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AlphonseのCINEMA BOX

管理人Alphonseが観た映画の感想を書いているブログ。


ゴジラ-1.0特集


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■編集後記

あー、また、えらい長い特集になってしもうた。。。
今回は東宝、東映、円谷以外で特殊効果を手がけているのが、山崎監督以外いないのか?
案外山崎監督作品を数多く観ていることに気づきました。
そのため少し山崎監督作品特集のような感じになってしまいました。

アカデミー賞を受賞したことで、今後はオファー殺到でしょう。
日本映画よりも、アメリカに渡ってハリウッドの特撮ばかり手がけるようになるかもしれません。

それも何か違うなぁ。とは思いますが、それを決めるのは山崎監督なので、他人の私がとやかく言うことではないと思います。
果たして、次回作はどんな作品になるのやら。否が応にも期待が高まってしまいますね。


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ゴジラ-1.0特集


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■編外余禄

ここでは思いつくまま書いていこうと思います。

朝ドラ主演の二人。

本作が公開された頃、朝ドラ「らんまん」は放送終了していましたが、朝ドラの影響はかなりあったのではないかと思います。
敷島と典子が朝ドラの人物と重なった人がいたかもしれません。
私は公開から半年も過ぎ、違う朝ドラも放送されていたため、朝ドラの影響を左程感じることなく観ることができました。

アカデミー賞受賞作。

アカデミー賞受賞がなければ、それほど騒ぐ事はなかった作品かもしれません。
私も含めてCGを駆使したり、ミニチュア模型を使って映像を作る人はごくわずかでしょう。
ですから本作の特撮がどれほどすごくて、どれほど大変なのかを、経験から説明できる人はごくわずかなのです。

しかもアニメ作品ほど特撮作品は日本で公開されていません。ゴジラ、ウルトラマン、仮面ライダー、戦隊ヒーローの4作品ぐらいでしょう。

ウルトラマン、仮面ライダーが生まれた頃はTVでも特撮ヒーローものが数多く放送され、ゴジラ映画も毎年のように公開されていましたから、特撮に対して受け手は目が肥えていました。

ですが今はそんな事もありませんから、少しぐらいよくできたCGでも、
「すごい。」
「すばらしい。」
なんて事になります。

そこへアカデミー賞受賞という肩書きがついてしまったから、誰も彼も「すごい。」と言ってしまう。
かく言う私もアカデミー賞受賞作ということがなければ、映画館に足を運ぶこともなく、今回の特集もなかったわけなのですが。
ちょっとそういう所は自分でも「嫌だなぁ。」と思ったりします。

純粋な特撮映画。

そんな特撮映画は「スターウォーズ」で、すっかりハリウッドのものになってしまいました。
「スターウォーズ」以降しばらくSFブームが続きますが、フルCGアニメが登場するに至って、特撮とフルCGアニメの境は曖昧になっていきます。

フルCGアニメは登場人物にデフォルメを効かせているだけです。
街並み、森の木々、水面、光のエフェクトなどは、すべて実写さながらです。
敢えてCGとわかるように、質感を落としてCG化しているのではないか。
と思われるぐらいよくできています。

というのも実写作品でも一部はCGを使って処理をしているからです。演者に危険が伴うアクションシーンなどは特にそうです。
そのようなシーンはもうCGか本当のスタントか、製作秘話を覗かない限り、判別できないくらいになりました。

こうして純粋に特撮映画というものはなくなってしまいました。

そんな中での本作。アカデミー賞受賞ということもあって、才気溢れる若きクリエーター達が日本の特撮映画界を盛り上がてくれることを祈るばかりです。

泣けるゴジラ。

公開直後から一部でささやかれていた「泣けるゴジラ」。
その声に私は期待しすぎました。ウルっとするシーンはありましたが、「泣ける」という程ではなかったです。
「三丁目の夕日」も感動作のように言われる事がありますが、「三丁目の夕日」と同じ感じでした。

山崎監督はよくも悪くも昭和レトロなのです。
昭和のTVドラマや映画で使われた泣ける演出を、令和になってもやります。
私的には、それが通用したのは2010年代ぐらいまで。

昭和の終わり頃になると、感動的なシーンに大音響を流し、いかにもお涙頂戴的な感じの演出はなくなっていき、泣けるシーンがあってもほんの数秒。
泣いて落ち込んでいた主人公は、次のシーンでは何事もなかったようになります。「トップガン」などその典型です。

