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管理人Alphonseが観た映画の感想を書いているブログ。
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ここではヤマト以外の松本氏の作品の矛盾がなぜ起きたか。
について書いていこうと思います。
とはいうものの、ヤマトとほぼ同時期の作品ばかりのため、ヤマトの矛盾の項に書いてもよかったのですが、長くなったため分けることにしました。
こちらもウィキペディアの情報と私の独断と偏見による憶測でしかありません。
そのつもりでお読みください。
ヤマトからはじまった松本零士ブーム。
この頃の発表された松本作品を年数順に列挙しておきます。
1974年「宇宙戦艦ヤマト」TV版
1977年「宇宙戦艦ヤマト」劇場版
1977年「惑星ロボ ダンガードA」
1978年「宇宙海賊キャプテン・ハーロック」
1978年「SF西遊記スタージンガー」
1978年「銀河鉄道999」TV版
1978年「さらば宇宙戦艦ヤマト」
1978年「宇宙戦艦ヤマト2」
1979年「銀河鉄道999」劇場版
1979年「宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち」TV版
1980年「ヤマトよ永遠に」
1980年「宇宙戦艦ヤマトIII」
1981年「新竹取物語 1000年女王」
1981年「さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅」
1981年「宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち」劇場版
1982年「1000年女王」
1982年「わが青春のアルカディア」
1982年「わが青春のアルカディア 無限軌道SSX」
1983年「宇宙戦艦ヤマト―完結編―」
ご覧のように一大ブームだったことがわかります。特に1978年はTV版4本、劇場版1本が発表されています。
しかもTV版は今日のように3ヶ月で終了することもなければ、1期、2期と途中で中断されることもありません。半年か1年、毎週放送されていました。
その間松本氏は漫画家として連載も抱えていました。
こんな量産体制では松本氏はアニメのスタッフまかせになってしまいます。
ハーロックのTV版1作目が漫画版と異なっていたり、999の劇場版2作品が漫画版と違ったりするのも当然でしょう。
最も深く関わったヤマトでも、松本氏の作風が色濃く反映されているのは、TV版1作目、「ヤマト2」、「永遠に」ぐらいなものです。
それぞれの作品の作画スタッフを調べても、同じ名前ばかりが並んでいます。それぐらいアニメ業界は人手不足で兼任が当たり前でした。
ですから続編や新作を作っても似たような話になったり、他の作品と混同したりしても不思議ではありません。
一方でアニメにするからには、原作漫画とは違った作品にしようと思うのは、クリエイターの性(さが)。漫画とアニメが変わってしまうのも無理ないことです。
しかもTVアニメの劇場版やその続編ともなれば、それまでとは違った何かを受け手は期待してしまいます。それに応えようと作り手も新しく設定を追加。それにより細かな設定の矛盾が発生してしまいました。
ヤマトによって多くのアニメ雑誌が創刊されました。
これにより細かな作品の設定情報が公開されます。
またビデオも普及し始め、作品を何度でも確認することが可能になります。
その結果、細かな設定の矛盾が露呈することになってしまいました。
TV版1作目のヤマトから「完結編」までに9年経過しています。
ヤマトのTV版1作目や999の劇場版1作目は中高生をターゲットに作られましたが、これらを観た受け手も「完結編」の頃には、20歳前後になっています。
受け手の高年齢化に伴い、作品の矛盾が指摘されるようになっていきます。
松本氏は、自分の作品を相互リンクさせ、個々の作品の登場人物は全てつながっている。
という壮大なストーリーを構想していました。
水島新司氏は「大甲子園」という作品で既に同じようなことを行っていましたが、それと同じことを松本氏は目指していたようです。
「大甲子園」はグランドの中だけで物語が完結するため、細かな設定は必要ありませんが、松本氏の作品はそうはいきません。
そのため本来なら独立した個々の作品を、リンクさせるための作業が大量発生します。その結果、矛盾を発生させることになってしまいました。
ここでは思いつくまま松本氏について色々書いてみようと思います。
この特集を組むにあたり色々調べてみると、手塚治虫氏と接点があり驚かされました。
少年時代に手塚氏と同じ劇場で作品を観ていたこと。
手塚作品の初期の本の収集。
「鉄腕アトム」の製作にも一役かっていたこと。
手塚氏と同じくアニメ製作に深く関わっていたこと。
西崎氏により、手塚氏も松本氏も著作権でダメージを受けたこと。
