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AlphonseのCINEMA BOX

管理人Alphonseが観た映画の感想を書いているブログ。

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八犬伝特集1


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SPECIAL BOX。
第30弾は、「八犬伝」特集です。

八犬伝画像
クリックすると大きな画像が見えます。

ネタバレ満載ですので、ご注意ください。

それでは、お楽しみください。

八犬伝画像
クリックすると大きな画像が見えます。

■作品紹介

◆制作年:2024年◆タイトル:八犬伝
◆監督:曽利文彦◆主演:役所広司、内野聖陽◆助演:土屋太鳳、渡邊圭祐、鈴木仁、板垣李光人、水上恒司、松岡広大、佳久創、藤岡真威人、上杉柊平、栗山千明、磯村勇斗、立川談春、黒木華、寺島しのぶ
◆コメント:正義で何が悪い
俳優、および監督名はインターネット上で調べたものを掲載しています。
主演、助演の区別は独断と偏見で決めさせていただきました。

■あらすじ

八犬伝のあらすじを葛飾北斎に語る曲亭馬琴。

■感想

「ゴジラ-1.0」以来の映画館。久しぶりの大音響に酔いしれた。
面白かった。絶賛。というほどではないけれど、楽しめた。

あえて苦言を呈するなら、最終決戦で、もう少し派手なアクションシーンが見たかった。
昨今の役者に往年の時代劇のようなチャンバラを求めるのは酷かもしれないが、「るろうに剣心」ぐらいのアクションシーンはあってもよかっただろう。

というのも、薬師丸ひろ子、真田広之主演の「里見八犬伝」を観ているからだ。
この「里見八犬伝」に関しては色々書くことがあるのだが、それは別の頁にゆずる。

乗馬シーンはあるし、千葉真一、真田広之、志穂美悦子といった日本のアクション界を牽引したスター総出演だし、監督が深作欣二とくれば、当然だ。当時の映画界で、これ以上何を望む?

余談だが、私は時代物で乗馬シーンがあると、評価が何割か増してしまう。それも演者がちゃんと馬に乗り、疾走するシーンがあるとなおさらだ。逆にカメラワークで乗っているように誤魔化したものは、興ざめしてしまう。ちなみに乗馬シーンの最高傑作はTVドラマ「影の軍団」に出てくる、馬体に隠れて移動し、いきなり現れ攻撃するシーンだ。

そんなこともあって、アクションシーンに関してはマイナス。

全体としては、比較的原作に忠実に映像化されていたものの、渡辺崋山が幕府に逮捕される場面がない。
原作では、反体制派の渡辺崋山が、幕府に逮捕されてしまう。一方馬琴は幕府からの発禁処分をおそれ、政治的な内容を八犬伝に書かなかった。
このあたりも入れて欲しかったのだが、それは時間的に無理だろう。

それから、原作を読まないとわからないが、馬琴の孫は幼くして亡くなってしまう。しかしこれは馬琴の死後のことなので、映像化する必要はないが、原作を読んでいると、なんともやりきれなくなるエピソードなのだ。

逆に原作では簡単に描写されてしまう最終決戦が、しっかり描写されていて好感をもてた。アクションシーンに不満があったのはすでに書いたとおりだが。

村雨をめぐる話、信乃と浜路の恋の行方、特徴ある八犬士たち。馬琴の息子の死、お路の口述筆記などは、原作をすでに読んでいたので、おさらい程度で、それほど驚くことも感動することもなかったが、中盤は少し、ウルっときた。どのシーンというわけではないのだが、個人的な八犬伝に対する懐かしさからかもしれない。

否定的な感想ばかり書いてしまったので、ここからは褒めておく。

八犬伝最大の見せ場である芳流閣での決闘は、小説では得られない映像の面白さが満載。
信乃をとらえるための綱が、見事にワイヤーアクションとして機能していて、物理法則に則った見事なアクション。
瓦が落ちるシーンも詳細に描かれ、見ごたえ充分となっている。

「里見八犬伝」で夏木マリが演じた玉梓を、本作では栗山千明が見事な悪女ぶりを好演。船虫にいたっては、「里見八犬伝」と遜色なく、同一人物が演じているのではないかと思う程の出来である。

ここからは、私の個人的な本作に関する思いを書いておく。

本作は2024年の10月に観たため、公開から1週間も経っていない。
こんなにすぐに映画館に足を運んだのは、公開終了を危惧したからだ。

通常、映画は1か月公開される。しかし不人気で客が来ないとなると、別の作品に差し替えられてしまう。

和製ファンタジーの傑作「八犬伝」の実写化とは言え、時代劇が衰退して久しい昨今、時代劇を映画化して、どれほどの集客が期待できるか疑わしい。まして、馬琴の話がメインになっていれば大ヒットは望めない。

というわけで、急ぎ映画館に足を運んだわけだが、本作に関しては、もうひとつ理由がある。

何年も前に閉鎖したブログで本作の原作、山田風太郎の「八犬伝」のことを書いたからに他ならない。
そのブログの中で「この原作の実のパートを映像化すれば、そこそこ面白いものができるのではないか」
と書いたのだ。

本作の製作者が、そのブログを読んでいてかどうかは不明(実際は、鬼滅の刃人気に便乗した。というのが正解だろう)だが、そんなことを書いた手前、どんな作品に仕上がっているのか気になり、映画館に足を運んだ。というわけだ。まさか、虚のパートまで実写化されるとは思っていなかったけれど。

思えば高校生のときに出会った原作が、数十年経って実写映画化されるという、その感慨に浸っていた。というのが率直な感想だ。

■山田風太郎「八犬伝」について

ここでは、本作の原作、山田風太郎「八犬伝」(朝日文庫版。上下二巻)について書いていこうと思います。

初見は高校生のころですが、当時の感想など記録していないので、以前、再読しブログに載せた感想を書いておきます。
ネタバレしている箇所があります。それでも構わないという方のみ、お読みください。


