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AlphonseのCINEMA BOX

管理人Alphonseが観た映画の感想を書いているブログ。

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カメラを止めるな!特集2


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■長回し作品として

本作ではホラー作品を長回しで撮影するという手法をとっています。
ホラー作品自体が緊張感の出やすい作品なので、前半の長回しパートは大正解でした。
あっという間に前半終了したような感じでした。
それはテンポが良かったということではなく、画面に釘付けだったからです。
その長回しパートについては詳しく触れません。
実際に観て楽しんでください。

ここでは、本作のタイトルの由来ともなった30分以上に及ぶ長回しについて色々書いておこうと思います。

長回し作品

長回しとは、1つのシーンを、撮影し続ける映画手法の一つです。
その効果は、キャストもスタッフも失敗が許されないため、画面に緊張感が出る。
と言われています。
長回しがいつから始まったのか、どんな作品があるのかは、ウィキペディアでも調べてください。

長回しと聞いて最初に思い浮かぶのは「セーラー服と機関銃」です。
当時無名だった薬師丸ひろ子の出世作になり、相米慎二監督の代表作ともなりました。

個人的には長回しは観客には気付かれにくい手法だと思っています。
「セーラー服と機関銃」も長回しがあるのを知らないで観たら、どんな感じがしたか定かではありません。
鑑賞前から長回しがあることを知っていたので、
「どこからどこまでがワンカットなのだろう?」
という目線でしか観ていなかったように思います。

「スネーク・アイズ」という作品にも冒頭長回しがあります。
こちらの作品も同様に長回しの長さばかりを気にして観ていました。
確か同じブライアン・デ・パルマ監督の「ミッション:インポッシブル」にも途中長回しがあった筈です。

長回しがあるのを知らないで、鑑賞中に気がついたのは、「THE 有頂天ホテル」ぐらいです。
気付いた時は思わず、
「おぉ!」
と唸ってしまいました。

そのくらい長回しは気付かれにくい演出だと思っています。
無理もありません。
目に映る風景に、カットはかかりません。
まばたきをしても風景のアングルが急に変ったりもしません。
日常と同じように見えてしまうので、気付かれにくいのです。

また、キャストに舞台出身者でもいれば、それほど凄いことではないでしょう。
舞台で数十分ノーカットなど当たり前だからです。

なぜ長回しで撮影されるのか?

それでも長回しが凄いといわれるのは、ノーカットで撮影し失敗が許されない中でキャストとスタッフが真剣勝負をしているからです。
そして、気付かれにくいということはリアルに近い映像が撮れるということでもあります。

「セーラー服と機関銃」の薬師丸ひろ子は、それをやってのけました。
相米慎二監督も何テイク撮ったのか知りませんが、その長回しを成立させました。

「スネーク・アイズ」では、エキストラが大勢入り乱れる中でそれを成立させました。
画面から人が消えたり、入ったり目まぐるしく変ります。
この混雑の中で物語はちゃんと進んで行きます。
この手法は「THE 有頂天ホテル」にも通じるものがあります。

「ミッション:インポッシブル」では事件経過を、ある視点からずっと追いかけるような手法を使っています。
そして、その視点が実はトリックになっているというものでした。
この手法は本作に通じるものがあります。
ある視点から事件を追ってゆき、後にその事件にはちゃんと理由があるというものです。

長回しの是非

長回しも長ければいいというものではありません。
延々と退屈な映像を見せられても飽きてしまいます。
深刻なシーンが続いても息が詰まりそうになります。
(余談ですが、水中を泳いでいるシーンで呼吸を止めてしまい、本当に息が詰まりそうになるのは私だけ?)

長回しも使い方一つで優れた演出にも、冗長さを強調してしまうことにもなるのです。

実写特有の表現長回し

以前、実写映画化特集で、実写には実写にしかできない表現方法があると書きました。
まさにこの長回しはアニメ作品にはできません。
手塚治虫氏は「ジャンピング」で、大友克洋氏は「大砲の街」で長回しに挑戦していますが、結果的にそう見えるだけであって、絵コンテというもので既に完成しています。
「セーラー服と機関銃」のように破片が顔に飛び散るようなハプニングが、アニメ作品には入り込む余地がないのです。

日本映画が、漫画やアニメの実写化作品ばかりになって、飽き飽きしていた観客には新鮮に映ったかもしれません。
それが、本作がここまでヒットした理由の一つかもしれません。

■コメディー作品として

この作品のメインともいえる舞台裏パート。
すでに感想にも書きましたが、「ラヂオの時間」のリメイクです。
本来はこの舞台裏パートを細かく書きたい所なのですが、オチがわかってしまってはつまらないので、あえて書きません。
実際に観て楽しんでください。
そのかわり、コメディー作品について色々書いておこうと思います。

と書いたものの、コメディーを理屈っぽく解説するのは苦手なので、

1度目は悲劇、2度目は喜劇。
悲劇と喜劇は紙一重。
笑いは時に残酷。

とだけ書いておきます。

コメディー作品は映画館で

落語、漫才、コントは、すべて寄席や舞台という大勢の観客の前で披露されます。
映画も同じく、コメディー作品は1人で観るより映画館で観たほうが数段面白くなります。
このあたりはホラー作品と通じるものがあります。

