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管理人Alphonseが観た映画の感想を書いているブログ。
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ここでは、SF作品として本作について書いていこうと思います。
ゴジラ登場後、東京が壊滅的被害を受けた際は、1973年公開の「日本沈没」を思い出してしまいました。
「日本沈没」ほどの悲愴感がないのは「巨災対」のメンバーの誰もが一癖もある面子ばかりだからでしょう。
まるで「アルマゲドン」の様でもあるし、「七人のおたく」の様でもあります。
予定調和のような専門家ではなく、突飛な発想を持った人物を配置することで、本来存在しない巨大生物をあたかもとてつもない生命体であるかのように描き出しています。
実際のところは1954年版のリメイクでしかありませんが、庵野、樋口監督コンビとしては、「ガメラ2 レギオン襲来」の再現といえます。
作中ではゴジラの細胞片を解析したデータを分析するだけで、詳細なことは何もわかっておらず、憶測が飛び交っているだけです。
ゴジラといえば放射能という定番の設定も、最初は「巨災対」のメンバーの憶測から始まり、それが、実際のデータとして数値化され確認されただけに過ぎません。
全てが万事この調子で進んでいくので、説得力に欠けるものの非常にテンポがいいです。
小説ならば、学術用語満載になる所ですが、敢えて難しい科学技術用語は避けたように思います。
それでも、会話が早口すぎて何を言っているのかわからないシーンがあったことも確かですが。
そもそもゴジラが出てきた時点でSFとして成立していて、未来予知的なSF作品とは一線を画します。
後はゴジラをいかに科学的に肉付けしていくかがSF的な醍醐味といえます。
海洋巨大生物でありながら上陸とともに急速に進化し陸上生活に適応。
巨体を支えるためのエネルギー源は憶測でしかなかったが核分裂。
解析図を分析することで、細胞膜を通し細胞内の元素を必要な分子に変換してしまう。
つまり、水や空気があればどこでも生きていける生物として結論付けられます。
まるで、植物のような動物。(なんだか「ビオランテ」みたいですなぁ。)
その後の解析から細胞膜の活動を抑制する微生物の分子構造が判明。
2時間で決着をつけなければならない映画にとって、ありがちなご都合主義的な展開。
ゴジラの細胞片と牧教授(岡本喜八)の残した解析図だけで、ゴジラのエネルギー源、生命維持機能、果ては退治方法まで、一気に判明してしまうのですから。出来すぎといえば出来すぎです。
しかも、最後には放射能の無害化が3年程度で終わってしまうなんて。。。
しかし、牧教授はこうなることを予見して行動していた。
というのは「機動警察パトレイバー」の真犯人のようにも思えます。
こうやって文章にしているからツッコミたくなるのですが、観賞中は「巨災対」のメンバーの台詞を追いかけるのに必死。
特に初見ともなればその傾向はますます強くなり、上映時間の関係で会話は早口になり、ツッコミを入れるタイミングがなくなり、観客は思考停止状態に追い込まれます。
元々ゴジラ自体が存在しないのですから、ツッコミを入れること自体、無意味といえるでしょう。
そんな中、秀逸なのはゴジラの解析図の謎を解析していく過程。
「なんでそもそも、データじゃなくて紙なんだ。」という台詞からすぐに私は
「折り紙ではないのか?」
とピンときたのですが、その後の台詞がまたそれを裏付けるかのようにこう続きます。
「なんか、折れ線みたいっすよね。」
折り紙に折れ線という折り繋がり。
他言語でこれをどう翻訳するのか別の興味まで沸いてしまいます。
そして更に念を押すかのように折鶴のワンカット。
解析図が折り紙の展開図のようになっていたのでしょう。
解析図を折ることでゴジラの生態がより鮮明になっていきます。
その後のゴジラ凍結作戦も「ヤシオリ作戦」と命名され、「巨災対」のメンバーが椰子折りしたような折り紙を持っているワンカット。
映像からは折り紙から命名されたように私には見えました。
実はこの「ヤシオリ」。
「ヤマタノオロチを眠らせるために使用したお酒ヤシオリ」が由来。
らしい。
「帝都物語」の頃なら衒学趣味に走って誰かが延々と講釈を述べる所ですが、作中では一切触れていません。
そのため「ヤシオリとは何だろう?」
と興味を持って調べた結果、実はこういう意味があった。
という仕掛けの方がインパクトがあって面白いです。
公開から一年以上経った頃に、この文章を書いているので、
「ヤシオリ」とは「ヤマタノオロチを。。。」が由来。
という情報が先に検索されてしまい、そういった感動は得られませんでした。
これまた、ハリウッド方式を真似て始まった本作でしたが、折り紙という日本的な謎解き方法で謎を解明してみせる。
まさに日本版ゴジラの真骨頂ともいえる展開でした。
本作は1954年版に勝るとも劣らない、多くの社会的メッセージのこもった作品として観ることができます。
その社会的メッセージについて、いくつか書いてみようと思います。
1954年版はビキニ環礁の核実験により第五福竜丸が被バクした事件が社会問題となっていたということもありますが、世界で唯一の被爆国である日本が反核を掲げる意味のメッセージも込められていました。