【あらすじ】

不思議な珠をもつ八人と、悪人との対決を描く。

【感想】

 山田風太郎といえば「魔界転生」「伊賀忍法帖」といった奇想天外な忍法が出てくる作品で有名だが、今回の「八犬伝」は少し違う。

「虚の世界」と「実の世界」が交互に展開する作品なのだ。

 「虚の世界」は題名どおり山田風太郎版「八犬伝」。
 「実の世界」は「八犬伝」の作者である曲亭馬琴(滝沢馬琴)の私生活の話。

 ちなみに「八犬伝」とは曲亭馬琴が江戸時代に書いた伝奇小説の傑作「南総里見八犬伝」のことだ。

 さすがに傑作だけあって「虚の世界」の「八犬伝」の冒頭。
 伏姫が犬の八房の子供を身ごもって珠が四方に散らばるエピソードは群を抜いて面白い。
 人間である伏姫が犬の子供を身ごもるという話が、ファンタジー的でもあり、SF的でもある。読者の心をしっかり掴んで離さない。
 聖母マリアのキリスト受胎の話がかすむぐらい奇想天外に満ちていて強烈なインパクトがある。ある世代にはドラゴンボールが四方に散らばるように見えるかもしれない。
 原文の「南総里見八犬伝」は和漢混淆文なので、現代人には読みにくいのが難点だが、山田風太郎が現代人にも読みやすいように手直ししてくれている。
 「虚の世界」が終わると「実の世界」が始まって馬琴の私生活が描かれる。
 八犬伝に初めて触れる方は「虚の世界」をメインに読み、「実の世界」は八犬伝創作の舞台裏という側面も持っているので、メイキング映像でも楽しむつもりで楽しんで欲しい。
 逆に八犬伝の内容を既に知っている人は「実の世界」だけ読み進めてもいいだろう。
 いずれにしても、最後の章だけは虚実混合になっているため「虚の世界」「実の世界」どちらも読んでおくことが望ましいが、再読であった今回は「実の世界」だけでも十分感動することが出来た。

 それに、作家の日常を描いているとこうなってしまうのか、馬琴がご近所トラブルに巻き込まれるあたりは、「吾輩は猫である」のようにユーモラスで面白い。
 一方ラストが近づくにつれて馬琴の家族に襲いかかかる不幸が切ない。
 そして老化によって八犬伝自体のつじつまがあわなくなってくるという本書の独自解釈が妙に的を射ているように思われる。
 一般に八犬伝は犬士が揃うまでが面白く、全員集合してからは面白くないとされる。
 ワンピースやドラゴンボールを見ればよくわかるだろう。
 主人公の仲間が増えるまでは人気が高く、仲間がある程度増えてしまうと人気が除々になくなってゆくのと同じだ。
 それが、馬琴の老化のせいだったという解釈は妙に説得力がある。
 足掛け二十八年、八犬伝は完成する。そこは感動的ですらある。

 感想はここまでだ。
 夏休みの読書感想文の課題に山田風太郎「八犬伝」がなるかどうかわからないが、くれぐれもコピペで転載しないように。
 といってもする奴はするんだろうが、先生の評価が悪くても責任は取りません。

 読んでいるうち色々書きたいことが出てきてしまった。

【なぜ私が八犬伝にハマッたのかその経緯】

 実は、鎌田敏夫原作、薬師丸ひろ子主演の映画「里見八犬伝」の影響で「八犬伝」を読むようになったのだ。近年ではアニメで読むようになった人がいるかもしれない。

 どうも壮大な伝奇ロマンという感じがしなかった私は本書を読み、それでも物足りなくて高田衛「八犬伝の世界」を読むまでになった。
 さすがに原文まで手を出す気にはなれなかった。現代語訳がなければ読むことは不可能だし、本書には原文は講釈ばかり書いた理屈っぽい話だと書いてあったからだ。
 「八犬伝の世界」を読んでその思いはますます強くなりそれきりになった。

【八犬伝にみる細かすぎる設定の是非】

 本書には馬琴が病的なまでに完璧主義者だったので、四百五十人ぐらいいる登場人物に全てに決着をつけている。とある。
 更に、「八犬伝」は勧善懲悪ものなので、善行をした人には善なる結果が、悪行をした人には悪しき結果が待っている。とある。
 どんな端役の人物でも、名前、出生、生い立ちを描きやっと物語が進んでゆくのだろう。
 当然話は進まない。江戸時代の物語だから今ほどテンポは速くなくてもいいのだが、一時間で決着のついてしまう刑事ドラマを見慣れている現代人からすれば退屈極まりない。
 通行人Aがどこの誰で、どうなったか興味ないだろう。

 今なら、「スターウォーズ」「ガンダム」「エヴァンゲリオン」といった小難しい設定のあるSFの設定を一人の作家が作中で延々書き進めるのと同じだろう。
 「スターウォーズ」は映画だけ観ても理解できるように出来ているが、「ガンダム」「エヴァンゲリオン」は意味不明な単語がどんどん出てくるのでサッパリ意味がわからない。ウィキペディアなどを読むことで何とか理解できる。しかしウィキペディアは複数の人が記述しているのに、馬琴は一人でそれをしかも作中でやろうとしたのだ。

 「八犬伝の世界」を読むとこの細かすぎる設定が用意周到に準備された伏線だったことに気付かされる。
 一方、本書では「考えすぎだ」と一蹴してしまう。
 本書では細かすぎる設定は百害あって一利なしとしているので、八犬士が全員登場した後はダイジェストのような感じで一気に書かれている。
 私も細かすぎる設定は嫌いで、作中で語られていないことをいくら想像力たくましく力説されても辟易する。
 「ガンダム」「エヴァンゲリオン」も同じような所がないだろうか。
 「ガンダム」は作中で説明もされていない兵器の解説がウィキペディアに延々と書かれているし、「エヴァンゲリオン」は独自解釈による解説が至る所にある。
 細かすぎる設定を知的遊戯と呼べなくもないが、私は情報量が膨大なのでその内しんどくなってしまうのだ。

【歴史ものとして作家の日常はありかなしか】

 これは歴史ものとは何ぞやという大命題に取り組むもので、なかなか難しい。
 合戦シーンがあればいいというものでもないだろう。
 一般には史実に忠実なのが歴史小説で、多少の空想が含まれるものを時代小説とか言うようだが、
 「花子とアン」「ゲゲゲの女房」「吾輩は猫である」も事実に基づいているのなら歴史ものといえなくもない。
 「花子とアン」「ゲゲゲの女房」は昭和の話だが、平成生まれからすればすでに歴史の一部だ。
 なにか重厚な感じがするので、歴史ものと呼びたくはないが、本書に限ってはありとしたい。
 「虚の世界」が「八犬伝」という虚構の話のため、より「実の世界」が史実のように思えてくるからだ。
 江戸時代の作家の待遇や幕府への対応なども史実のように思われる。

【この小説は映像化して成立するかいなか】

 この小説がドラマ化されたかどうか知らない。されたとしても観た記憶がない。
 「実の世界」だけならTVドラマや映画でも映像化は可能だと思う。
 特にご近所トラブルを面白おかしく描いて鬼嫁に辟易するダメ亭主として馬琴を描き、お路に日本髪の似合う女優を抜擢し、後半から泣かせる寅さんのような定番の路線で描けばそれなりに面白いものができるのではないだろうか。
 「実の世界」では馬琴が八犬伝を書き始めたのが数え年で四十七歳とあるので、そのくらいの役者はいくらでもいよう。
 ただし、最近はハッピーエンドばかりもてはやされるので、ヒットするかどうかは別問題だ。