私事で恐縮ですが、井筒和幸監督の「晴れ、ときどき殺人」は爆笑ものでした。
ちょうど上手い具合に笑い上戸のお客さんがいたため、場が暖まったからです。
1人で観ていたら、あんなに楽しい経験はできなかったでしょう。

■編集後記

今回は内容にあまり触れずに特集を組んでみました。
現場の苦労を何も知らず、金儲けのことしか頭にないプロデューサーとその取り巻きとか、自分のことしか考えない役者とか、細かな設定の不備を指摘する役者とか、惰性で仕事を続ける監督とか、細かく書いていけばいくらでも書けるのですが、それはこの作品の面白さを損なうことにしかならないので、詳しく書きませんでした。

どんなB級作品であろうと、作品一つを完成させる大変さ。
エンドクレジットで流れるスタッフの大変さを観れば、それがよくわかる作品です。
そして予算や演者ではなく、映画は脚本なんだと、あらためて実感できる作品でした。

■参考にしたサイト

以下のサイトの情報を参考にさせていただきました。

カメラを止めるな!公式サイト
フリー百科事典「ウィキペディア」
シネマトゥデイ(画像はここから入手しました。)

ありがとうございました。


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カメラを止めるな!特集1


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SPECIAL BOX。
第23弾は、「カメラを止めるな!」特集です。

カメ止め画像
クリックすると大きな画像が見えます。

テレビ放映されたことで、急遽特集を組むことにしました。

それでは、お楽しみください。

■作品紹介

◆制作年:2017年◆タイトル:カメラを止めるな!
◆監督:上田晋一郎◆主演:濱津隆之、真魚◆助演:しゅはまはるみ、長屋和彰、秋山ゆずき
◆コメント:最後まで席を立つな。この映画は二度はじまる。
俳優、および監督名はインターネット上で調べたものを掲載しています。
主演、助演の区別は独断と偏見で決めさせていただきました。

■あらすじ

ゾンビ作品をノーカットでネットで生中継する。というお話。

■感想

いやぁー面白かった。
一本でホラー映画とコメディー映画を楽しめる。
お得感一杯の映画。
ホラー映画としてはB級。
コメディーとしても「ラヂオの時間」の焼き直しでしかなく、B級感は否めない。

しかし、B級とB級を足すのではなく、かけるとA級になる。

というお手本のような映画。
コメディー要素の多い作品なので、細かいことはあえて書きません。
オチがわかってしまうとつまらないだろうから。

あえて書くとホラーパートでは、
3人の会話の途中で変な間が出来る違和感が妙にリアルで新鮮でした。
「家族ゲーム」のようにもみえます。
「ちょっと。ちょっと。」のシーンは、すぐに意味がわかりました。
そして、斧が頭に刺さった女性が立ち上がるシーンは大笑いしました。
ちなみに「One Cut of the Dead」は「ゾンビ」の原題のもじりです。

舞台裏パートでは、
護身術の映像を観ているのが、「お葬式」みたいでした。
伊丹十三監督は「映画は脚本が全てだ。」と言っていましたが、それを思い出さしてくれる作品でした。

とにかく、観て楽しむべし。
そして、鑑賞後すぐに最初から見直すと更におもしろさが倍増する作品です。

カメ止め画像
クリックすると大きな画像が見えます。

■ホラー作品として

序盤のホラー部分は、B級感満載です。
演じる役者は無名な人ばかり。
セリフも棒読み感一杯。
ゾンビが現れる原因もどこかで観たようなものだし、映画同好会か素人が撮影したような感じで始まります。
その後の展開については詳しく触れません。
実際に観て楽しんでください。
そのかわり、ホラー作品について色々書いておこうと思います。

そもそもこの作品。
製作費は300万円です。
なぜホラー作品は低予算で出来るのか?
低予算で作られ大ヒットしたホラー作品「13日の金曜日」を例に挙げて説明してみましょう。

「13日の金曜日」のあらすじ

「13日の金曜日」とは、

忌まわしい伝説のある場所に肝試しとばかりやってきた若者たち。
そこに伝説どおりに現れる殺人鬼。
逃げまどう若者たち。
泣き叫ぶ女性。
果たして最後まで生き残ることが出来るのか?

