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AlphonseのCINEMA BOX

管理人Alphonseが観た映画の感想を書いているブログ。

エヴァンゲリオン特集


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■TV版第1話、第2話について

ここからは後年になって色々とわかったことも踏まえて、TV版第1話、第2話について書いていこうと思う。

名作と呼ばれるTVアニメは第1話が伝説的な扱いを受ける。視聴率はすこぶる振るわなかったとしても、その後の人気の影響で第1話が凄いものに見えてしまうのだ。

今から思えばやはりこの第1話、第2話、つい観てしまうような仕掛けが用意周到に張り巡らされているように思われる。

まんまとその仕掛け(罠、沼とも言う)に私はハマったわけだ。

その一。ロボットアニメ的要素。

ガンダムと同じようなロボットアニメと誤認した時点で既に罠にハマっている。エヴァはロボットではない。人造人間である。初代仮面ライダーのような人間サイズだけが人造人間と思い込んでいるから意味不明になる。鉄腕アトムと鉄人28号。どちらもサイズは違うがロボットである。それと同じで初代仮面ライダーとエヴァはサイズは違うが人造人間である。

そんなことが判明するのは数話先。(というかオープニングだかビデオパッケージに人造人間と書いてある。ボーと観ているから気がつかないのだ。)毎回違う敵と戦うため、秘密基地から発進し、父の作った主役メカにその息子が乗り、時には仲間と一緒に、一箇所を守って戦う。これだけマジンガーZと共通項があればエヴァをロボットと誤認してしまうのも無理はない。

その二。2回にわたる戦闘。

戦闘が1回で決着がつくと思い込んでいる。帰ってきたウルトラマンでは散々2回に分けて戦っていたにも関わらず、それをすっかり忘れている。これもガンダム効果。ロボットアニメがガンダムしかなくなってしまったから、その物語展開以外は新鮮に思えてしまうのだ。

その三。数多くの作品用語。

使徒、ATフィールド、活動限界といった作品用語。意味不明なので、作中で解説されるのを待つか、調べるしかない。しかしこれは諸刃の剣で、ネタバレしてしまう危険を過分に含んでいる。結局解説されるだろうと期待して続きを観てしまう。

その四。帰納法とミステリー仕立て。

TVアニメはほとんど全て演繹法で描かれる。サザエさん、ドラえもん、宮崎駿作品。。。
ところが本作の第2話は帰納法が使用されている。いきなりベットで目覚めるシンジ。第1話のラストを完全に放棄していきなり違う話から始まる。
演繹法の作品しか観たことのない人には帰納法への免疫がないので、面喰らう。訳が分らないから、TVアニメなら、そこで観るのを止めてしまうかもしれない。そのため視聴率は取れない。

一方ビデオ(今[2021年]なら有料配信)から本作を観はじめた人は、少なからずお金を払って視聴している。最後までは観ておこうという気にはなる。また好奇心の強い人や探究心の強い学者肌の人なら訳がわからないものをわかろうとし、理解しようとする。本作のファンに高学歴の人が多いのもうなずける。

演繹法によって時系列に語れば何の変哲のない事件も、帰納法で語れば大事件になる。そのためミステリー小説は大半が帰納法で書かれている。真犯人を求めて最後まで読んでしまう。同じように第2話では戦闘の決着が気になるので最後まで観てしまう。このミステリー仕立ての手法はTV版で随所に登場する。

その五。作画。

どんなに巧妙な仕掛けを施しても作画のクオリティが低ければ仕掛けが上手く機能しない。
アニメは小説じゃない。映像だからだ。上手とか下手とかそういったことも重要だが、アングルなどの表現手法も大事。
本作の第2話は新劇場版:序と一部重複している。記憶として新劇場版:序の方が新しいので、そちらを参考にするが、おそらくTV版も同じだと思われる。

暴走し、使徒に反撃を開始するエヴァは画面に向かってくる。最後のカットはエヴァの目である。ここまで画面近くに寄ってくる必要はないと思われるが、画面に向かってくる。
同じ手法を宮崎駿監督は天空の城ラピュタで、スピルバーグはジュラシック・パークで使っている。

その昔、3D映像というものが流行った。赤と青の眼鏡をかけて映像を観ると画面から飛び出たように観えるというものだ。その影響かもしれない。その時もやたら画面に向かってくる映像が多用された。今(2021年)はVR映像で多用される。とにかく画面に向かってくる。この手法は緊迫感あるいは親近感が増すので、つい映像にひきこまれてしまう。

他にも風に揺れる電線。土煙。破壊される車両などを使い、架空の使徒が本当にいるかのように描き、作品への没入度を高めている。

その六。オープニング映像。

作画に入れても構わないが主題歌がヒット曲となったので敢えて別にした。
TVアニメのオープニングはその作品を視聴していると何度も目にすることになる。それを考慮してか古くからオープニング映像は本編よりも作画のクオリティが高い。余談だが金田伊功の描く「サイボーグ009」は古典的名作であり、神と人類が戦うお話。

本作もその例にもれずオープニング映像はクオリティが高い。それ以上に主題歌とのシンクロ率が半端ない。

一音一句確かめるような細かいカット割。アスカの機体がナイフを構えるシーンと曲とのシンクロ。初号機を舐めるカメラワーク。この曲のためにオープニングが作られたのではないか。と思われる程、曲と映像がシンクロしている。主題歌を口すさみながら本編を観るようになれば、すっかり罠にかかっている。

また既に書いたが、数話観ればオープニングが本編のシーンをいくつか繋げて作られている事に気付く。謎解き要素満載の展開の中、簡単な謎を解いたような気になる。これなら観ているうちに解ける謎があるかも。と観続ける罠にかかってしまう。