 「虚の世界」も一緒に映像化するならアニメ化しかないのではないだろうか?
 八犬伝自体映像化されたものは前述の映画「里見八犬伝」しか知らないが、小説の面白さを的確に映像化した作品というのは観たことがない。

 伏姫から誕生する八つの珠を実写で表現するのはCGで可能だが、下手な特撮でダメな実写物にするよりアニメで緻密に戦闘を描くのがいいと思う。
 こんな事を書いていながら、確かアニメに「伏 鉄砲娘の捕物帳」というのがあったのを思い出した。もしかしたら、すでに八犬士の物語が描かれているかもしれない。
 ただ、伝奇小説をファンタジーと誤解してはいけない。
 伝奇小説は「ハリーポッター」よりも数段エロく、グロいからだ。
 「ハリーポッター」は大人のものであったファンタジーを子供のものに戻した所に意味がある。
 八犬伝も大人向けではなく、子供向けにアレンジすれば今でも十分に鑑賞に耐えうるものになるだろう。江戸川乱歩「少年探偵団」など、子供向けにしたことで成功した例はいくらでもあるのだから。


以上が再読時の感想です。


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ゴジラ-1.0特集3


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■編外余録

ここでは思いつくまま書いていこうと思います。

朝ドラ主演の二人。

本作が公開された頃、朝ドラ「らんまん」は放送終了していましたが、朝ドラの影響はかなりあったのではないかと思います。
敷島と典子が朝ドラの人物と重なった人がいたかもしれません。
私は公開から半年も過ぎ、違う朝ドラも放送されていたため、朝ドラの影響を左程感じることなく観ることができました。

アカデミー賞受賞作。

アカデミー賞受賞がなければ、それほど騒ぐ事はなかった作品かもしれません。
私も含めてCGを駆使したり、ミニチュア模型を使って映像を作る人はごくわずかでしょう。
ですから本作の特撮がどれほどすごくて、どれほど大変なのかを、経験から説明できる人はごくわずかなのです。

しかもアニメ作品ほど特撮作品は日本で公開されていません。ゴジラ、ウルトラマン、仮面ライダー、戦隊ヒーローの4作品ぐらいでしょう。

ウルトラマン、仮面ライダーが生まれた頃はTVでも特撮ヒーローものが数多く放送され、ゴジラ映画も毎年のように公開されていましたから、特撮に対して受け手は目が肥えていました。

ですが今はそんな事もありませんから、少しぐらいよくできたCGでも、
「すごい。」
「すばらしい。」
なんて事になります。

そこへアカデミー賞受賞という肩書きがついてしまったから、誰も彼も「すごい。」と言ってしまう。
かく言う私もアカデミー賞受賞作ということがなければ、映画館に足を運ぶこともなく、今回の特集もなかったわけなのですが。
ちょっとそういう所は自分でも「嫌だなぁ。」と思ったりします。

純粋な特撮映画。

そんな特撮映画は「スターウォーズ」で、すっかりハリウッドのものになってしまいました。
「スターウォーズ」以降しばらくSFブームが続きますが、フルCGアニメが登場するに至って、特撮とフルCGアニメの境は曖昧になっていきます。

フルCGアニメは登場人物にデフォルメを効かせているだけです。
街並み、森の木々、水面、光のエフェクトなどは、すべて実写さながらです。
敢えてCGとわかるように、質感を落としてCG化しているのではないか。
と思われるぐらいよくできています。

というのも実写作品でも一部はCGを使って処理をしているからです。演者に危険が伴うアクションシーンなどは特にそうです。
そのようなシーンはもうCGか本当のスタントか、製作秘話を覗かない限り、判別できないくらいになりました。

こうして純粋に特撮映画というものはなくなってしまいました。

そんな中での本作。アカデミー賞受賞ということもあって、才気溢れる若きクリエーター達が日本の特撮映画界を盛り上がてくれることを祈るばかりです。

泣けるゴジラ。

公開直後から一部でささやかれていた「泣けるゴジラ」。
その声に私は期待しすぎました。ウルっとするシーンはありましたが、「泣ける」という程ではなかったです。
「三丁目の夕日」も感動作のように言われる事がありますが、「三丁目の夕日」と同じ感じでした。

山崎監督はよくも悪くも昭和レトロなのです。
昭和のTVドラマや映画で使われた泣ける演出を、令和になってもやります。
私的には、それが通用したのは2010年代ぐらいまで。

昭和の終わり頃になると、感動的なシーンに大音響を流し、いかにもお涙頂戴的な感じの演出はなくなっていき、泣けるシーンがあってもほんの数秒。
泣いて落ち込んでいた主人公は、次のシーンでは何事もなかったようになります。「トップガン」などその典型です。

浪花節か、演歌のようなウェットな世界観は姿を消し、とにかく非日常な出来事を並べ、インパクト重視で物語を作っていきます。「スーパードライ」なんて商品に人気が出たのもこの頃です。

その反動で人気が出たのが、「冬のソナタ」。とにかく人物の感情重視。スローな展開と、静かな楽曲で、感情の機微をなでてきます。

それはただレトロなだけではありません。
今では韓国ドラマでお約束になってしまった交通事故や、瓜二つの登場人物。
しかし冬ソナの頃は、まだパターン化していませんから(※1)、主人公の恋人が交通事故で亡くなり、その後恋人と瓜二つの人物が主人公の前に現れる。
なんて展開は衝撃的だった筈です。

※1)韓国ドラマに冬ソナ以前からハマっていた人は、既にパターン化していたと気がついていたかもしれません。そのあたり私は韓国ドラマに詳しくないのでわかりません。

「三丁目の夕日」に人気が出たのは冬ソナ効果ではないかと思ってしまいます。
冬ソナにハマっても「三丁目の夕日」に感動できないのは、昭和30年代を懐かしむ経験を私がしていないためもありますが、ストーリー展開が昭和のままなので先が予測できてしまうのです。
本作でもそれは同じです。

敷島が特攻するような事をほのめかしても、パラシュートで脱出するのが出撃前の橘とのシーンですぐにわかってしまいます。
そうなると、典子だけ亡くなってしまうのは、ハッピーエンドを良しとする昨今の風潮に合わないから、
「典子はどこがで生きているんだろうなぁ。」
なんて予測が立ってしまいます。
案の定、敷島の留守を預かる太田のもとへ電報が。文面を読まずとも、「ノリコ、ブジ」ぐらい書いてありそうな事は見当がついてしまう。
そんな事もあって今一つ感動できないのでした。