という作品です。

なぜホラー作品は低予算で出来るのか

今からすればよくある話ですが、低予算だからこその話なのです。
具体的に説明していきましょう。
登場人物が若者ばかりなのは、出演料を抑えるためです。
もちろん、年寄りではすぐに殺人鬼につかまってしまう、という事もあります。

次に伝説どおりに現れる殺人鬼。
格好はどんなものでも構いません。
凶器さえ持っていれば、あっという間に完成、予算はいりません。

逃げまどう若者たちは、セットを組む必要がありません。
撮影許可さえ取れれば、近場の山林を走りまわるだけでよいのです。

泣き叫ぶ女性は、女優さんの演技一つで出来てしまいます。
またホラー作品では、不可欠な要素でもあります。
ドラキュラ、フランケンシュタインなど、往年の名画を観るまでもなく、女性の叫び声は見せ場の一つ。
若い女性が大声を出して叫ぶ事で、観客は何事かと銀幕に注目してくれるからです。

他ジャンルではダメなのか

恋愛映画のように綺麗に着飾る必要がないので、衣装代はかかりません。
逆に逃げまどうため、ボロボロの古着の方がホラー作品には似合うぐらいです。
洒落たカフェで会話なんてことも、彼や彼女の自宅も登場しませんから、セットを組んだり借りたりする必要もありません。
ネオンの夜景も必要ありませんから、各地でロケをする必要もなく、一箇所で撮影し移動の交通費も安く済みます。

アクション映画のようにカーチェイスも必要ないので、車両代もかかりません。
逆に車で逃げてしまうと殺人鬼が追って来れないので、ホラー作品として成立しなくなります。
また得体の知れない殺人鬼が武器や素手で倒れてしまっては、これまたホラー作品として成立しなくなります。
そのため銃も刀も派手な格闘も爆発も必要ありません。

本作ではゾンビ映画でしたが、ゾンビにも衣装代はかかりません。普段着で一向に構わないのです。
ともするとハロウィンの仮装より安く済むかも知れません。

なぜホラー作品で海外の監督はデビューするのか

このように、いかにホラー作品が低予算で製作できるか、おわかりでしょう。
そのため、無名で資金力のない海外の映画監督はホラー作品でデビューしたり、注目を浴びます。
スピルバーグはあおり運転の恐怖を描いた「激突!」でメジャーに。
リドリー・スコットは「エイリアン」でSFに新風を。
サム・ライミは「死霊のはらわた」でスプラッターホラーの旗手へ。
ジェームズ・キャメロンは「殺人魚フライングキラー」という空とぶ魚のホラー作品を手がけています。
海外ではありませんが、大林監督もホラー作品がデビュー作です。

この5名の監督のその後の活躍はここに記すまでもありませんが、ホラー作品には監督として必要な要素が詰まっているため、ホラー作品で注目される監督が有名になるのです。

低予算だけに、役者の演技で観客を圧倒することは出来ません。
観客を圧倒する演技を、役者から引き出さなくてはなりません。

殺人鬼も名演技を期待できませんから、いかに怖くさせるかお化け屋敷の要領でいきなり登場させたり、思わせぶりな演出が必要になります。

逃げ回る場所も本当は、のどかな田園地帯かも知れません。
それをいかにも奥深い山林のようにみせなくてはなりません。

演技指導、演出力、カット割り、照明の当て方、人物をどのように配置し、どんなアングルで撮影するか、そういった映像作品に必要な基本的なことが非常に重要になってきます。
そして、どれだけ画面に緊張感を持たせることが出来るのか、監督の力量が試されます。

また、原作つきの作品では、著作権使用料が発生するため、これまた低予算で出来ません。
そのため、脚本も監督自ら手がけることになります。
話の内容も鑑賞に耐えうるか、そういった事も試されるのです。

なぜホラー作品には続編が多いのか

ドラキュラやフランケンシュタインは言うに及ばず、エクソシスト、オーメン、ジョーズ、13日の金曜日、ゾンビ、エイリアン、エルム街の悪夢、ポルターガイスト、ターミネーター、リング、バイオハザードetc。。。
ホラー作品には続編が目白押しです。
というのも、映画は見世物小屋が進化したものだという説があります。
そのため、見世物小屋のようなエロくて、グロいもの、非日常的なものが映画界で重宝がられたからです。

他にも、映画がいつの間にかデートコースに組み込まれるようになったということも一因です。
いわゆる吊り橋効果というもので、遊園地の絶叫マシンに人気があるのと同じく、ホラー作品を見た後では異性との親密度が変わるからです。

映画会社としても大人2人分の料金で観てもらえるので、通常より倍の観客動員と興行収入が見込めます。
しかも低予算で製作されているので、他ジャンルより利益率が良くなります。
そんな思惑が込められていたのか、

「決して1人では観ないでください。」

というキャッチコピーのホラー作品もありました。

このあたりの経緯は恋愛作品や、子供向け作品が毎年のように公開されるのと同じです。
つまり、1本の作品を1人ではなく、1組の男女、1組の親子で観てもらえるから重宝がられるのです。
ペアの鑑賞券なんてのが、もてはやされるのも同じことです。

しかもホラー作品は映画館で観た方が怖いのです。
テレビだとCMが入るため、多少恐怖感が和らぎます。
レンタルやネット配信も明るい部屋で観ることができます。

ところが、映画館は暗く、猫が飛び出しただけのシーンに、後ろの誰かが驚いたりします。
それが実は一番怖かったりするのです。

誰かが驚くと、館内の雰囲気が恐怖に満ちてきます。
恐怖は伝染するので、映画館の中で誰かが悲鳴をあげようものなら、瞬く間に伝染します。
いわゆるパニック状態です。
中盤ぐらいで悲鳴が上がったりすると、クライマックスの頃には悲鳴の大合唱。
大して怖くもない作品でも、ものすごく怖いものに感じてしまうのです。