浪花節か、演歌のようなウェットな世界観は姿を消し、とにかく非日常な出来事を並べ、インパクト重視で物語を作っていきます。「スーパードライ」なんて商品に人気が出たのもこの頃です。

その反動で人気が出たのが、「冬のソナタ」。とにかく人物の感情重視。スローな展開と、静かな楽曲で、感情の機微をなでてきます。

それはただレトロなだけではありません。
今では韓国ドラマでお約束になってしまった交通事故や、瓜二つの登場人物。
しかし冬ソナの頃は、まだパターン化していませんから(※1)、主人公の恋人が交通事故で亡くなり、その後恋人と瓜二つの人物が主人公の前に現れる。
なんて展開は衝撃的だった筈です。

※1)韓国ドラマに冬ソナ以前からハマっていた人は、既にパターン化していたと気がついていたかもしれません。そのあたり私は韓国ドラマに詳しくないのでわかりません。

「三丁目の夕日」に人気が出たのは冬ソナ効果ではないかと思ってしまいます。
冬ソナにハマっても「三丁目の夕日」に感動できないのは、昭和30年代を懐かしむ経験を私がしていないためもありますが、ストーリー展開が昭和のままなので先が予測できてしまうのです。
本作でもそれは同じです。

敷島が特攻するような事をほのめかしても、パラシュートで脱出するのが出撃前の橘とのシーンですぐにわかってしまいます。
そうなると、典子だけ亡くなってしまうのは、ハッピーエンドを良しとする昨今の風潮に合わないから、
「典子はどこがで生きているんだろうなぁ。」
なんて予測が立ってしまいます。
案の定、敷島の留守を預かる太田のもとへ電報が。文面を読まずとも、「ノリコ、ブジ」ぐらい書いてありそうな事は見当がついてしまう。
そんな事もあって今一つ感動できないのでした。

同じ山崎監督の「STAND BY ME ドラえもん」の方がよほど感動的です。アンビバレントなラストエピソードなど秀逸です。ですがこれは藤子・F・不二雄氏のアイデアなので、山崎監督の手柄というわけではありません。

受け手重視の作劇。

敷島は特攻で亡くなり、典子も亡くなって、幾多の犠牲の上にゴジラを倒すことができた。なんてストーリーも可能です。
ですがラスト、ゴジラは復活(※2)してしまいます。
これではあんまりです。敷島、典子は可哀そうすぎます。
それに「生きる」ことを重視する本作のメッセージとも反してしまいます。
「さらば宇宙戦艦ヤマト」のような展開ではなく、「SPACE BATTLESHIP ヤマト」のようでなくてはならないのです。

※2)これは本作の公開の翌年「ゴジラ キングコング」があるためで、本作で跡形もなく倒してしまうとマズイ。という大人の事情があるからなのでしょう。

また敷島と橘のシーンや電報のシーンをカットすることも可能なのですが、「ご都合主義だ。」「とってつけた結末だ。」と騒ぐ輩が出てくる事を嫌ったのかもしれません。
あるいは、昭和レトロの影響がモロに出ているとも考えられます。

というのも昭和に製作された時代劇や刑事ドラマは、事件の全貌が受け手に全てお見通しでした。
誰が悪役で、誰が犯人か、ドラマの序盤ですぐにわかってしまいます。知らぬは主役とその周囲の人々のみ。
そして悪役が倒されたり、逮捕されたりすると、受け手は「ざまーみろ。」と拍手喝采。日頃のストレスをそれで発散していました。

それぐらい受け手重視で物語がつくられていました。
これは1話完結形式が主流で、最後に衝撃の結末。という複雑な展開が作れなかったからです。

これが平成になると、誰か犯人か最後までわからず、敵が味方に。味方が敵に。人物相関図も複雑になり、受け手を放置し、作中の人物だけが理解できるような作り手重視の作品が増えていきます。
「エヴァンゲリオン」などその典型です。

昭和レトロ大好きな山崎監督は、当然受け手重視で全て公開します。そして昭和なら最後死んでしまう登場人物たちを生還させます。昭和レトロはあくまで昭和風なだけであって、そこは平成、令和のコーティングがちゃんとされているのです。

このあたりは昭和のTVドラマや映画がそのまま放送、上映できないのと同じ。何かと大人の事情が関わってくるからなのでしょう。

悪役ゴジラ。

今回のゴジラは「シン・ゴジラ」同様悪役でした。1954年版も悪役でしたが、なぜかゴジラの最後は可哀そうになった記憶があります。
ハリウッド版でゴジラは悪役。感情など持たない絶対悪のように描かれてしまったからでしょう。
その影響からか今回のゴジラの最後は可哀そうにありません。

