが解明されてから本作を観ると、二人は入れ替わりが起きる事を予め知っているように思える。それなのに作中では大騒ぎをしている。
また二人の時間軸が異なっている事に、時計機能(この時計機能は時分だけでなく年も含む。)のついているスマホでやり取りをしているにも関わらず、完全にスルーしている。という矛盾に気づいてしまう。
しかしこの矛盾を1回鑑賞しただけで理解するのは大変だろう。この矛盾を確認するため多くの観客が劇場に足を運んだのではないか。などと思ってしまった。
恋愛映画は毎年何本も制作される。
その内の何本かが、その時代を象徴する恋愛映画になる。
それは、「ウエストサイド物語」であったり、「ロミオとジュリエット」であったり、「ゴースト ニューヨークの幻」であったり、「美女と野獣」であったり、「タイタニック」であったりと、枚挙にいとまがない。
本作は2010年代を代表する恋愛映画になった。
ここでは恋愛映画としてこの作品を観てみようと思う。
「転校生」では二人が秘密を共有したために恋愛感情が芽生えたが、ラスト二人は離れ離れになって終わる。
大林監督だか、映画評論家の意見だったかは忘れてしまったが、あのラストの後、二人が出会ったとしても恋愛感情に陥るのだろうか。
恋愛には秘密がつきものなのに、「転校生」の二人は秘密が全くない。
ホクロの位置やら、食べ物の好みやら、何もかも知りすぎている。
そんな二人が果たして出会って恋愛は成就するのか?
別れるか、倦怠期を迎えた夫婦みたいなんじゃないか。
という意見だったと思う。
そういった意見を知ってか知らずか、本作では入れ替わりが終わると相手の名前を忘れてしまう。
まるで、「私の頭の中の消しゴム」みたいだ。
なんとも切ない。
しかも名前を忘れないように書き留めた名前が、実は告白だったなんて、流石に私もこれには感動した。
恋愛物にはいくつかのお約束がある。
定番は「ロミオとジュリエット」のように二人の仲を引き裂く障害が多いほど燃え上がるというもの。
本作では、相手は既にこの世の人ではなく、しかも相手の記憶をなくしてしまうという障害が付きまとう。
また、恋愛物には二人の絆を象徴するアイテムが登場する。
よく使われるのは指輪だが、他にもプレゼントだったり、写真だったりと様々だ。
本作では、三葉の実家で作っている組み紐が象徴的なアイテムとして登場する。
ちなみに中島みゆきの「糸」が流行ったのがこの作品のおかげかどうかは知らない。
さらに、キスシーンがあるはずなのだが、なぜか、新海監督はキスシーンを出さない。
本作で間接キスがあったぐらいだ。
隕石落下の後、事態が収拾して、時は流れてから、これまでの記憶をなくすことと、組み紐という伏線が効いてくる。
知り合いもいないはずなのに、なぜか飛騨のことが気になり、組み紐に目を止め歩道橋で足を止める瀧。
新海監督はベタ過ぎると思ったのか、すれ違いになって再会できない二人。
大林版「時をかける少女」のラストみたいだ。
どうなることかとヤキモキさせて、電車のすれ違いで再会する二人。
アニメ史上に残る名シーンだ。
そして、ラストは階段で再会する二人。
「転校生」のオマージュといわずして何といおう。
記憶をなくしてしまった二人から出てくる最後の台詞は
「君の名前は。」