こうしてホラー作品は大ヒット。
ヒットに気を良くした映画会社が続編を決定してゆくのです。

なぜホラー作品でデビューした監督は他ジャンルを撮れるのか

日本ではリングのように、一度ヒットするとその続編ばかりを製作してしまいます。
監督の得意分野を、勝手に製作や観客が決めてしまうため、同じようなジャンルばかり手がけるようになります。
監督が映画会社に雇われていたりすると、その傾向はますます顕著になります。

一方、海外では監督自ら製作に乗り出すので、いろんなジャンルを手がけるようになります。
スピルバーグの「E.T.」。
リドリー・スコットの「グラディエーター」。
ジェームズ・キャメロンの「タイタニック」。
サム・ライミの「スパイダーマン」。
これまた海外ではありませんが、大林監督の「転校生」。
どれもホラー作品とは似ても似つかぬ作品ばかりです。

ところがホラー作品も、感動巨編も感情を揺さぶるという点では共通しています。
「E.T.」、「タイタニック」、「転校生」で涙を流すのも、アクション映画を観た後、肩で風を切って歩きたくなるのも、ホラー作品を観た後、暗闇が妙に怖くなるのも、すべては作品を観て、感情を揺さぶられるからです。

そのため、感情を上手く揺さぶれる監督はホラーだろうと、アクションだろうと、恋愛だろうと、いとも簡単に映像化できてしまうのです。
その昔、大林監督が確かこんなことを言っていました。

「映画は所詮、嘘に満ちた世界です。
死んだ人間が生き返ったり、敵の銃弾が一発も当たらなかったり、偶然の出会いが何度も重なったり。。。
ですが、人物の感情に嘘があってはいけません。
人物の感情に嘘があると、すぐに観客はソッポを向いてしまいます。」

主人公の復讐心に共感できなければ「酔拳」は成立しませんし、主人公の正義に共感できなければ「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」や「るろうに剣心」は面白くありません。
男女2人の気持ちに共感できなければ「転校生」も「タイタニック」も「君の名は。」も成立しません。
そして、ダミアン、ジョーズ、ジェイソン、フレディ、ゾンビ、エイリアン、ターミネーター、貞子、アンデッドが怖くなければ、ホラー作品は成立しないのです。

血まみれになればいいのではありません。
外科医が怖く見えるでしょうか?
大怪我をした救急患者が怖く見えるでしょうか?
そこには恐怖がありません。
ホラー作品の殺人鬼は感情を揺さぶる恐怖があるから、怖いのです。

本作で冒頭何十テイクも撮り直し、女優を殴り、男優につかみかかってまで、監督が演技指導していたのはそのためなのです。

たかがホラー、されどホラー。
ホラー作品一本、まともに撮れないような監督では、どんな多額の製作費をつぎ込んでもダメなのです。


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君の名は。特集2


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■SFとして

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男女が入れ替わる話をSFとするか、ファンタジーとするか難しい。
とりあえずSFとして捉え作品を観てみよう。

男女が入れ替わる話といえば、やはり大林監督の「転校生」が有名だ。
尾道を舞台に、男女の体が入れ替わってしまった中学生が折りなす喜悲劇だ。
私はこの作品がいまだに大好きだが、やはり昨今のテンポから考えると眠くなってしまうほどテンポは遅い。
それでも、男子の胸がふくらんだり、女子の股間が大きくなったりするのではなく、心と体がそっくり入れ替わる所がこの作品の醍醐味だ。

ハリウッド映画なら、CGや特殊メイクを駆使して、胸や股間を立体化してしまうところだが、演者にそれを表現させるところが素晴しい。
しかも、前半喜劇で描き、後半悲劇になっていく、「最初笑わせて、後半泣かせる展開」という定番がまたたまらない。
これは、寅さんシリーズと同じだ。
この「転校生」は人気作となり、後に人物が入れ替わる作品という一ジャンルを形成している。

本作も同じような定番展開になるかと思っていたが、「転校生」と違い男女が同じ場所にいない。
しかも物語が進むにつれて、時間軸まで違っていることが判明する。

彗星落下という事件も織り交ぜながら、時間軸を越えるために御神酒を飲んで時間を越えていく。
流石に御神酒を飲んで時間を越えるのをSFとするのは無理があるので、やはりファンタジーとするべきだろう。
その後、瀧と三葉の活躍で三葉は難を逃れ、再会する。
タイムパラドックスが発生しそうなのだが、入れ替わりが夢の中なので、反論しようもない。
SFとして観るよりファンタジーとしてみたほうが理屈抜きで楽しめるというものだ。

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■新海監督作品として

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本作の放映にあわせ過去の新海監督作品を一挙放送してくれたテレビ朝日のおかげで、新海監督の苦労が本作でやっと報われたのがよくわかる。
そこで、過去の作品で何が足りなかったか観ていこう。