そして、戦後まもなく公開されたということもあり、ゴジラの襲来に備えて避難する人々の台詞からは、「また疎開。嫌ねぇ。」
なんて言葉も聞こえてきて、当時の大衆の暮らしを垣間見ることが出来ます。
また、映像技術の問題でモノクロ作品として公開されたことと、作品内でゴジラが放射能を撒き散らしたり、核実験の副産物ということも相まって、今観てもゴジラは魑魅魍魎、百鬼夜行の如き怪獣としてみることが出来、核の脅威の象徴であり、核の被害者であり、人類に仇なす恐怖の象徴でありえます。
本作のゴジラも1954年版と導入部においては違いありません。
核の脅威の象徴であり、核の被害者であり、人類に仇なす恐怖の象徴です。
もっとも大きな違いは東日本大震災という天災と、福島原発事故の人災の後に作られた最初のゴジラということです。
後は、東日本大震災と原発事故をどう捉えるかによってこの作品の評価は大きく異なります。
震災はもう既に過去で、無縁の人には、これまでと同様のゴジラ映画に見えるでしょう。
逆に、震災は現在進行形であり、忘れることの出来ない人には、再生への祈りのこもった作品に見えるでしょう。
数多くのSF作品のテーマとして掲げられる人類無能、暴君説。
限りある資源を無尽蔵に浪費する無計画性や、無秩序性。
縄張りを確保するためや一時の感情だけで、同属まで死に追いやる他生物にはない残虐性。
海外のSF小説で手垢が一杯ついているテーマですが、今だにSF作品と名のつく映画作品には、ここぞとばかり語られる念仏のようなお題目です。
私などは食傷気味で「わっ。また出た。」と思ってしまい、同じSF作品でも「時をかける少女」のような作品の方が面白く思えてしまいます。
縦割り行政による縄張り意識や、何をするにしても会議で決定する合議制。
非常にフットワークが悪くなるものの、これが今の日本のシステムなのです。
それが嫌なら独裁者に権力を集中させればよろし。
政党の名前もあくまで「保守第一党」としか字幕では紹介されておらず、やれ「民自党」だのなんだのとありそうな名前にしていません。
政党の名前など似たような名前が一杯あるので、数年後には架空の名前が実在しかねないからでしょう。
「機動警察パトレイバー2 the Movie」では前半延々政治の話をしていて退屈極まりなかったのですが、本作は災害時の政府の対応を観ているようで、こちらの方が数段面白いです。
抗議デモの最中も不眠不休で、にぎり飯とカップラーメンで風呂にも入らず、ゴジラ対応に追われている政府官僚。
アニメ製作現場のような感じがしないでもない。
それはともかく、「AKIRA」のように、私利私欲を肥やすことしか頭にないステレオタイプの政治家ではなく、未曾有の災害に対応する真摯な官僚をヒーローのように描いています。
これまで、日本の映像作品では政治家は悪者でしかなく、政治を語ることはタブー視されてきたような風潮があるのですが、これも2016年という時代の要請なのでしょう。
ここは鋭い所をついています。
東京第一主義。
合議制による意志決定。
米国の属領化。
能力主義よりも年功序列主義。
個性が発揮しづらい閉鎖的な社会。
と前半は日本をやたら悪く描いているのですが、これも作劇方法の一つ。
というより恋愛の定番テクニックですなぁ。
非難ばかりしている人が、たまに褒めるといい人のような印象になり、逆に褒めてばかりいる人が、たまに非難すると悪い人のような印象になる。
所謂「ツンデレ」というやつで、心理学では常識です。
本作では前半に日本を非難していながら、後半は褒めまくります。
要約してもいいのですが、作中の台詞そのままのほうが気持ちが伝わると思うので、そのまま取り上げます。
「この国はまだまだやれる。そう感じるよ。」
「次のリーダーがすぐに決まるのが、この国の長所だということがよく分かった。」
「我が国では人徳による王道を行くべき。」
「日本というものは危機ですら成長する様だな。」
「この国は好かれてるわね、空軍も海兵隊からもサポート志願者が続出よ。」
「諦めず、最後までこの国を見捨てずにやろう。」
「この国には、有能な若い人材が官民に残っている。」
「スクラップアンドビルドで、この国は伸し上がって来た。今度も立ち直れる。」
これを震災の傷を負った人が観て感動しない筈がない。
観客のハートをこれまた鷲づかみにして離さない。実によく出来ています。
1954年版にはなかった、国際社会の中の一員として日本が描かれ、ゴジラに対し日本のみならず多国籍軍が出動する事態にまで発展します。
「エヴァンゲリオン」が世界系(私とあなたの二人だけの世界。転じて狭い世界観だけで描かれる作品のこと。)
という言葉で時に揶揄されるのを知ってか知らずか、アメリカ、中国、ロシア、フランス、ドイツの先進5カ国が登場してきます。
主に登場するのはアメリカで、フランスとドイツが協力的な立場をとっています。
過去のゴジラシリーズにも、米軍や他の先進国が登場していたかもしれませんが、私は全てのゴジラ作品を観ていないのでよくわかりません。
本作では日本とアメリカの関係が皮肉っぽく描かれます。
日本に無理難題を押し付け、自分の都合の悪いことには蓋をする。
また、東洋の辺境の小さな島国としての認識しかない。