その七。人物以外のデザイン。

1話、2話で特に気になるのはエヴァと使徒のデザイン。作画に入れても構わないが、長くなるので敢えて別にした。
エヴァのデザインはヒーローというよりどちらかと言えば好戦的で悪役。しかも紫。紫は往年のロボットアニメでは敵の色。主役メカはトリコロールカラーと相場が決まっている。これまでとは違う異質な感じがするので、第1話で視聴を止めてしまう危険を充分にはらんでいる。しかしここまで書いた仕掛けのどれかにハマっていれば問題ない。

そのうち巨神兵のようなエヴァの姿が現れる。風の谷のナウシカを彷彿とする。さらにウルトラセブンに出てくる怪獣ギラドラスに似ていることに気付く人は往年の特撮通。破壊される車両や新劇場版のメカデザインで円谷特撮を彷彿とする。馴染みにあるものに触れると親近感が増す。あるいは懐かしさに駆られて観てしまう。

使徒のデザインも凝った仕掛けになっている。使徒のデザインはあさりよしとお。漫画「宇宙家族カールビンソン」の作者と気付く人は、かなりのSF漫画通。それを知らなくともメカらしくない。既視感のある生物でもない。得体の知れない何か。謎めいた展開を補完するのに充分な役割を果たしている。さらに言えば、どこか可愛らしくもある。

その八。登場人物。

登場人物に感情移入できる。あるいは推しのキャラがいる。第1話、第2話ではこの仕掛けは完全には機能していない。
アスカはまだ登場していないし、レイやその他の登場人物も見せ場らしい見せ場はない。シンジのみでこの仕掛けを発動させるしかない。この第1話、2話だけに限れば結構いい奴。普段はダメだけどやるときはやるタイプ。TV版新旧劇場版をすべて観てしまうと、もう物語ありきで、単なる操り人形になってしまっているのがよくわかる。

推しのキャラがいる。あるいは登場人物に感情移入できるかは、物語の世界観とか、小難しい設定より今では大事になった。声優さんがアイドル並みに人気が出るようになったことも一因だろう。

その九。各話タイトル。

各話タイトルが縦横書き明朝で書かれていること。これも第1話、第2話では完全には機能していない。
縦横書き明朝ですぐに私は「犬神家の一族」を連想した。しかしただの書体なので偶然だろうと気にも止めていない。後にアスカの機体が「犬神家の一族」の死体の恰好で湖に沈んでいるカットが登場する。

これでやっと各話タイトルの仕掛けが発動する。私には死体のマネは単なるパロディで笑うだけだった。
ある世代は学校のプールで「死体のマネ。」とか言って遊んでいたはずだ。そのためこのシーンは、その延長線上でしかない。おそらく本作の主要スタッフの世代からしても、その程度のつもりだったに違いない。

しかし危険だからと、ある世代以降はそんな遊びはしていない。遊んでいたとしても謎解き要素満載のTV版。各話タイトルが、縦横書き明朝なのは単なる偶然じゃない。作り手が意図的に仕組んだものだ。謎を解くための手掛かりを求めて、各話タイトルにも意味があるのではないかと探しまくる。何度でも作品を観る仕掛けにどっぷりハマってしまう。

後で知った事だが、ウィキペディアによると各話のタイトルは有名なSF小説が由来らしい。初見時の私には各話の内容を的確に表現した、いいタイトルぐらいの認識しかない。

この仕掛けは劇場版でも発動する。旧劇場版の副題「まごころを君に」もSF小説「アルジャーノンに花束を」の映画化タイトルだ。本作の後に「まごころを君に」を観たが甘ったるいラブストーリーだった。本作に人気が出る以前に「アルジャーノンに花束を」はベストセラーだった。友人の勧めもあり私は読んでいた。泣けるSF小説だった。

旧劇場版とは、かすりもしない。全くの別物である。

同じく旧劇場版の「シト新生」というタイトルも「新しい使徒が登場し、TV版の続きが見られるのでは?」と期待させるための仕掛けである。新劇場版でも副題が騒ぎになったが、「まごころを君に」の仕掛けに気がついてからはミス・リード以外の何物でもない。と冷めたものだった。

ところがエヴァに人気が出た途端、TVでこの縦横書き明朝を嫌というほど目にすることになる。エヴァの映像を放送すると著作権使用料が必要だ。それよりもPCやスマホがあれば小学生でも簡単にマネることが出来る縦横書き明朝の方が安くつくからだろう。

挙句に「犬神家の一族」がリメイクされ、「地球が静止する日」が公開され、「アルジャーノンに花束を」がTVドラマになったりと便乗商品が大量発生して幻滅したファンも多いことだろう。

その十。旧字体。

第1話ではなく第壱話と表記されることと、WARNNINGと同時に警告の文字。
初見時は和洋折衷な感じがオシャレだった。今から思えば、子供向けではない大人向けのアニメを観ているんだ。みたいな。受け手の自尊心をくすぐる仕掛け。

「サクラ大戦」というアニメも和洋折衷なアニメらしいが、観ていない。その影響ではないかと勝手に思っている。

これだけ書けば充分だろう。とにかく仕掛けが一杯なのだ。漫画は読んでいるのではない。読まされているのだ。といった人がいるが、アニメも観ているのではない。観させられているのだ。

どの仕掛けにハマッたかは、人それぞれだろう。他にも探せばあると思うが第1話と第2話のみに限定してもこんなに見つかってしまうから驚きだ。人気が出るのも当然という他ない。


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