「秒速5センチメートル」
やたらと電車と駅が出てくる作品。
背景ばかりに目がいって人物や内容が入ってこない。
絵上手でしょ。絵うまいでしょ。
そんなスタッフの声が聞こえてきそう。
しかも、ハッピーエンドにはならない暗い話。

「星を追う子ども」
新海版「天空の城ラピュタ」。
今回放送された中では最も面白い作品だった。
しかし「天空の城ラピュタ」のリメイクでしかなくオリジナルを越えられなかった。
ラストも喪失感を抱えて生きてゆくのが人間の宿命。
という救いのない終わり方だった。

「言の葉の庭」
短編小説にありそうなお話。
アニメにする意味があったのだろうか。

「雲のむこう、約束の場所」
おそらく、本作に最も近い感じの作品。
しかし、世界系。
一応ハッピーエンドにはなっているが、政治色が出そうで好きになれない。

以上が今回私が観た作品だ。
私は新海監督を本作がヒットするまで知らなかった。
それも無理はなかろうと思われるヒットしなかった理由を書いてみる。

まず、誰もが思うことだが、タイトルで内容が想像できない。
しかも、タイトルが覚えにくい。

次に過剰な背景描写。
「秒速5センチメートル」などがその典型で、電車のホーム、案内板、電車、車内の天井。
と緻密な背景ばかり出てくる。

本屋大賞がすぐに映画化されるのは描写が素晴しいだけではない。
話の内容が面白いからだ。
映画を観るのに背景は添え物でしかない。
これが、CGメインの映画や、大群衆の合戦シーンなら背景も重要だが、背景ばかり出されても辟易してしまう。

市川崑監督の作品には、日本の自然の美が登場するが、あくまで、それは、話と話のつなぎでしかなかった。
ちょっと一息のような感覚だ。
ところが、緻密な背景描写ばかりなので、息が詰まりそうになる。

次にアンハッピーエンド。
ディズニーを筆頭にハッピーエンドばかりなので、そうでないものも観てみたくなるが、やはり暗いだけで終わるのはヒットしづらい。どっちつかずなら、受けるかもしれないが、昨今(2018年)ではアンハッピーエンドは受けにくいだろう。

最後にオリジナリティの欠如。
ヒットを狙いすぎ。
「ラピュタ」マネたり、「エヴァ」マネたり、押井監督マネたり、細田監督マネたり、新人漫画家に編集者が言う台詞じゃないけれど、作者の顔が作品からみえてこない。

本作でやっと背景ではなく、内容で勝負することを覚えたようです。
馬鹿みたいに星空書いてみたり(ラッセンじゃないんだから)、電車オタクかどうか知らないけれど、電車ばっかり出さないで、人物をメインに描くことを覚えたようです。
ハッピーエンドにしていなかったら、ここまでヒットしたか疑わしい。

それでも、これだけ色んなジャンルを描き分けるアニメ監督はそうはいない。
力量はかなりのものがあるはずなのだが、ヒットさせるのは難しいのだろう。

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■編集後記

「シン・ゴジラ」の編集後記に、比較する必要があると書きましたが、どうやら、「シン・ゴジラ」とは逆の映画のようです。
感情を揺さぶる恋愛をメインにしている点や、少しコメディタッチな所など。
「シン・ゴジラ」にないものだらけです。
「シン・ゴジラ」は鑑賞直後に熱が上がりすぐに冷めるような映画でしたが、本作はあとから、じわじわくるタイプの映画のようです。
それだけにリピーターが何度も足を運び大ヒットにつながったのでしょう。

■参考にしたサイト

以下のサイトの情報を参考にさせていただきました。

君の名は。公式サイト
フリー百科事典「ウィキペディア」
シネマトゥデイ(画像はここから入手しました。)

ありがとうございました。


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君の名は。特集1


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SPECIAL BOX。
第22弾は、「君の名は。」特集です。

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テレビ放映されたことで、急遽特集を組むことにしました。

それでは、お楽しみください。

■作品紹介

◆制作年:2016年◆タイトル:君の名は。
◆監督:新海誠◆主演:立花瀧、宮水三葉◆助演:勅使河原克彦、名取早耶香
◆コメント:まだ会ったことのない君を、探している
俳優、および監督名はインターネット上で調べたものを掲載しています。
主演、助演の区別は独断と偏見で決めさせていただきました。

■あらすじ

ある朝。宮水三葉は男の子の体と入れ替わった。

■感想

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文句のつけようがない映画。
というのが何年かに一度登場する。
それは、ある人から観れば退屈極まりないものであったりするけれど、多くの作品を観てきた人にはその作品には文句のつけようがない。

何のことだかよくわからないかもしれない。
そう、それはきっと多くの作品を観ていないとわからないからだ。
「ダンス・ウィズ・ウルブス」という映画がある。
ケビン・コスナーが主演をつとめ、それまで、悪人でしかなかったネイティブアメリカンを描いた作品だ。
三時間近い作品で、多くの作品を観たことのない人が観れば、きっと眠ってしまうような作品だ。
けれど、画面になぜか緊張感がある。何が起こるかわからない期待感がある。
三時間という長丁場、眠たくなると何かが起こる。結局最後まで観てしまう。
本作もその時感じた感覚と似たような感じの作品だった。