同じ山崎監督の「STAND BY ME ドラえもん」の方がよほど感動的です。アンビバレントなラストエピソードなど秀逸です。ですがこれは藤子・F・不二雄氏のアイデアなので、山崎監督の手柄というわけではありません。

受け手重視の作劇。

敷島は特攻で亡くなり、典子も亡くなって、幾多の犠牲の上にゴジラを倒すことができた。なんてストーリーも可能です。
ですがラスト、ゴジラは復活(※2)してしまいます。
これではあんまりです。敷島、典子は可哀そうすぎます。
それに「生きる」ことを重視する本作のメッセージとも反してしまいます。
「さらば宇宙戦艦ヤマト」のような展開ではなく、「SPACE BATTLESHIP ヤマト」のようでなくてはならないのです。

※2)これは本作の公開の翌年「ゴジラ キングコング」があるためで、本作で跡形もなく倒してしまうとマズイ。という大人の事情があるからなのでしょう。

また敷島と橘のシーンや電報のシーンをカットすることも可能なのですが、「ご都合主義だ。」「とってつけた結末だ。」と騒ぐ輩が出てくる事を嫌ったのかもしれません。
あるいは、昭和レトロの影響がモロに出ているとも考えられます。

というのも昭和に製作された時代劇や刑事ドラマは、事件の全貌が受け手に全てお見通しでした。
誰が悪役で、誰が犯人か、ドラマの序盤ですぐにわかってしまいます。知らぬは主役とその周囲の人々のみ。
そして悪役が倒されたり、逮捕されたりすると、受け手は「ざまーみろ。」と拍手喝采。日頃のストレスをそれで発散していました。

それぐらい受け手重視で物語がつくられていました。
これは1話完結形式が主流で、最後に衝撃の結末。という複雑な展開が作れなかったからです。

これが平成になると、誰か犯人か最後までわからず、敵が味方に。味方が敵に。人物相関図も複雑になり、受け手を放置し、作中の人物だけが理解できるような作り手重視の作品が増えていきます。
「エヴァンゲリオン」などその典型です。

昭和レトロ大好きな山崎監督は、当然受け手重視で全て公開します。そして昭和なら最後死んでしまう登場人物たちを生還させます。昭和レトロはあくまで昭和風なだけであって、そこは平成、令和のコーティングがちゃんとされているのです。

このあたりは昭和のTVドラマや映画がそのまま放送、上映できないのと同じ。何かと大人の事情が関わってくるからなのでしょう。

悪役ゴジラ。

今回のゴジラは「シン・ゴジラ」同様悪役でした。1954年版も悪役でしたが、なぜかゴジラの最後は可哀そうになった記憶があります。
ハリウッド版でゴジラは悪役。感情など持たない絶対悪のように描かれてしまったからでしょう。
その影響からか今回のゴジラの最後は可哀そうにありません。

1954年版公開時、子供たちから、
「ゴジラがかわいそう。」
という声が多く聞かれたといいます。

それはゴジラが生き物としてしっかり描写されていたからではないかと思います。
攻撃されると痛い。
痛いと言葉には出さずとも、少し辛そうにする。
最後には断末魔の叫びをあげる。
だからこそ、子供たちが「かわいそう。」と感じたのではないかと思います。

本作では最後に頭ごと吹っ飛んでしまうので、断末魔の叫びをあげることもなく、海中に沈んでいくのみ。
しかもすぐに再生してしまうので、可哀そうでもなんでもありません。

何か円谷英二監督がゴジラに託したメッセージを間違えていないだろうか。
と思ってしまうのは私だけでしょうか。

SFブーム再来の予感。

今回映画館に足を運んで気づいた事は、ハリウッドはファンタジー路線からSF路線にシフトしている。
ということです。

そのSFも「時をかける少女」のような日常の延長線上にあるようなものではなく、完全に異世界。別空間のようなSF作品です。

日本では今だにファンタジー路線を踏襲していますが、そろそろSFブームが再来しそうな予感がしています。

■編集後記

あー、また、えらい長い特集になってしもうた。。。
今回は東宝、東映、円谷以外で特殊効果を手がけているのが、山崎監督以外いないのか?
案外山崎監督作品を数多く観ていることに気づきました。
そのため少し山崎監督作品特集のような感じになってしまいました。

アカデミー賞を受賞したことで、今後はオファー殺到でしょう。
日本映画よりも、アメリカに渡ってハリウッドの特撮ばかり手がけるようになるかもしれません。

それも何か違うなぁ。とは思いますが、それを決めるのは山崎監督なので、他人の私がとやかく言うことではないと思います。
果たして、次回作はどんな作品になるのやら。否が応にも期待が高まってしまいますね。

次回作は、またゴジラ映画になるようです。(2025/01/11追記)

■参考にしたサイト

以下のサイトの情報を参考にさせていただきました。

フリー百科事典「ウィキペディア」
映画チラシサイト(画像はここから入手しました。)

ありがとうございました。


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ゴジラ-1.0特集2


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■人間ドラマとして

ここでは、主人公敷島をメインとした人間ドラマについて書いていこうと思います。
ここでも作品のストーリーに沿って観ていきましょう。

序盤。ゴジラと初遭遇。

主人公の敷島は特攻隊員の生き残り。死ぬのが怖かった。そんな人物です。
ゴジラ襲来時、怯えて機銃を掃射しなかったため、味方はほぼ全滅。
橘(青木崇高)に叱責される敷島。
これが敷島の十字架(トラウマ)となります。

終戦後、内地に返った敷島。そこで赤ん坊を連れた典子と出会います。そのまま典子は敷島の所に居候。

近所の太田(安藤サクラ)は、赤ん坊が不憫なので、なけなしの白米を敷島達に分け与えます。
また母乳の出ない典子に代わり乳母の役目も担うことになります。

敷島は生活のため機雷除去の仕事に就きます。高収入を得た後は、家を新築、典子達と新生活を始めます。

機雷除去の仲間と語らう中、典子の子供、明子(永谷咲笑)は、空襲でなくなった見知らぬ他人の忘れ形見であったことが語れます。
戦後はこんな事が日常茶飯事だったようです。

典子の実の子供でもなく、まして敷島の子供でもない。
かりそめの家族が過ごす中、仲間たちは典子との結婚を勧めますが、敷島は過去のトラウマでその気になれないでいました。
無理もありません。夜中夢の中でうなされるぐらいですから。