これはある意味仕方のないことです。
日本では世界地図の真ん中に日本が描かれますが、アメリカは真ん中に北米大陸が、イギリスは真ん中にグレートブリテン島が描かれます。
日本のことを極東といったり、アラブ諸国を中東といったりするのは、イギリスからみて東の端に日本があり、アラブ諸国が東の真ん中にあるからです。
モルワイデ図法で描かれた地図だと日本は本当に小さな小さな島国になってしまいます。
そういった地図ばかりみていれば、日本を東洋の辺境の小さな島国として認識しても無理はありません。
多国籍軍による核攻撃が決定してからは、流石に重苦しい雰囲気になります。
ハリウッド映画ではゾンビを倒す際など、軍で収拾できない事態に陥った場合には、すぐに核攻撃を決定してしまうのですが。
そこは反核の象徴でもあるゴジラ。
日本政府も、にわかには核攻撃を認めたがりません。
矢口(長谷川博也)や里見総理(平泉成)が尽力します。
庵野監督が自衛隊経験者ということもあるのか、実にリアルに描かれています。
これまでのアニメ映画や、他の戦争映画なら、現場から指揮所までの情報伝達はせいぜい一箇所の中継で終わる所を、上官から現場へ、現場から上官へクドイくらい逐一伝達されていきます。
また、過去のゴジラシリーズや「連合艦隊」などの太平洋戦争を描いた作品の影響だと思われますが、登場する兵器全てに字幕を出しているので非常にわかりやすい演出にもなっています。
例えば、爆弾MOPIIが何であるかすぐにわかります。
しかもアメリカ同時多発テロの際、人命救助に奔走した消防士がヒーロー扱いされたように、本作では自衛隊が日本を守る最後の砦として非常にかっこよく描かれています。
もちろん西郷(ピエール瀧)の台詞に象徴されるように
攻撃だけが華ではありません。
都民350万人の避難誘導していたのは誰か?
避難所で炊き出しを行っていたのは誰か?
一人一人をつぶさには描かないもの、しっかりと映像化されています。
1954年版には戦中の疎開の再来とばかり、嘆く大衆が出てきます。
本作では、怪獣映画のお約束として逃げ惑う群集は登場してきますが、平成ガメラシリーズのように一被害者をメインに物語を作ったりしていません。
名も無い群集として大衆は登場します。
「疎開って何?」と疎開という言葉すら死語になり、ゴジラ上陸時にはスマホ片手に動画を取りまくり、ネットに書き込んで騒ぐ姿が出てきます。
これも2016年という時代を象徴しています。
350万人の避難により、西日本の地価は高騰、日本の株価は暴落。
失業者は街にあふれ、円安が続く。
復興には金がいる。海外からの援助が必要だ。
理想論だけでは復興は出来ない。
お金のことを映画で描くのは無粋として、タブー視される傾向があるにも関わらず、敢えて経済用語も取り入れてリアリティを追求しています。
こうして文章にしてみると、いかにも台詞だけの大惨事のように思えてしまいます。
映像だけでメッセージを伝えてみせた「千と千尋の神隠し」とは大違いです。
東日本大震災の記憶が風化していないからこそ成立した作品ともいえます。
しかし、これだけのメッセージを2時間の映画に集約するには台詞を連呼させるしかないでしょう。
「日本沈没」がテレビドラマになったように、映像も込みで大惨事を描くならテレビドラマにする他ありません。
「巨災対」が設置されてからは特撮怪獣映画として描かれます。
ここでは、ミニチュア、CGといった特撮映像について書いていこうと思います。
以下に色々書いていますが、すべてはこの一言に尽きます。
「ゴジラかっちょえー。」
いかにゴジラを格好良く見せるか。
その一点にのみスタッフが精魂傾けた作品といえます。
それでは、作品のストーリーに沿って観ていきましょう。
最初に登場するのは尻尾。
ウィキペディアによると第1形態から第5形態まであるようですが、初見ではせいぜい2種類の形態しか確認することが出来ません。
コアなファン向けの詳細設定といえるでしょう。
第2形態が河川を遡上する際、河川の船がミニチュア(だと思う)で作られているのですが、「巨神兵東京に現わる」で敢えてミニチュア製作にこだわっただけに、庵野、樋口監督のこだわりを感じました。
「巨神兵東京に現わる」の頃はふざけた映画を作ったものだと酷評したのですが、今から思えば東日本大震災が発生する前から「巨神兵東京に現わる」の製作を始めていたのなら、庵野監督にツキがなかったという他はありません。
「THE END OF EVANGELION」も「もののけ姫」と同じ時期に公開されましたし、今回も「君の名は。」という大ヒットと同じ年の作品になってしまいました。
同時期に大作が生まれ、それを越えられないようです。
ところで第2形態がとても獰猛な怪獣とは思えない人をくったような造形の巨大生物なので、
「ゴジラ以外の怪獣が出て来るのではないか?」
と思ったのですが、予想に反して、この妙ちくりんな形の巨大生物がゴジラなのでした。
その後、ゴジラがモスラ同様に変態を遂げお馴染みの姿になります。
一瞬モスラのように繭にでもなるのかと思いきやCGをふんだんに使って一瞬で姿を変えていきます。
最近のハリウッド映画はCG満載なので、観客も下手なCGでは納得してくれないと思うのですが、十分に観賞に耐えうるCGでした。