観客動員だとか、テレビでいう視聴率とか、とやかくいわれるのは、観ている人が作品に飽きてしまうからだ。
テレビなどはその好例で、視聴者が飽きてしまえばすぐにチャンネルを替えられてしまう。
そうならないようにあの手、この手と作り手は繰り出してくる。
それぐらい何時間も銀幕に観客を釘付けにしておくことは難しい。
それをケビン・コスナーは初監督作品でやってのけ、結局アカデミー賞を受賞してしまった。
それと同じぐらい、本作は文句のつけようがない。

誤解して欲しくないのは、絶賛しているのではないということだ。
アラ探しをしてもアラが見つからない作品というだけだ。
隙がないといってもいい。
それぐらい、本作はマイナス点がない。
大したアクションもなく、何かの目標や目的にがんばるでもない。
男女が入れ替わったという不思議な体験を通じて描かれる、十代の何気ない日常だ。
この何気ない日常をドラマにするのが、実は一番難しい。
魔法使いや、ヒーローや、巨大ロボットや、怪獣や、爆発を出せばいくらでも客寄せパンダにすることができる。
けれど、敢えてそれをせず、バイトに明け暮れ、先輩に恋心をよせる男子と、都会に憧れ伝統文化を継承して過ごす女子の日常が淡々と描かれている。

もちろん、否定的な見方もできる。
本作が公開される前に「シン・ゴジラ」が公開されている。
「シン・ゴジラ」の監督は「エヴァンゲリオン」の監督だ。
「シン・ゴジラ」の観客の中にはアニメファンが多くいたことだろう。
その観客は「シン・ゴジラ」が始まる前に当然、本作の予告編を観たはずだ。
その時、面白そうだと感じた観客が本作を観、ネットで人気に火がつき、あっという間にヒット作になってしまった。
と考えられなくもない。

実はこういう例は本作がはじめてではない。
奇しくも男女が入れ替わる作品として有名な「転校生」の予告編は、「機動戦士ガンダムIII―めぐりあい宇宙(そら)編―」で流されていた。
また、「スピード2」「ロスト・ワールド ジュラシック・パーク」の公開は夏だったが、その年の暮れ大ヒットする「タイタニック」の予告編がすでに流されていた。
つまり、「転校生」は「ガンダム」が呼び水となり、「タイタニック」は「スピード2」「ロスト・ワールド ジュラシック・パーク」が呼び水となり、「君の名は。」は「シン・ゴジラ」が呼び水となったといえなくもない。

さらに言えば新海誠版「時をかける少女」といえなくもない。
ここでいう「時をかける少女」とは大林監督のものではなく、細田守監督の「時をかける少女」だ。
細田守監督が「時をかける少女」でヒットメーカーの仲間入りを果たしたので、新海誠監督は大林監督のもう一つの代表作「転校生」で勝負に出たと考えられなくもない。

果たして、一発屋で終わってしまうのか、新たな日本のアニメの時流を作る映像作家となってゆくのか、今後が楽しみな監督の誕生である。

TV放映鑑賞後の感想(2023/9/21追記)

TV放映で通算3回目の視聴時に感じたことを書いておく。この作品。実はオープニングが2回ある。1回目は開始すぐに流される映像。2回目は、瀧と三葉が入れ替わっている事が判明し、「前前前世」が流れるタイミング。

TVアニメは昔からオープニング映像に優れた作画が多い。その優れた作画を本作では2回披露しているのだ。そうすることで観客のテンションを上げている。元々地味な内容であるため、なんとか観客に興味をもってもらうための苦肉の策なのだろう。

3回目という事もあって大筋が理解できてくると、本作がいかに複雑な時間軸の中で話が進んでいるかが、よくわかる。

この時間軸のトリックが解明されてから本作を観ると、二人は入れ替わりが起きる事を予め知っているように思える。それなのに作中では大騒ぎをしている。

また二人の時間軸が異なっている事に、時計機能(この時計機能は時分だけでなく年も含む。)のついているスマホでやり取りをしているにも関わらず、完全にスルーしている。という矛盾に気づいてしまう。

しかしこの矛盾を1回鑑賞しただけで理解するのは大変だろう。この矛盾を確認するため多くの観客が劇場に足を運んだのではないか。などと思ってしまった。

■恋愛作品として

恋愛映画は毎年何本も制作される。
その内の何本かが、その時代を象徴する恋愛映画になる。
それは、「ウエストサイド物語」であったり、「ロミオとジュリエット」であったり、「ゴースト ニューヨークの幻」であったり、「美女と野獣」であったり、「タイタニック」であったりと、枚挙にいとまがない。
本作は2010年代を代表する恋愛映画になった。
ここでは恋愛映画としてこの作品を観てみようと思う。