などです。
松本氏が目指した作品の相互リンク。これはやはり無理があったと思います。
相互リンクの例として「大甲子園」を挙げましたが、この「大甲子園」に出てくる他の作品群は高校3年の夏が描かれていません。
それは最初から相互リンクさせる意図があったからです。
一方の松本氏の作品群は今回の特集で色々調べましたが、元々同じ作品だったハーロックと999が、別々の作品としてTVアニメ化されたため、別の作品として認知されました。
そのため相互リンクさせる際に、矛盾がかなり発生したように思います。
999は各話の前後に関連性がありません。1話完結の話です。
そんな作品を得意とする松本氏が、壮大なシリーズ物を作るのは無理だったのではないかと思います。
ヤマトやハーロックが、続編になると矛盾だらけになってしまうのは、公式には続編という形を取りながらも、実は各々が独立した作品として脳内では作っていたのではないでしょうか。
ですからヤマトやハーロックも、続編ごとに一切関連性がないものとして公式に製作されていれば、もっとすっきりした作品群になったのではないかと思います。
甲子園では松本氏の作品の主題歌が、今でも応援歌として使われています。
松本氏が、甲子園を観ながら「大甲子園」のように相互リンクを思いついたのかも。
あるいは「大甲子園」もハーロックも同じ秋田書店ですから、編集者から何かしら誘いがあったのかもしれません。
これは、あくまで推測です。
ヤマト人気を全て持っていってしまったガンダム。
「さらば」の公開が1978年。ガンダムTV放送開始が1979年。
今思うと、たった1年でここまで変わってしまうものか。と驚かされます。
ガンダムの劇場版公開が1981年ですから、それを考慮に入れてもたったの3年です。
ガンダム人気が高まるにつれ、辻褄のあう詳細な設定がもてはやされ、辻褄のあわないヤマトは続編を作るたびに人気がなくなっていきます。
無理もありません。初代ガンダムの劇場3部作はTV版の総集編。設定を大幅に変えることもなければ、続編でもありません。大筋で整合性が取れているのは当然です。
というかガンダムはミノフスキー粒子をはじめとして、多くの詳細な設定が作中で語られません。
ですから、矛盾は発生しないのです。
受け手(プロアマ不問)が想像した辻褄のあう設定が公式になっていくため、作り手は大筋だけ考えればいいのです。
ガンダムの辻褄あわせは、1作目から何年も経て製作された数多くの続編からです。結果ガンダムワールドは、とても窮屈な世界へと変貌していくのですが。
一方「さらば」で特攻を描いたため、ヤマトパッシングが起こり、しかも「さらば」と同じ年の「ヤマト2」で登場人物が復活してしまったため、受け手も一気に興ざめしてしまったのではないかと思います。
なんだかヤマトが勝手に自滅してしまったようにも思えます。
そこへ後年オウム事件が発生。ますます敬遠される憂き目にあってしまいました。
私は小学生の時に観たという事もあるのですが、ガンダムよりヤマトの方が好きです。
それは泣けるからです。ガンダムは泣けません。
ヤマトは叙情的。感情に訴えかけ、登場人物のセリフは長セリフ。情感豊かに描く。
重厚長大で火力重視。話の進め方もスローで、人類のために大宇宙の巨大勢力と戦う。
音楽も感情を昂らせるため大音量でスロー。続編で使われた歌も心情を歌う歌謡曲。
70年代を象徴した作風で、ビデオ等で観ることを想定されていない作品。
一方ガンダムは叙事的。理性に訴えかけ、登場人物のセリフは短い。さらりと受け流す。
軽薄短小で機動性重視。話の進め方も早く、保身と誰かに勝ちたいために戦う。
音楽もテクノサウンドのような曲で速い曲。続編で使われた歌も詞よりも曲重視のJ-POP。
80年代を象徴した作風で、ビデオ等で観ることを想定されている作品。
そんなヤマトですが、「完結編」が公開される頃には「うる星やつら オンリーユー」でパロディネタにされるまでになり、ヤマトブームは去っていくのでありました。
あー、また、えらい長い特集になってしもうた。。。
ヤマトのことだけ書いてもよかったのですが、一番好きな999のことを外すわけにもいかず、追悼特集のため記憶に残っている作品は全て網羅しておこうと、こんな長い特集になってしまいました。
色々調べれば調べるほど、松本ワールドが混沌としていて、混乱することしかりでした。
そこで製作秘話から原因を探ってみましたが、実情は結構シビアな大人の事情ばかり。
「知らなきゃ、よかった。」
なんてことが、たくさんありました。
子供の頃に熱中した作品だけに、内幕を知ってしまうと辛いものがあります。
しかも、そんな作品の産みの親が、亡くなってしまうのはさびしいものです。
そんな気分に、これまた似合うのが999の名曲。
"あの人はもう思い出だけど、君を遠くで見つめてる。"
"別れも愛のひとつだと。"
"Sayonara, sweet memories.It's goodbye."