あえてミニチュア製作にこだわるのもCG技術ではハリウッドにかなわないからかもしれません。
または、CG満載映画に食傷気味の観客を狙っていたのかもしれません。
二度目の上陸の後、お馴染みの伊福部昭氏の楽曲と共に東京駅に向かうことになります。
この時の、ゴジラの遠景が美しい。
まるで、緩やかな富士山の稜線を見ているような遠景です。
着ぐるみでは再現できない素晴しいクオリティでした。
テレビがアナログからデジタルに変わった最大の点は画面の縦横比が9対16になったことです。
ですが、それを意識させる映像作家は残念ながらいませんでした。
元々映画のスクリーンサイズが9対16だったためそれをそのまま採用したらしいのですが、テレビを観て育ち、テレビ作品ばかり作っている映像作家には9対16の縦横比は横に余分な空白が出来るだけで、面倒な規格変更でしかなかった筈です。
ところが本作では、その横幅にあうように尻尾も込みで映し出されます。
多少尻尾が長すぎるような感じもしますが、実に優雅に進むゴジラに感動しました。
また、上陸に伴い各ブロックごとに停電が発生するのも新鮮でした。
アメリカでは一箇所停電すると街全体が停電してしまうらしいのですが、この辺の停電に関する設定もおそらく現実の通電システムを踏襲しているのでしょう。
1954年版を彷彿させるぐらい暗い映像で、何が映っているのかわからなくなるようなシーンでは劇場に足を運ぶべきだったと悔やまれました。
自衛隊との戦闘は1954年版を彷彿とさせる戦車隊が火を噴きます。
1954年版は戦車がミニチュアでしたが、自衛隊の撮影協力により本物の映像やCGがふんだんに使われています。
急旋回する戦車の砲塔など迫力満点です。
またまたハリウッド映画との比較で申し訳ないのですが、ハリウッド映画では古くから飛行機やヘリが惜しげもなく登場してきます。
日本では自衛隊に関して風当りが強かったため長い間自衛隊の撮影協力が得られず、模型の戦闘機や秘密兵器がゴジラを攻撃するのが常でした。
私の記憶では「戦国自衛隊」で装甲車が出てきたぐらいです。
その装甲車も本物かどうかよく知りません。
ところが、本作では攻撃ヘリ、戦車、高射砲、駆逐艦などがCG合成かもしれませんが所狭しと登場します。
軍事オタクにはたまらない映像だらけでしょう。
自衛隊の攻撃は失敗に終わり米軍の登場。
米軍の攻撃でやっとゴジラに傷をつけることに成功した途端、ゴジラは火(放射線流)を噴きます。
私などは
「負けるなゴジラ」
と応援したくなったのですがこれまでのゴジラと違い口からだけでなく、背中や尻尾からも攻撃でき、しかも最初は不完全燃焼なのか、赤い火であるにもかかわらず、最後は巨神兵のごとくレーザーのような光線を発します。
これはもう庵野監督の趣味の世界で巨神兵をイメージしたのでしょう。
また、口の中を「エイリアン」のフェイスハガー(顔に取り付くエイリアンの幼生)のように丸い形状にしているのも流石。
テッポウウオも同じように直線的に水の噴射を行うことが出来ますが、確かテッポウウオは管のような器官から水を噴射していたので、ゴジラもそうなっている筈ですが、もしかしたら丸くなって何かを噴射する生物がいるかも知れません。
よく出来ているのは攻撃されて傷を負うまでゴジラは一切攻撃していなかった。ということ。
生物として攻撃されるまでは絶対に攻撃してきません。
威嚇する必要もないのか雄叫びを上げることもしませんでした。
放射線流を噴いてガス欠したのか、休眠状態になります。
場所は東京駅。これが後の伏線になります。
作品としては小休止。
ただ、バリヤーともいえる監視システムが稼動しており近づく飛行物体はことごとく攻撃される模様。
休眠中とはいっても死んでいるわけではないので、糞だかなんだかよくわからない老廃物らしきものが落ちていたり、表皮の欠片が落ちたりするのはおそらく垢か何かなのでしょう。
これもある評論家が指摘していたことですが、ハリウッド映画では開始1時間するとド派手な戦闘が行われ、その戦闘で主人公は敗北します。
この作りはジャッキー・チェンの「酔拳」と同じ。
「酔拳」の作り方をハリウッドが真似たのか、その逆かは知りませんが、「ロッキー」や「ダイハード」もこの体裁を取っているらしいです。
このことに70年代から2000年代に至るまで日本映画の監督の何人が気づいていたのか、日本映画は独自のストーリー展開で妙に理屈っぽくて、暗い作品ばかりだったように思います。
また、70年代から2000年代はスピルバーグ監督作品を筆頭にハリウッド映画がやたらもてはやされていた時期。
スピルバーグ監督作品の作り方を他のハリウッド監督が真似、それが普遍化したからこのような分析が出来るのかもしれません。
それはさておき特撮怪獣映画としては戦闘シーンばかりでは製作費が際限なくかさんでしまいます。
人間ドラマとしての体裁を整えることができ、敗北後の対応策も検討できるためゴジラの休眠はいわばお約束。
子供の頃は戦闘ばかりあってもいいのにと思っていましたが、やはりそれでは殺伐としすぎるし、メリハリがなくてクライマックスのインパクトが薄れてしまいます。
作劇としても必要不可欠な休眠状態といえるでしょう。
その間に東京都の住民350万人の避難を映像化しています。
輸送用ヘリも戦闘時と同じくCG合成か本物でしょう。