「転校生」では二人が秘密を共有したために恋愛感情が芽生えたが、ラスト二人は離れ離れになって終わる。

大林監督だか、映画評論家の意見だったかは忘れてしまったが、あのラストの後、二人が出会ったとしても恋愛感情に陥るのだろうか。
恋愛には秘密がつきものなのに、「転校生」の二人は秘密が全くない。
ホクロの位置やら、食べ物の好みやら、何もかも知りすぎている。
そんな二人が果たして出会って恋愛は成就するのか?
別れるか、倦怠期を迎えた夫婦みたいなんじゃないか。
という意見だったと思う。

そういった意見を知ってか知らずか、本作では入れ替わりが終わると相手の名前を忘れてしまう。
まるで、「私の頭の中の消しゴム」みたいだ。
なんとも切ない。
しかも名前を忘れないように書き留めた名前が、実は告白だったなんて、流石に私もこれには感動した。

恋愛物にはいくつかのお約束がある。
定番は「ロミオとジュリエット」のように二人の仲を引き裂く障害が多いほど燃え上がるというもの。
本作では、相手は既にこの世の人ではなく、しかも相手の記憶をなくしてしまうという障害が付きまとう。

また、恋愛物には二人の絆を象徴するアイテムが登場する。
よく使われるのは指輪だが、他にもプレゼントだったり、写真だったりと様々だ。
本作では、三葉の実家で作っている組み紐が象徴的なアイテムとして登場する。
ちなみに中島みゆきの「糸」が流行ったのがこの作品のおかげかどうかは知らない。

さらに、キスシーンがあるはずなのだが、なぜか、新海監督はキスシーンを出さない。
本作で間接キスがあったぐらいだ。

隕石落下の後、事態が収拾して、時は流れてから、これまでの記憶をなくすことと、組み紐という伏線が効いてくる。

知り合いもいないはずなのに、なぜか飛騨のことが気になり、組み紐に目を止め歩道橋で足を止める瀧。
新海監督はベタ過ぎると思ったのか、すれ違いになって再会できない二人。
大林版「時をかける少女」のラストみたいだ。
どうなることかとヤキモキさせて、電車のすれ違いで再会する二人。
アニメ史上に残る名シーンだ。

そして、ラストは階段で再会する二人。
「転校生」のオマージュといわずして何といおう。
記憶をなくしてしまった二人から出てくる最後の台詞は

「君の名前は。」

君の名は。画像
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シン・ゴジラ特集4


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■編外余録

ここでは、これまでの観点からではなく、一映画作品として書ききれなかったことを思いつくまま書いてみようと思います。

連想作品。

庵野監督の代表作である「エヴァンゲリオン」は、多くのパクリが存在する作品といわれることがあります。
オマージュ、リスペクトと言い方は色々あるにせよ、本作にも他作品の影響が随所に見受けられます。

「エヴァンゲリオン」と1954年版が一番本作に影響を与えているのは間違いないのですが、巨大生物に命名する際、この際名前なんかどうでもいいという意見のある中、総理の「名前はついていることが大切だ」という台詞に「千と千尋の神隠し」を連想してしまいました。

また、「THE NEXT GENERATION パトレイバー 首都決戦」も意識していたのかもと思ってしまいましたが、これは考えすぎでしょう。
東宝の看板スターと大した特撮シーンもなかった作品と比べるのは酷なことです。

他には、「そろそろ好きにされたらいかがでしょう。」
この台詞に象徴されるように、庵野監督は好きにしたのでしょう。
この後、「ヤシオリ作戦」が展開され、「エヴァンゲリオン」の「ヤシマ作戦」と同じようなカット割とBGMで、庵野版ゴジラが展開されていったように思います。

女性の描き方。

「ガメラ3 邪神<イリス>覚醒」にも女性がでてくるのですが、樋口監督のせいなのか、庵野監督のせいなのかはわかりませんが、良くも悪くも女性が非常に個性的です。

「エヴァンゲリオン」では綾波レイがこれまでの女性キャラにはないキャラとして登場し、人気を博しただけに本作でも新たな女性キャラを創造しようとしたように思います。
成果は五分五分。
尾頭(市川実日子)は人気が出たようですが、パタースン(石原さとみ)はコメディエンヌになってしまいました。

ガメラも、本作も黙っていると非常に綺麗な方を抜擢するのですが、いかんせん芝居が。。。
監督の演出がわざとそうなっているのだとしたら、演じた役者さんが非難されるのは気の毒です。

画面構成。

ウィキペディアによるとスタッフリストに画像設計、イメージボード、画コンテと3つの役職があります。
どこがどう違うのかわかりませんが、ワンカットをどのように写すか、人物、ゴジラ、建物、兵器の配置を絵で表現したものではないかと思われます。
本来アニメ監督である庵野監督らしい映画作りですが、どうやら1954年版の頃から行われていたようで、特撮映画では必要な作業なのかも知れません。
その画面構成を「エヴァンゲリオン」のスタッフが大半手がけています。
そのため「エヴァンゲリオン」に似てくるのも無理ありません。