1954年版公開時、子供たちから、
「ゴジラがかわいそう。」
という声が多く聞かれたといいます。

それはゴジラが生き物としてしっかり描写されていたからではないかと思います。
攻撃されると痛い。
痛いと言葉には出さずとも、少し辛そうにする。
最後には断末魔の叫びをあげる。
だからこそ、子供たちが「かわいそう。」と感じたのではないかと思います。

本作では最後に頭ごと吹っ飛んでしまうので、断末魔の叫びをあげることもなく、海中に沈んでいくのみ。
しかもすぐに再生してしまうので、可哀そうでもなんでもありません。

何か円谷英二監督がゴジラに託したメッセージを間違えていないだろうか。
と思ってしまうのは私だけでしょうか。

SFブーム再来の予感。

今回映画館に足を運んで気づいた事は、ハリウッドはファンタジー路線からSF路線にシフトしている。
ということです。

そのSFも「時をかける少女」のような日常の延長線上にあるようなものではなく、完全に異世界。別空間のようなSF作品です。

日本では今だにファンタジー路線を踏襲していますが、そろそろSFブームが再来しそうな予感がしています。


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■特撮について

ここでは、アカデミー賞を受賞した特撮について書いていこうと思います。

海上のシーン。

アカデミー賞を受賞した。ということで海上のシーンは注意深く観ていました。
特に気になったのは巨大化したゴジラが敷島達を襲う直前。

深海魚が多く海上に浮かんで不審がる秋津達をよそに、敷島はゴジラが来ると予言します。
その最中海面が大きくうねります。

ここのシーンが見事でした。巨大プールで撮影したかもしれませんが、遠景には水平線があり、そんな風にも思えません。

にもかかわらず、人力では起こせないような大きな波のうねり。
ここが海上のシーンでは一番印象に残っています。

昼間の戦闘。

1954年版は戦車隊との対決や、国会議事堂の破壊は夜だったように思います。
また夜に暴れ回ることで、より不気味さが増します。

本作の「わだつみ作戦」も同様に夜で構わないわけです。
ゴジラとの死闘の末、夜明けとともに勝利の余韻に浸る。
めでたし。めでたし。
平穏な朝が訪れる。というストーリーも可能なわけです。

ですが本作は最初を除いて、全て昼間にゴジラが襲ってきます。
このあたり山崎監督は余程CGに自信があったと思われます。
時間帯が夜ならCGの不備を暗闇でごまかすことが出来るからです。
しかしそうはせず、明るい画面でこれでもかと映像をみせてきました。

大音響。

映像とは違いますが、映画館での鑑賞の特権です。
既に感想でも書きましたが、ゴジラの咆哮が腹に響く。
これにはさすがにやられました。
ウィキペディアによると、わざわざゴジラの咆哮を反響させて録音したそうです。
その甲斐は十分にあったと思います。

伊福部昭氏の楽曲。

「シン・ゴジラ」でも使用された伊福部昭氏の楽曲。
鑑賞後、映画館からの帰り道。つい口ずさんでしまいました。


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■人間ドラマとして

ここでは、主人公敷島をメインとした人間ドラマについて書いていこうと思います。
ここでも作品のストーリーに沿って観ていきましょう。

序盤。ゴジラと初遭遇。

主人公の敷島は特攻隊員の生き残り。死ぬのが怖かった。そんな人物です。
ゴジラ襲来時、怯えて機銃を掃射しなかったため、味方はほぼ全滅。
橘(青木崇高)に叱責される敷島。
これが敷島の十字架(トラウマ)となります。

終戦後、内地に返った敷島。そこで赤ん坊を連れた典子と出会います。そのまま典子は敷島の所に居候。

近所の太田(安藤サクラ)は、赤ん坊が不憫なので、なけなしの白米を敷島達に分け与えます。
また母乳の出ない典子に代わり乳母の役目も担うことになります。

敷島は生活のため機雷除去の仕事に就きます。高収入を得た後は、家を新築、典子達と新生活を始めます。

機雷除去の仲間と語らう中、典子の子供、明子(永谷咲笑)は、空襲でなくなった見知らぬ他人の忘れ形見であったことが語れます。
戦後はこんな事が日常茶飯事だったようです。