また高速道路の渋滞は実にリアルでよく出来たCGでした。
ゴジラの血液を固めて動けなくしてしまうという「ヤシオリ作戦」。
ウィキペディアによると「ヤシオリ作戦」の由来は、ヤマタノオロチを眠らせるために使用したお酒ヤシオリからきているらしいのですが、映像的にはゴジラの解析図をヤシのように折ったことから命名されたようにも見えます。
作戦はこれまたお馴染みの伊福部昭氏の楽曲と共に開始されます。
まずは無人運転による新幹線爆弾。
子供だましといってしまえばそれまでですが、巨大ロボットやどこぞの特命機関が作った秘密兵器よりもずっと現実味を帯びています。
ただ、ゴジラをメインに映像化したためと、ミニチュアによる新幹線だったため迫力に欠けました。
もっと電車を凶器のごとく重厚に映すことも可能だった筈ですが、JRから許可が降りなかったのでしょう。
それでも、1954年版では手に持たれ破壊されるだけだった電車を本作では武器として使うのは新鮮でした。
東京駅でゴジラが休眠していたのも偶然ではなく、実は必然だったという。
ゴジラの登場する所にまで注意が行き届いていて驚かされます。
特筆すべきは高層ビル群の破壊。
1977年に公開された「スターウォーズ」で多くの映像作家は度肝を抜かれましたが、この頃はまだ、爆発のエフェクトがCGで描かれているだけでした。
やっと最近日本のテレビドラマでもこれくらいの爆発エフェクトが苦もなく表現できるようになったので、50年ぐらい日本はハリウッドのCG技術に遅れをとっていたということになります。
後に「スターウォーズ 特別編」でCGが追加され爆発だけでなく爆発による破片も描かれるようになりました。
これも1999年に公開された「スターウォーズ エピソード1 ファントム・メナス」の頃なので、15年以上も前になります。
そのクオリティにやっと日本の特撮技術が追いついたと見るべきでしょう。
特にビルが傾く際、ビル内のオフィス機材が床を滑るワンカットは秀逸でしたし、ゴジラに覆いかぶさるように高層ビルが倒れていく際、窓ガラスが一枚一枚丁寧に描かれていて、庵野監督らしい病的なまでのこだわりと、
「金かかってるなぁ」
と感じました。
血液凝固剤をクレーン車でゴジラに飲ませるのも実にレトロ。
1954年版にはなかったと思いますが、実際に運用されてしかるべき処置です。
一度は失敗しかかるも二の手、三の手を用意して最後は失敗したのではないか?
と思わせる演出も見事。
「エヴァンゲリオン」では、横からのアングルで政府高官を映していましたが、「タバ作戦」では政府高官が銀幕(中継される映像)を食い入るように見つめ、今回の「ヤシオリ作戦」でも政府高官が銀幕を食い入るように見つめています。
これも、素晴しい演出で、まさに固唾をのんで行く末を見つめている政府高官達と同じ心理状態に、観客の心理を誘導しているのです。
「ヤシオリ作戦」が成功し、目標(ゴジラ)が完全に沈黙しても敢えて歓声をあげない演出も素晴しい。
ハリウッド映画なら歓声をあげ、喜び抱きあうシーンをメインに持ってくる所ですが、一部の自衛隊員が喜んでいるだけで、そこはシニカルに冷静に淡々と物語は進んでいきます。
思うに、ゴジラを倒すことよりもゴジラに破壊された街並みを復旧することがメインだからでしょう。
そして冒頭ではハリウッド映画を意識した作りだったにも関わらず、最後は日本版ゴジラの面目を保ったと観ることも出来る作品であり、ゴジラを倒した後は現実の物語に戻すため、敢えてBGMが一切ないことも付け加えておきます。
SPECIAL BOX。
第21弾は、「シン・ゴジラ」特集です。
平成版「ガメラ」特集以来の特撮怪獣映画の特集です。
テレビ放映されたことでその興奮が冷め切らぬうちにと、急遽特集を組むことにしました。
それでは、お楽しみください。
2016年11月3日、東京湾沖で謎の水蒸気が噴出。
当初は海底火山か何かと思われたが、巨大生物と判明。
巨大生物は上陸から2時間強で死者・行方不明者100名以上の被害を出し姿を消す。
政府は巨大生物の再度襲来に備え、
「巨大不明生物特設災害対策本部」(通称「巨災対」)を設置するのであった。
映画開始から、「巨大不明生物特設災害対策本部」(以下「巨災対」)が設置されるまでの数分間は、通常の人間ドラマとして描かれています。
BGMもなく淡々と政府が対応する姿を綿密な取材を元にあたかも現実であるかのように描き出します。
ところが、自然災害と思われた事象が、巨大生物による事象であると判明し、「巨災対」が設置されてからは虚構のお出まし。
BGMも「エヴァンゲリオン」でお馴染みのBGMが引用され怪獣映画として描かれていきます。
ここまでおよそ30分。
CINEMA BOXに映画を登録するまでに数多くの映画を観ていて気がついたことがあり、このことはある評論家も指摘していることですが、
ハリウッド映画は冒頭の30分でその作品の出来が決まります。
試しに大ヒットしたというハリウッド映画を何でもいいから冒頭30分だけ観れば、私の書いてあることがよくわかる筈です。
冒頭の30分を観て面白いと感じない映画は、その後を観ても大して面白くありません。
これは冒頭の30分に主要な登場人物や主人公は誰で、いつの時代の人で、今後作品の中で何をして、どうなってしまうのか?