いくつか特徴的な画面構成を挙げてみますと、まず、エレベーター内を魚眼レンズで映したような画面。
これなどは実相寺監督や押井守監督の影響ではないかと勝手に解釈してしまいます。
「エヴァンゲリオン」では長尺で使われました。
大して仲の良くないアスカとレイが初めて二人きりになったシーンの筈です。
何かを言い出したいアスカと素知らぬ感じのレイを長い沈黙で描きます。
アニメーターの手抜きだという人もいますが、初対面でしかも相手のことがわからず二人きりになれば、最初はこんな感じの筈です。
しかもアスカはドイツ育ちなので、愛想笑いもしません。
実に良く出来たワンシーンだと思ったものです。

次に、背景を全面に出し、画面の片隅に人物を配置する画面。
アニメでは、人物を小さく表現することで口の動きを少なくし、作画の手間を省くことが出来ます。
「エヴァンゲリオン」では随所に出てきます。
小休止のような緊張感のないシーンのように見えますが、会話の内容は実に重要なことを話しています。

実はこの画面構成。本作が庵野、樋口コンビの最初ではありません。

平成ガメラシリーズ
帝都物語シリーズ
ローレライ

など、樋口監督作品のスタッフには必ずといっていいほど庵野監督の名前がクレジットされ、庵野監督作品のスタッフには必ずといっていいほど樋口監督の名前がクレジットされています。
ですから、平成ガメラシリーズも、帝都物語シリーズも、ローレライも必ず「エヴァンゲリオン」で観たような画面構成が出てきます。
お暇な方は探してみてください。

正攻法の作劇。

「エヴァンゲリオン」は敢えて肩透かしを食らわし続けた作品でもあります。
特にテレビシリーズは話が盛り上がって来た所でCMをはさみ、CMあけを期待してみると見事に肩透かしを食らわされて、一気にテンションが下がった状態から物語がまたスタートします。
しかも、敢えて盛り上がるであろう所を描きません。
受け手の想像に委ねたりします。
これは作品内の設定に関しても同じで、受け手の想像に委ねます。

観ている方は肩透かしばかりされるので、欲求不満がたまります。
これが、「エヴァンゲリオン」に賛否両論が巻き起こった原因の一つなのですが、肩透かしが見事に出来るということは、逆に言えば急所を見事につくことができるということでもあります。
もっと早く急所を見事についた作品を作っていれば、すぐに人気監督の仲間入りが出来た筈なのですが、なぜかしたがりません。
理由はわかりません。
今回の肩透かしは「まずは君が落ち着け。」
官僚なので冷静であるべきというリアリティを優先したのでしょう。
あるいは、危機対応時の大原則ということかもしれません。
ある意味新しいヒーロー像とも言えます。
感情に左右されることなく冷静に事態に対応します。

本作は1954年版や過去のゴジラシリーズというお手本が一杯あるので、そのお手本通りに進め、受け手の急所と思われる所を描ききりました。
冒頭30分に注力し、1時間経た頃に一度敗北、残りの1時間はただただ戦闘。
最後に紋切り型の結論を語り、ラストに次回作があるかもしれないという伏線を残して終わります。

正攻法で製作して改めてはっきりしたことがあります。
ゴジラがかっこよく見える作品にはなっていますが、泣いたり、笑ったり、怖くなったり、感情を揺さぶられる作品にはなっていませんでした。
頭でっかちになりすぎて、情報の海でおぼれそうになるきらいがあります。

ラストカットについて。

実は私はラストカットの尻尾のアップに、人型らしいものが映っているように見えませんでした。
ウィキペディアの情報やネットの情報で知ったぐらいです。

色々とラストカットについては憶測が飛んでいるようですが、単なる次回作への伏線でしょう。
次回作が製作されれば、その謎もはっきりします。
次回作が作られないで終わってしまった映画は数限りなくあるので、よくある思わせぶりな演出だと、私は思っています。

一時の特撮ブームとして。

1984年に公開された「ゴジラ」も本作のようにリニューアルしたゴジラとして製作されました。
その時の興奮と本作の興奮は少し似ているような感じもします。
1984年版の頃は、1954年版が伝説的存在で、それ以降は正義の味方。
子供の味方としてゴジラは存在していました。
ところが、1984年版で悪役として復活したゴジラは新鮮でした。

本作も前作から12年以上も経ているので、ゴジラを知らない子供達には新鮮に映ったはずです。
しかも、1954年版に近い骨太なストーリー展開であったことに、子供達が成長して再評価する頃、再びゴジラは日本に上陸するかもしれません。

■編集後記

あー、また、えらい長い特集になってしもうた。。。
作品の内容が骨太で、しかも膨大な情報量の設定があるため、それに負けじと長い特集になってしまいました。

書いている内に興奮が冷めてきて、冷静に考えると1954年版と大差なく、それほど大騒ぎするほどの作品ではなかったかもしれません。
しかも同じ年に公開され大ヒットした「君の名は。」と比較してみることも必要でしょう。

■参考にしたサイト

以下のサイトの情報を参考にさせていただきました。

シン・ゴジラ公式サイト
フリー百科事典「ウィキペディア」
シン・ゴジラ/全台詞
シネマトゥデイ(画像はここから入手しました。)
世界地図を作ろう(画像はここから入手しました。)

ありがとうございました。


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