2回目の遭遇。巨大化したゴジラ。

終戦から3年。明子も歩けるぐらいに成長。典子も銀座で働きたいと言い始めます。
そんな最中、敷島はゴジラの足止めに駆り出されます。
前回とは違い、今度は機銃を掃射します。しかし銃では歯が立ちません。
そこで除去した機雷を口の中に入れ、爆発させる事に成功しますが、ゴジラはすぐに自己修復してしまいます。
重巡洋艦が運よく通りかかり無事帰還した敷島。

ゴジラに一矢報いた事で、敷島は少しは気が楽になったのでしょう。
何気ない日常の中で、自分も幸せになってもいいかも。と思い始めるのでした。

3回目の遭遇。銀座上陸。

典子は銀座で働くようになっていたため、ゴジラ上陸の惨劇に遭遇してしまいます。

ゴジラ上陸のラジオニュースを聴いた敷島は銀座に急行。典子と再会。ゴジラの姿に圧倒される二人。戦車隊の攻撃に対抗すべく、放射線流を発するゴジラ。その爆風に巻き込まれる敷島と典子。典子の機転で助かる敷島。しかし典子は。。。

自分も幸せになってもいいかも。と思い始めた矢先の出来事。敷島の感情の揺らぎは察するにあまりあるものがあります。敷島は強運なのか、不運なのかわからなくなってしまいます。

そんな運命に翻弄される敷島は、ゴジラを倒すことで活路を見出そうとするのでした。

「わだつみ作戦」立案。

発案者は野田(吉岡秀隆)。作戦の聴衆は「本当にそれで倒せるのか?」と質問を浴びせます。この質問はある意味メチャクチャリアルで、野田自身も自信がない。本当にこれでゴジラが倒せるのか、何の保証もないわけです。

そんな心もとない作戦に参加を辞退する人も出来てきます。戦時下と違い、これは命令ではありません。あくまでも自由参加なのです。これもリアル。戦争を生き残った云々よりも、一か八かのギャンブルのような作戦に参加する方が余程どうかしています。

それでも「やれるだけのことはやろうじゃないか。」という誰かの声に賛同した者のみで「わだつみ作戦」は開始されます。

そんな折、戦闘機「震電」を修理してゴジラに対抗しようと考えた敷島は、橘にその修理を依頼しようとします。

しかし戦後の混乱期で人探しは難航を極め、すぐに見つかりそうにありません。そこで敷島は、初遭遇時に生き残った人物達に嘘の手紙を出し、橘が無視できない状況を作り出します。
案の定、橘が敷島の前に現れます。
以前同様に叱責する橘でしたが、敷島も典子を失った事で、態度が変わっていました。碇シンジくんさながら、逃げるばかりでなく、ゴジラを倒すことに目標が変わっていたのです。

橘の協力を得て、「震電」は完成。爆弾も搭載しゴジラの口の中を攻撃する。という事になります。
敷島は特攻隊員の生き残りを恥ている所もあり、爆弾がダメなら特攻してでもゴジラを倒す気でいました。

「わだつみ作戦」前夜。

野田はこの作戦に一抹の不安を持っていました。ですから作戦参加者に最後になるかもしれない家族との時間を大切にするよう伝えます。
また秋津も機雷除去で一緒に行動してきた水島(山田裕貴)を作戦には参加させませんでした。
というのも未来を担う若い人材を失いたくなかったからです。
明子と最後の夜を過ごす敷島。

それぞれの想いを胸に夜が明けていきます。

「わだつみ作戦」開始。

作戦途中では応援が駆けつけます。その中に水島の姿がありました。
作戦通りになんとか急浮上させたゴジラですが、ほとんど効果なし。

敷島の震電が放った爆弾は見事ゴジラに命中。同時に震電もゴジラに体当たりし大破してしまいます。

ゴジラの最後と敷島の最後。誰もが固唾を飲んで見守る中、一つの落下傘が上空から落下してきます。

敷島は無事落下傘で脱出していたのでした。

作戦終了後、帰還すると敷島宛てに電報が。死んだと思われていた典子は、病院に収容されて無事でした。

再会を喜ぶ人々。めでたし。めでたし。となるのでありました。

■特撮について

ここでは、アカデミー賞を受賞した特撮について書いていこうと思います。

海上のシーン。

アカデミー賞を受賞した。ということで海上のシーンは注意深く観ていました。
特に気になったのは巨大化したゴジラが敷島達を襲う直前。

深海魚が多く海上に浮かんで不審がる秋津達をよそに、敷島はゴジラが来ると予言します。
その最中海面が大きくうねります。

ここのシーンが見事でした。巨大プールで撮影したかもしれませんが、遠景には水平線があり、そんな風にも思えません。

にもかかわらず、人力では起こせないような大きな波のうねり。
ここが海上のシーンでは一番印象に残っています。

昼間の戦闘。

1954年版は戦車隊との対決や、国会議事堂の破壊は夜だったように思います。
また夜に暴れ回ることで、より不気味さが増します。

本作の「わだつみ作戦」も同様に夜で構わないわけです。
ゴジラとの死闘の末、夜明けとともに勝利の余韻に浸る。
めでたし。めでたし。
平穏な朝が訪れる。というストーリーも可能なわけです。

ですが本作は最初を除いて、全て昼間にゴジラが襲ってきます。
このあたり山崎監督は余程CGに自信があったと思われます。
時間帯が夜ならCGの不備を暗闇でごまかすことが出来るからです。
しかしそうはせず、明るい画面でこれでもかと映像をみせてきました。

大音響。

映像とは違いますが、映画館での鑑賞の特権です。
既に感想でも書きましたが、ゴジラの咆哮が腹に響く。
これにはさすがにやられました。
ウィキペディアによると、わざわざゴジラの咆哮を反響させて録音したそうです。
その甲斐は十分にあったと思います。

伊福部昭氏の楽曲。

「シン・ゴジラ」でも使用された伊福部昭氏の楽曲。
鑑賞後、映画館からの帰り道。つい口ずさんでしまいました。


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ゴジラ-1.0特集1


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SPECIAL BOX。
第29弾は、「ゴジラ-1.0」特集です。

ゴジラ-1.0画像
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アカデミー賞視覚効果賞を受賞したということで特集することにしました。
ネタバレ満載ですので、ご注意ください。

それでは、お楽しみください。

シン・ゴジラ画像
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■作品紹介

◆制作年:2023年◆タイトル:ゴジラ-1.0
◆監督:山崎貴◆主演:神木隆之介、浜辺美波◆助演:山田裕貴、青木崇高、安藤サクラ、田中美央、佐々木蔵之介、吉岡秀隆
◆コメント:アカデミー賞視覚効果賞受賞。
東宝製作のゴジラシリーズ第30作。
ゴジラ生誕70周年記念作品。
キャッチコピーは「生きて、抗え」。
俳優、および監督名はインターネット上で調べたものを掲載しています。
主演、助演の区別は独断と偏見で決めさせていただきました。