その後の気になる展開が全て冒頭の30分に凝縮されているからなのです。
逆に、序盤は面白いのにヒットしなかった作品は、結末に不満の残るものが多いです。
私事で恐縮ですが、こうした思いを抱くようになったのも香港映画を数多く観てきたおかげでしょう。
私が観ていた頃の香港映画はツイハーク監督作品が多く、そのツイハーク監督がハリウッドを意識していたから、冒頭30分をいかに面白くするかに、注力していたように思います。
にもかかわらず、香港映画が日本でヒットしなかったのは、ジャッキーチェンが活躍の場を香港からハリウッドに移したり、香港が中国に返還されて中国の検閲が厳しくなってしまったというのも理由ではあるけれど、結末に不満の残るものが多く、物語も破綻していたからです。
なぜこんな事を書き出したかというと、この作品以前に「GODZILLA ゴジラ」が公開されていたからです。
本作の製作も「GODZILLA ゴジラ」の世界的な大ヒットを受けたもので、当然「GODZILLA ゴジラ」を意識し、ハリウッド方式の冒頭30分に注力したのだろうと思ったからです。
実際に冒頭の30分を観てみると退屈することなく、どんどん物語に引き込まれていくように作られています。
普通なら情報量の多さに辟易し、政府高官の発する専門用語に内容が全く理解できないはずですが、東日本大震災で多くのニュースを見てきた日本人にとって、政府高官の専門用語も日常会話のような感覚で見ることができ、「エヴァンゲリオン」の監督作品ということもあって、「エヴァンゲリオン」で情報量の多さに免疫のある観客はすぐに作品の中に入っていくことが出来ます。
これは私見でしかありませんが、総理大臣(大杉漣)を観客として描いている演出も作品に入り込みやすくしている点です。
総理大臣を権力の象徴のような暴君ではなく、どこにでもいそうな気のいいオジサンとして描き、側近たちは銀幕(総理)に向かって話しかけてきます。
それはあたかも観客に語りかけるように、
「あなたならどうします?」
と訴えているのです。
その他にもなぜか仮名として登場する生物学者の一人がどう見ても宮崎駿監督にしか見えないおふざけぷり。
ともかく序盤でどうにか観客に興味を持ってもらおうと、あの手この手を仕掛けてきます。
その後は「巨災対」開設と同時に「エヴァンゲリオン」でお馴染みのBGMが演奏され、観客のハートをしっかり鷲づかみにして離しません。
もちろん、否定的に作品を評価することもできます。
1954年公開の「ゴジラ」(以下1954年版)の焼き直しでしかなく、政府役人への綿密な取材だけで息切れしてしまった庵野監督は、自身の代表作「エヴァンゲリオン」の実写版を製作するような気で製作してしまった。
また、前作から12年ぶりということで、その間に進歩したCG技術に目を奪われただけの作品と言えなくもない。
以前、CINEMA BOXにも書いたのですが、「GODZILLA ゴジラ」を観るまではどんなにハリウッドがCG満載の映画を作っても、
「日本にはまだゴジラがいる」
とどこかで思っていました。
ところが、「GODZILLA ゴジラ」を観てからは日本にはもうゴジラはいなくなってしまい、日本の特撮映画界はどうなってしまうのか?不安視していたのですが、本作のおかげで杞憂に終わったといえるでしょう。
SPECIAL BOX。
第20弾は、「るろうに剣心」特集です。
最初に断っておきますが、アニメ版や原作については私が観ていないので、実写版についてのみ書いていこうと思っています。
そのつもりでお読みください。
それでは、お楽しみください。
近年数多く製作されるようになった漫画やアニメの実写映画。
その中で唯一鑑賞に耐えうる作品群と言える「るろうに剣心」。
その記念すべき実写映画第一弾。
原作やアニメ版を全く知らない私が観ても面白いのだから、知っている人が観ると更に面白いこと間違いないだろう。
以前SPECIAL BOXの「実写映画化特集」でも触れたが漫画やアニメには特有の表現があり、実写映画にも特有の表現があると書いた。
そのポイントを上手くつかんで、本作はアクションをメインにしたところが大正解。
しかもハリウッド映画にはない剣劇をメインにしたところが素晴らしい。
その剣劇も時代劇でみるような変な見得を切ったりせず、格闘技のように一瞬で決着がついてしまうところが更にいい。
テレビ放映後に、色々調べてみると本作のアクション指導は香港映画界で何年も経験を積んだ日本人だという事が判明。
香港映画のアクションは「マトリックス」でハリウッドでも大々的に採用されるようになったが、その影響か日本映画でも香港映画ばりのアクションを見かけるようになった。
しかし時間的にもの足らず、見ごたえとしては不十分だったように思う。
ところが本作は時間的にも見ごたえ十分なのだ。
ガトリング砲の攻撃を避ける剣心の走りを堪能すべし。
志々雄真実を演じる藤原竜也の濃い芝居に出演者や監督までも影響されたのではないか?