典子の実の子供でもなく、まして敷島の子供でもない。
かりそめの家族が過ごす中、仲間たちは典子との結婚を勧めますが、敷島は過去のトラウマでその気になれないでいました。
無理もありません。夜中夢の中でうなされるぐらいですから。

2回目の遭遇。巨大化したゴジラ。

終戦から3年。明子も歩けるぐらいに成長。典子も銀座で働きたいと言い始めます。
そんな最中、敷島はゴジラの足止めに駆り出されます。
前回とは違い、今度は機銃を掃射します。しかし銃では歯が立ちません。
そこで除去した機雷を口の中に入れ、爆発させる事に成功しますが、ゴジラはすぐに自己修復してしまいます。
重巡洋艦が運よく通りかかり無事帰還した敷島。

ゴジラに一矢報いた事で、敷島は少しは気が楽になったのでしょう。
何気ない日常の中で、自分も幸せになってもいいかも。と思い始めるのでした。

3回目の遭遇。銀座上陸。

典子は銀座で働くようになっていたため、ゴジラ上陸の惨劇に遭遇してしまいます。

ゴジラ上陸のラジオニュースを聴いた敷島は銀座に急行。典子と再会。ゴジラの姿に圧倒される二人。戦車隊の攻撃に対抗すべく、放射線流を発するゴジラ。その爆風に巻き込まれる敷島と典子。典子の機転で助かる敷島。しかし典子は。。。

自分も幸せになってもいいかも。と思い始めた矢先の出来事。敷島の感情の揺らぎは察するにあまりあるものがあります。敷島は強運なのか、不運なのかわからなくなってしまいます。

そんな運命に翻弄される敷島は、ゴジラを倒すことで活路を見出そうとするのでした。

「わだつみ作戦」立案。

発案者は野田(吉岡秀隆)。作戦の聴衆は「本当にそれで倒せるのか?」と質問を浴びせます。この質問はある意味メチャクチャリアルで、野田自身も自信がない。本当にこれでゴジラが倒せるのか、何の保証もないわけです。

そんな心もとない作戦に参加を辞退する人も出来てきます。戦時下と違い、これは命令ではありません。あくまでも自由参加なのです。これもリアル。戦争を生き残った云々よりも、一か八かのギャンブルのような作戦に参加する方が余程どうかしています。

それでも「やれるだけのことはやろうじゃないか。」という誰かの声に賛同した者のみで「わだつみ作戦」は開始されます。

そんな折、戦闘機「震電」を修理してゴジラに対抗しようと考えた敷島は、橘にその修理を依頼しようとします。

しかし戦後の混乱期で人探しは難航を極め、すぐに見つかりそうにありません。そこで敷島は、初遭遇時に生き残った人物達に嘘の手紙を出し、橘が無視できない状況を作り出します。
案の定、橘が敷島の前に現れます。
以前同様に叱責する橘でしたが、敷島も典子を失った事で、態度が変わっていました。碇シンジくんさながら、逃げるばかりでなく、ゴジラを倒すことに目標が変わっていたのです。

橘の協力を得て、「震電」は完成。爆弾も搭載しゴジラの口の中を攻撃する。という事になります。
敷島は特攻隊員の生き残りを恥ている所もあり、爆弾がダメなら特攻してでもゴジラを倒す気でいました。

「わだつみ作戦」前夜。

野田はこの作戦に一抹の不安を持っていました。ですから作戦参加者に最後になるかもしれない家族との時間を大切にするよう伝えます。
また秋津も機雷除去で一緒に行動してきた水島(山田裕貴)を作戦には参加させませんでした。
というのも未来を担う若い人材を失いたくなかったからです。
明子と最後の夜を過ごす敷島。

それぞれの想いを胸に夜が明けていきます。

「わだつみ作戦」開始。

作戦途中では応援が駆けつけます。その中に水島の姿がありました。
作戦通りになんとか急浮上させたゴジラですが、ほとんど効果なし。

敷島の震電が放った爆弾は見事ゴジラに命中。同時に震電もゴジラに体当たりし大破してしまいます。

ゴジラの最後と敷島の最後。誰もが固唾を飲んで見守る中、一つの落下傘が上空から落下してきます。

敷島は無事落下傘で脱出していたのでした。

作戦終了後、帰還すると敷島宛てに電報が。死んだと思われていた典子は、病院に収容されて無事でした。

再会を喜ぶ人々。めでたし。めでたし。となるのでありました。


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