■あらすじ

太平洋戦争後、焦土と化した(ゼロになった)日本に、ゴジラが上陸する(マイナスになる)。

■感想

「君たちはどう生きるか」以来の映画館。久しぶりの大音響に酔いしれた。
ゴジラの咆哮が腹に響く。大音響でこの声を聴くのはいいものだ。

2024年の4月に観たため、公開から半年も経っている。
映画館には私を含めて3人しかおらず、こんな事は「THE NEXT GENERATION パトレイバー 首都決戦」以来。
上映終了後、映画館を貸し切ったような気分に。

「シン・ゴジラ」が公開されてから、左程時間が経っていないため、今度はどんな感じにするのかとおもっていたのだが、全体としてはオーソドックスなゴジラ映画。
ゴジラのシーンと主人公敷島(神木隆之介)のシーン。この2つが描かれていく。いたってシンプルな構成。細かな内容は次頁にゆずる。

「シン・ゴジラ」の反動なのだろう。
登場人物は少なめ。主要7人程度。2時間の映画ではお約束。
泣いたり、怒ったり、感情の揺らぎの激しい主人公。
専門用語を排し、日常会話のみで成立する言い回し。
「シン・ゴジラ」にないものだらけ。

「シン・ゴジラ」が好きになれなかった人は、本作でゴジラを好きになったかもしれません。
それぐらい趣きが違う。

印象に残ったのは、今にもゴジラが放射線流を吐こうとした矢先に攻撃されるシーン。
攻撃のタイミングが抜群で、攻撃された反動でゴジラが少しよろめくのも見事。

それから山崎貴監督のこれまでの作品を彷彿とさせる数々の演出。
「三丁目の夕日」のような懐古趣味満載のレトロな描写。
具体的な例をあげると、
バイクを乗り回す敷島の風貌。
直線を描くために三角定規を組み合わせて使う。
アナログ式の深度計。
など。

特にアナログ式の深度計。は懐かしさ一杯。
本物かどうかわからないが、よく見つけてきた。というか、ここでアナログの深度計を登場させるあたりはさすが。
余談ですが、三角定規を組み合わせて直線を描く。
なんて今の小学生はできるんでしょうか?

「永遠の0」のような戦闘機。
「海賊とよばれた男」のような戦艦。
「寄生獣」のようなゴジラの尻尾。
これまでのノウハウが見事に生かされています。

あとは名言。「戦争を知らないのは幸せなことなんだぞ。」という秋津(佐々木蔵之介)のセリフ。
ウクライナの事やイスラエルの事など、何かと騒がしいご時世によくあったセリフでした。

■特撮怪獣映画として

ここでは、ゴジラメインで書いていこうと思います。
それでは作品のストーリーに沿って観ていきましょう。

初登場。

序盤いきなりゴジラが登場します。猛獣といった趣きで、人間を食い散らかします。しかし、そのサイズはいささか小ぶり。
キリン程度の背丈しかありません。国会議事堂、新宿副都心を破壊出来るサイズではありません。

ここで、なぜゴジラは敷島を襲わなかったのか。なんて野暮な事は言ってはいけません。
そもそもゴジラなんていないんですから。
こういったご都合主義的な展開は、甘んじて受け入れましょう。

終戦から3年。この間にビキニ環礁で核実験が行われ、これが原因でゴジラが巨大化します。

このゴジラが巨大化する理由は、1954年公開の第1作(以下1954年版)で詳しく語られるのですが、本作では核実験があった。という事実のみです。
他の原因かもしれないし、元々ゴジラは強大化する生物で、最初に登場したのは幼生かもしれない。別個体かもしれない。核実験など関係なかったかもしれない。
ゴジラが群れで海中に生息していても不思議ではないわけです。
そもそもゴジラはいないわけで、何もわかっていないのですから。なんとでもなるのです。
ですが、そんな野暮な事は言ってはいけません。
ゴジラ生誕70周年記念作品ですから、ゴジラは核実験の犠牲者でなくてはならないのです。

2回目の登場。巨大化したゴジラ。

機雷の爆発で怪我をしたゴジラですが、すぐに自己修復してしまいます。

自己修復が1954年版にもあったかどうか不明なのですが、その速度が半端ありません。まるで昆虫か小動物なみの速さです。
というのも象のように巨大生物は長生きです。そのため新陳代謝も時間をかけて行います。
生物界において巨大であるという事は、怪我をすること自体が少なく、怪我をしても襲われる心配がないということです。
ですから時間をかけて治癒すればいいのです。ですがこれも野暮。
ここでもなぜ敷島は助かったのか。なんて事は言ってはいけません。

3回目の登場。銀座上陸。

3回目に現れたのは銀座でした。初めてその全貌を現わすゴジラ。

典子(浜辺美波)の乗る電車を口に喰わえるゴジラ。
1954年版を彷彿とさせるシーンですが、私には間抜けに感じました。
典子が電車から脱出するまで、微動だにしません。記念撮影でもしているかのようです。

電車の中で宙ぶらりんになる典子。この特撮は「ロスト・ワールド ジュラシック・パーク」(※1)にもありました。
そのため今一つ盛り上がりに欠けてしまったことは否めません。

※1)「ロスト・ワールド ジュラシック・パーク」では車が崖で宙ぶらりんになります。
この特撮。駐車場に車をクレーンでぶら下げて撮影しているのです。
その中で演者が芝居をしています。
背景はCG合成。映画の中では数十メートルの崖の上ですが、現実には2,3メートルの高さでしょう。
下には安全マットを敷き、演者が怪我をしないよう対策が施されていたはずです。
この特撮を成功させたためか、以降宙ぶらりんになるアクションがハリウッドで散見できるようになります。

その後は尻尾を振り回し、放射能流も吐き、やりたい放題です。

尻尾の速度はまさに凶器。目にも止まらぬ速さで銀座を破壊します。
これだけの速度はCGでなければ、さすがに無理。操演(※2)では撮影した映像を早送りで再生するしかないでしょう。

※2)カメラに映らないような細い糸をゴジラの尻尾に繋げ、糸を使って尻尾を操作すること。

放射線流の発射は背びれが順に青白くなっていきます。これはハリウッド版ゴジラとほぼ同じ。1954版は背びれが発光するだけでしたが、ハリウッド版の方が盛り上がるため、そちらを採用したのでしょう。
違うのは吐き出す直前に、大きくゴジラが息を吸うことです。
観ていて思わず私も息を吸い込んでしまいました。