と思えるほど誰も彼も演じる芝居が濃い。
それが私には目障りだったためダメダメのB級作品に成り下がってしまった。
すぐに三作目が公開されるという前提での二作目ということもあって、三作目への伏線をはるためだけの作品といえなくもない。
三作目のクライマックスへの序章という感じでアクションも少し控えめ。
その分、逆刃刀に関する秘密が明かされたり、アクション以外の見所がある作品。
志々雄真実との決着をつける作品。
これまでの登場人物が勢ぞろいし、オールスターキャストで志々雄真実に立ち向かう。
いかにも最後を飾るにふさわしいアクションシーンを堪能すべし。
本来は2020年公開予定の作品。コロナ禍により延期。そのため6(+1)年ぶりの新作。
前作で終了かと思っていたのだが、人気作の宿命か続編が製作された。
6年のブランクを感じさせないパワーアップした剣心に乞うご期待。
鑑賞直後の感想。
四作目と立て続けに公開された。公開の経緯は四作目と同じ。
これまでとは一転して人斬り抜刀斎として剣心が描かれる。
頬の傷の真相が語られる本作だが、駄作感は否めない。
下手に人気作を作って終了してしまうより、駄作として静かに終わる方がシリーズの終わり方としては幸せかも。
と思ってしまった。
鑑賞直後の感想。
今回は久しぶりに短めの特集です。
逆刃刀のことや、アクション監督のことを書いたり、原作、アニメ版と実写版との違いを書いてもいいのですが、原作、アニメ版を私は観ていません。
ウィキペディア以上の情報を持ち合わせていないので、ここらで締めます。
興味のある方はウィキペディアでも調べてください。
毎年、年一回ぐらいは更新しておこうとSPECIAL BOXだけはゴールデンウィークに更新してきました。
しかし、昨今の地上波では映画を放送する機会がめっきり減ってしまい、特集を組めるほどの作品が鑑賞できない現状になりつつあります。
以前のようにレンタルやネットで映画を観ても構わないのですが、映画を観たいはずなのに、CINEMA BOXに登録したいのが目的になってしまいそうで、観る気になれません。本末転倒な感じがするからです。
今後、地上波がどうなってゆくのか分かりませんが、時代劇が地上波から姿を消したように、映画も地上波から姿を消してしまうのか?
それとも、また映画番組が復活して毎週楽しく映画を観れるようになるのか?
どうなるか全くわかりません。
第4作の作品情報と感想を追加(2022/10/17)
第5作の作品情報と感想を追加(2022/10/24)
以下のサイトの情報を参考にさせていただきました。
るろうに剣心公式サイト(作品リスト作成に参考とさせていただきました。)
フリー百科事典「ウィキペディア」(作品リスト作成に参考とさせていただきました。)
映画パンフレット・プログラム・チラシ大辞典(画像はここから入手しました。)
シネマトゥデイ(画像はここから入手しました。)
映画チラシサイト(画像はここから入手しました。)
ありがとうございました。
引き続き、宮崎作品が公開された頃のアニメ事情をわかる範囲で書いていこうと思います。
この頃のアニメ界は量産されたロボットアニメに翳り(かげり)が見え始めます。
かわりにOVAと呼ばれるビデオを媒体とする作品群が台頭してきました。
作画の優れたアニメーターはOVAで活躍し、TVアニメには関与しなくなってゆきます。
すでに、子供のものではなくなってきているアニメで、作画の質の低下は致命的です。
TVアニメは1年と持たずに終了するものが増え、ゴールデンタイムと呼ばれる夜7時から8時台のアニメ番組が姿を消してゆくのでした。
OVAから人気が出た「機動警察パトレイバー」が公開されたのもこの年です。
「ルパン」以外ずっとオリジナルで勝負してきた宮崎監督。
ついに原作のある作品をアニメ化します。
売れない漫画家が少女漫画を書いていたようなものかもしれません。
新たな活躍の場を求めての挑戦だったのかもしれません。
ともかく、今度は子供ではなく女の子をターゲットにした作品でした。
この頃アニメは、TVで放送されなくなります。
放送されていても一部の地域に限られたりして、誰もが知っているアニメ作品は限られたものだけになります。
原点回帰で、オリジナル作品で勝負します。
しかし、これまでと違い大人向けのエンターテイメント作品に特化しました。
説教臭いメッセージをなくし、ただの飛行艇乗りの話にしたのが「紅の豚」です。
「ON YOUR MARK」はCHAGE&ASKAのPVなので詳しくはここでは触れません。