廃墟と化した銀座には、ゴジラの肉片が落ちており、これが放射能を発生させ復旧作業もままならない。「シン・ゴジラ」にもあった肉片。
「シン・ゴジラ」の頃にはわかりませんでしたが、おそらく核実験によって、ただれたゴジラの皮膚ではないかと思われます。このあたりは反核の象徴ゴジラらしい演出です。

もしかしたら、被ばくしたゴジラは日本に水を飲みに来ているだけかもしれません。原爆投下直後に、被ばく者が水を欲したように。
ですがゴジラの巨体にあう水量と言えば琵琶湖ぐらいしかありません。ゴジラが琵琶湖の位置を正確に知っているとも思えないので、1作目から本作まで、ゴジラは琵琶湖を求めて日本各地に出没していただけかもしれません。
これもゴジラなんていないので、なんとでも言えるのですが、そんな野暮な事は言ってはいけません。

「わだつみ作戦」立案。

そんなゴジラが再上陸してくるという。米軍占領下の日本では米軍がゴジラ退治をするのが筋ですが、ソ連との関係上、米軍が軍事行動を起こすのは何かとまずい。日本政府も米軍のいいなりなので、何もしようとしません。

何もしない米軍、政府に代わり、民間でなんとかゴジラを食い止めようという話になります。「シン・ゴジラ」では、これでもかと政府関係者が登場していましたが、本作は一切出てきません。

民間主導で始めたゴジラ掃討作戦。作戦名は「わだつみ」。ウィキペディアによると「わだつみ」とは海神のことだそうで、ファンタジー風に言えば「ポセイドン作戦」といった所でしょうか。

この「わだつみ作戦」。
私はオキシジェン・デストロイヤーでも出てくるのかと期待したのですが、そうではなく、ゴジラをフロンガスで一気に深海まで沈め、次に一気に浮き輪を使って浮上させる。というもの。
急激な水圧変化でゴジラを圧死、もしくは膨張死させよう。というのです。

そんな折「震電」という大戦末期の戦闘機が見つかります。これを修理してゴジラの口の中に爆弾をお見舞いする。という事になります。
というのも敷島曰く、「機雷も主砲も歯が立たないゴジラ。しかし内部はもろいから有効なはず。」だそうで。
強運敷島。兵器も手にいれ、爆弾までも手に入れ、「震電」に乗り込んで「わだつみ作戦」に参加します。

「わだつみ作戦」開始。

「わだつみ作戦」の当日。予定より早く上陸の気配をみせるゴジラ。急遽作戦開始。

ゴジラの周りをフロンガスで囲むため、2隻の船が周回。交差するシーンは圧巻。「衝撃に備えよ。」なんて「進撃の巨人」さながらです。

敷島はゴジラの上空をハエのごとく旋回する。あまりに小さく速いので、ゴジラも手足が出ない模様。

フロンガスの準備が整い、ゴジラを一気に深海へ。アナログの深度計が、なんともいい味を出して深度を報告してくる。

最深部まで到達した時点で、今度は急浮上。水面近くまで持ち上げます。

しかし何かしらの故障があったのか、途中で止まってしまいます。仕方なく2隻の船でゴジラを急浮上させようとしますが、加重オーバー。とても浮上できそうにありません。

そこへ「わだつみ作戦」の事を聞きつけた船乗り達が駆けつけ、手を貸します。

このあたりが、いかにも日本的。天才(ヒーロー)一人で何もかも解決してしまうハリウッドとは大違い。個より集なのです。

なんとか急浮上させたゴジラですが、ほとんど効果なし。

無理もありません。水上をかなりの速さで泳ぐゴジラ。それなりの水圧には耐えられる筈ですから。身長と対比してもかなりの深度でなければ、なんともない筈なのです。

ゴジラにとって「わだつみ作戦」は単なる水遊び程度の事だったのかもしれません。
ですが、そんな野暮な事は言ってはいけません。この国のお家芸は口封じですから。
結局敷島の震電が放った爆弾が致命傷に。
海中に没していくゴジラ。

しかしゴジラは不死身。深海で再生しているのでありました。


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君たちはどう生きるか特集


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SPECIAL BOX。
第28弾は、「君たちはどう生きるか」特集です。

事実上宮崎駿監督の最後の作品となるであろう、君たちはどう生きるかの特集です。
ネタバレ満載ですので、ご注意ください。

それでは、お楽しみください。

目次

作品紹介&あらすじ
感想
製作環境
編集後記
参考にしたサイト

■作品紹介

◆制作年:2023年◆タイトル:君たちはどう生きるか
◆監督:宮崎駿◆主演:眞人◆助演:青サギ、ヒミ、キリコ、夏子、勝一、ワラワラ、インコ大王、大伯父
◆コメント:一切宣伝を行わなかったジブリ映画。
俳優、および監督名はインターネット上で調べたものを掲載しています。
主演、助演の区別は独断と偏見で決めさせていただきました。

■あらすじ

太平洋戦時下、空襲で死んだ母ヒサコを探し求め、眞人は下の世界に向かう。

■感想

辞める辞めると言いながら新作を発表し続け、辞める辞める詐欺とまで言われた宮崎駿監督。
今回こそは、年齢からしても最後になるであろう。
という思いの元、映画館に足を運ぶことにした。

本作は全く宣伝を行っていない。
その昔「E.T.」が作品情報に箝口令をし、TV放送、ビデオ化も行わない。という触れ込みで公開されたことがある。
映画館でしか「E.T.」を観る事ができない。という制限を観客に課したことが功を奏し、大ヒットを記録した。

それに倣ったわけではないと思うが、インターネットですぐ内容が確認出来てしまう超情報化社会に対するアンチテーゼとも取れる。
近年では、「シン・ゴジラ」、「シン・ウルトラマン」、「シン・仮面ライダー」が情報制限を行っている。

そんな作品を取り巻く状況が賑やかなだけで、作品としては至ってオーソドックス。

「もののけ姫」のアシタカのような少年眞人が、亡き母ヒサコを求めて異世界(おそらく黄泉の国)に迷いこむファンタジー作品。

序盤はここまで丁寧に描かずともいいのでは。と思うほど人物描写を描いている。
服を着替えるシーン。サギの羽を矢にご飯粒を使って取り付けるシーンなど、他のアニメ作品ではカットすることだろう。
何気にご飯粒を糊に使うというのは、今の世代には理解できないのではないか。と余計なことまで思ってしまった。

とにかく序盤はスローな展開でかなり退屈かもしれない。ところが下の世界に眞人が行ってからは一変する。

キャラクターデザインと世界観に宮崎監督の才気が溢れ、異世界を彩る。
あまりの異世界ぶりに、「そういえば宮崎監督の作品は、はじめ人気なかったんだよな。」と今更のように思い出す。

人気の出ないYouTuberが迷惑YouTuberになってしまうがごとく、常人には理解できないことを始めるのだ。

宮崎監督に限って言えば、飛行船のデザインなどはその典型で、航空力学を完全に無視したデザインが空を飛んだりする。色使いも独特で、いかにもアート。といった感じに仕上がっている。

あまりに強烈な個性なので、常人には理解できず、人気が出ない。
「ナウシカ」の王蟲もその類。あれは「ゴキブリを愛でる女の子の話」。そんな作品、人気が出るはずもないのだ。
王蟲はダイオウグソクムシがモデル。などという聞いたことも見たこともない名前で説明されてもピンとこない。初見時にはどうみてもゴキブリだろう。

そんな宮崎作品に人気が出たのは、日本テレビのおかげ。野球は巨人。の論法と同じ論理で、視聴者を宮崎作品の虜にしてしまったのだ。

そんな事を思いながら、不思議な異世界で物語は進行していく。随所に登場する演出は過去の宮崎監督のそれ。これがつまらないという人もいるが、それは宮崎作品を数多く観てきた証でもある。その記憶を抹消して本作を観ることなど不可能なので、これらの批判は軽く受け流すに限る。
観ように依ってはファンサービス満載の作品ともいえるだろう。

本作ではやたらと集団のアニメーションが多かった。フナ、カエル、インコ、ペリカンといった群れが襲ってくるシーンが多数存在する。私的にはカエルのシーンが気味悪かったが。
このあたりは、昔ながらのアニメーター。数多く動かすことが凄い。という感覚があるのだろう。
あるいは「密を避ける。」とコロナ禍で嫌というほど耳にしたことへの反動かもしれない。

また水の描写は手書きっぽい感じだったが、火の描写はCGのそれ。そのあたりは「ハウル」とは違っていたように思う。

途中にはワラワラが登場。こういうのを描かせると宮崎監督の右に出るものはいない。ワラワラで癒された人も多いことだろう。

これまでの宮崎作品と違うのは、宮崎監督が仕上がった作画1枚1枚に手を加えていないこと。そのため夏子の顔が大人びて宮崎作品らしくないワンカットがあったりする。

また異世界がかなり弱肉強食な世界として描かれている。必要以上に綺麗事を並べ立てたりしていない。
生きていくには食べなければならない。そのために殺生も厭わない。その代わり食事のシーンは過去の宮崎作品同様、実に旨そうに描かれている。

さらに社会に対するタイムリーなメッセージが入っていない。製作期間が長すぎたためだと思われる。代わりに世界は微妙なバランスで出来ており、些細な事でもそのバランスは崩れてしまう。という警告が込められている。

他にも色々とアニメ評論家や学者めいた輩が本作を深読みしているが、そんな小難しい事は、「千と千尋の神隠し」にでも任せておけばよろし。他人の褌で相撲を取る輩が、作者の意図とは無関係な水増し記事を量産しているのに過ぎないのだから。

作品自体はこれまでの宮崎作品と大差ないのだが、エンディングを観て驚くことになる。それは別の頁に書くとしよう。

私的には、ラピュタのような橋の崩落シーンと、水をいかにも旨そうに飲む眞人のシーン。またエンディングを観ながら、これで最後なんだろうなぁ。と感慨に耽っていたことが印象的でした。

■製作環境

本作は作品を取り巻く状況がこれまでとは違って賑やかだ。

豪華な声優、スタッフ。

情報制限を行って公開した手前、声優の声が誰だか気になって仕方ない。木村佳乃と木村拓哉は観ている内に判ったが、後はハズレてばかり。

そしてエンディングで作画監督が本田雄。作画の下請けとして「スタジオカラー」「プロダクションI.G」「ufotable」の3つが並んでいることに驚く。

本田雄はTV版「エヴァンゲリオン」のオープニングを手がけたアニメーター。
下請けの3社については、
「スタジオカラー」は宮崎駿監督と縁のある庵野監督が代表を勤める。「エヴァンゲリオン」の製作会社。
「プロダクションI.G」はこれまた宮崎監督と縁のある押井監督とつながりが深い。「攻殻機動隊」など写実的な描写で有名な製作会社。
「ufotable」は「鬼滅の刃」の製作会社。

さらに制作協力には「スタジオポノック」。ジブリの元社員米林監督の会社。

宮崎監督の最後を飾るにふさわしい製作会社が肩を並べている。

ウィキペディアによれば、日本テレビは本作に関わっていないため、インディーズ映画扱いらしいが、声優陣の顔ぶれ、スタッフの豪華さなどを観ると、とてもインディーズ映画とは思えない。

デビューしたばかりの新人監督が観たら、悔しがる事必至。成金趣味を通り越して、セレブ感丸出しだ。
無名の新人監督にこれだけの声優とスタッフは集められない。

情報制限。

引退宣言を完全に撤回する形での本作。辞める辞める詐欺の手本みたいになっている。
そこで大々的に宣伝して不発に終わっては宮崎監督の名誉に傷がつく。

そこで宣伝をしない事で、不発に終わっても言い訳が出来るようにしたのではないか。
とまで思ってしまう。

一方で大ヒットを宿命づけられた監督が、そういったしがらみなしで、製作したかったのかもしれない。かつてチェッカーズやTHE ALFEEは人気絶頂期に違うバンド名で曲を発表したことがあるが、それと同じような心持ちだったのかもしれない。

プロデューサー鈴木敏夫の手腕。

いずれにせよ、これらの事はおそらくプロデューサーの鈴木敏夫氏の発案だろう。最後になって宮崎監督よりもプロデューサーの鈴木氏に翻弄されるとは、思いもしなかった。

■編集後記

すでに宮崎駿監督作品特集をSPECIAL BOXで行っているため、そちらに追加する形でもよかったのですが、これが本当の最後のような気がしたので、敢えて特集を組む事にしました。

ある意味、宮崎作品は良識の塊。その良識は手塚治虫氏と同じなのですが、それをアニメでしっかりと描いてくれる監督は宮崎監督だけでした。

そんな宮崎監督が引退宣言をして、人気が出たアニメは「進撃の巨人」や「チェンソーマン」といったダークファンタジーばかり。

宮崎作品と同じ土俵で勝負しても勝てないため、手塚作品や宮崎作品と違う趣きのものが人気が出るのは致し方ないとは言え、良識ある作品を観たくなるのも確か。

そんな作品群が観られなくなると思うとさびしい限りです。

■参考にしたサイト

以下のサイトの情報を参考にさせていただきました。

フリー百科事典「ウィキペディア」

ありがとうございました。


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