そんな中、「ルパン」のTV版を放送していた縁でしょう、
日本テレビが何度となく宮崎作品をTVで放送するようになります。
世間では「地球に優しく」なんて言葉がささやかれ始める何年も前に「ナウシカ」でエコロジーを訴え、「トトロ」「魔女宅」で癒し系のアニメ監督とばかり思っていたにも関わらず、実は大人も鑑賞に耐えうる作品を作っていたのでした。
しかも作画の質が低下したTVアニメの視聴者に「ラピュタ」での蒸気機関車の追走劇がすごい迫力で迫ってくるのです。
それまで苦渋を飲まされていたロボットアニメもTVからほとんど姿を消し、強敵はいません。
やっと離陸にふさわしい風が吹き始めたのでした。
引き続き、宮崎作品が公開された頃のアニメ、映画事情をわかる範囲で書いていこうと思います。
この頃も誰もが知っているアニメ作品は限られたものになります。
TVで放送はされていましたが、レンタルされることで人気が出た「THE END OF EVANGELION」が公開されたのもこの年です。
度重なる日本テレビの放送と強敵の不在により向かう所敵なし状態の宮崎作品。
満を持して世に出したのが「もののけ姫」でした。
「ナウシカ」の焼き直しとも取れますが、それまでの癒し系から一転。
残酷描写が数多く出てきます。
それでも、当時の興行成績をことごとく塗り替えた作品です。
もはや、アニメ界の頂点から映画界の頂点に登りつめたのでした。
この頃のアニメ界は、「エヴァンゲリオン」のヒットにより深夜アニメが数多く放送されるようになります。
深夜だけにエグい作品もあるようですが、アニメが子供のものではなくなったという何よりの証でしょう。
また、1年も続くような作品は現れず、半年か3ヶ月で終了してしまう作品ばかりになります。
そんな中「千と千尋」が公開されます。
大ヒットメーカーになった次回作は普通大ゴケしてしまうものなのですが、「もののけ姫」を上回る大ヒット。
アカデミー賞も受賞して、国内だけでなく世界的にも名匠の仲間入りを果たしました。
これ以降アニメ界のことをとやかく書くのは不毛な気がします。
完全にアニメの潮流が宮崎作品に便乗する形になってゆくからです。
実際アニメ界にすでに強敵はいないのですから。
あえて書くと、この頃ロボットアニメは「ガンダム」以外全滅状態。
かわりに「魔女宅」のような女の子が主人公の癒し系アニメが数多く登場してきます。
「魔女宅」以来の原作つき作品。
「ハリーポッター」人気に便乗してか、ファンタジー作品を手がける。
木村拓哉が声優をしていたこと以外に特筆すべきことがないのが残念。
「ドラえもん」などの恒例の映画以外アニメ映画はジブリ作品ばかりになってしまいました。
時々人気のあるアニメが映画化されますが、期間や公開地域が限定されているのでどれほどヒットしたのかよくわかりません。
かわりに漫画やアニメの実写化映画が異常に増えていきますが、ジブリ作品のヒットと関係があるのかは不明です。
「トトロ」に次ぐ子供向け作品。
あえて手書きにこだわったらしいのですが、果たしてその効果の程はあったのか否か。
アニメについては特になし。
はじめて人間ドラマに挑戦した作品。
最後にして、最大の意欲作。
この路線を続けられたら、実写映画で飯が食えなくなる映画監督や役者がたくさん出てきそうな程の名作。
引退してくれてよかったとホッと胸をなでおろす映画関係者がいたかもしれない。
アニメでは新海誠監督作品や「進撃の巨人」や「鬼滅の刃」など新しい作品が生まれていました。
一度は引退宣言をしたにも関わらず、前作から10年以上も経過して復活した宮崎監督。
あまりに時間が空きすぎたため、世相とのタイムリーな感じは影を薄めてしまいました。観ように依ってはファンサービスに徹したような作品になっています。
今回もエライ分量になってしもうた。
一番有名なアニメ監督なだけにネットで散々語られているだろうから、大して書くことはないと思っていたのですが。。。
日本を代表する監督だけに何かしら書いておこうと、ついつい筆が進んでしまった。
いつもどおりの個人的な見解を述べるだけの特集で根拠のない素人の戯言になってしまいました。
制作秘話とかの詳しい説明を知りたい方はウィキペディアでも読んでください。
以下のサイトの情報を参考にさせていただきました。
スタジオジブリ
フリー百科事典「ウィキペディア」
映画(アニメ)チラシ○×△・・・(まだ仮名w)(画像はこちらから)
ありがとうございました。