ご冥福をお祈りします。
以下のサイトの情報を参考にさせていただきました。
フリー百科事典「ウィキペディア」
映画チラシサイト(画像はここから入手しました。)
ありがとうございました。
ここでは代表作の一つ「宇宙海賊キャプテン・ハーロック」について書いていこうと思います。
TV版1作目。異星人マゾーンから地球を守るために戦う。というお話。
本作でオカリナという楽器を知った方も多いことでしょう。私もその一人。
劇場版1作目。若き日のハーロックを描く。というお話。
トチローやエメラルダスとの馴れ初めやその関係性が描かれます。
作中の冒頭には、2枚羽のプロペラ機に乗った、冒険家ハーロックが登場します。
声優は石原裕次郎です。
おそらく石原氏がアニメの声を演じたのは、これが最初で最後でしょう。
それだけでも貴重な作品です。
一応敵も登場しますが、マゾーンではなくイルミダス。
TV版2作目。理想郷アルカディアを求めて宇宙を旅する。というお話。
放送が1982年とガンダムブームの真っ只中という事もあり、ほとんど観ていないため詳細は不明。
ウィキペディアによると劇場版1作目の続編となる位置づけだそうです。
999の劇場版には、お約束のように登場してくるハーロック。
ハーロックが主役のアニメは、2000年以降に何本か製作されていますが、観ていないので何ともいえません。
シリーズと言うほど作品を観ていないため、TV版もあえてシリーズとして組み込みました。
松本氏の思い入れの強いキャラクターであるにも関わらず、知名度のわりに不遇な扱いを受けてしまった可哀想な作品群。
ウィキペディアによると、TV版のラストは2作品とも宇宙に旅立ってしまいます。
時代の要請に応えられず、地球(TV)には居られなくなった悲しい男の末路に、みえてしまうのは私だけでしょうか。
ここでは「1000年女王」など他の作品について書いていこうと思います。
TV版。地球には1000年に1度、宇宙から女王が降臨してきていた。というお話。
序盤はラーメン屋やら、中学生の主人公という親しみやすい設定で面白かったのですが、異星人ラーメタルが出てきたあたりから興味が失せてしまいました。
「メーテルは実は1000年女王の一人である。」
という設定がTV放送時、私の周りでは、まことしやかに囁かれていました。
後に劇場版も製作されますが、観たか観ていないかもわからないほど、印象に残っていません。
ウィキペディアによると「メーテルレジェンド」という作品の中では、1000年女王はメーテルではなく、プロメシュームであり、メーテルの母親。という設定になっているようです。
ハーロックと双璧をなす女海賊。
OVAに「クィーン・エメラルダス」というものがありますが、観ていません。
知名度があるにも関わらず、ハーロック以上に不遇な扱いを受けてしまった悲しき女性。
元々、出生も定かではありませんでしたが、上述の「メーテルレジェンド」の中では、メーテルと姉妹になり、メーテルの姉になっています。
この追加設定は松本氏が個々の作品をリンクさせ、壮大な物語にしようという構想があったためです。
そんな事もあってエメラルダスは、見方によっては作者にとって都合のいい女。
メーテルよりも悲劇のヒロインなのでした。
ここではヤマトの矛盾がなぜ起きたか。
について時系列に書いていこうと思います。
ここからはウィキペディアの情報と私の独断と偏見による憶測でしかありません。
そのつもりでお読みください。
ヤマトのデザインは戦艦大和をモデルにしています。
下手をすると戦争賛美作品に成りかねません。
そのため松本氏はヤマトを大宇宙を旅する船と考え、戦艦大和にならないよう注意していました。
一方西崎氏はSFやアニメに精通しておらず、ヤマトを商売道具のように考えていたように思います。
そんな事もあってかTV版1作目の第2話では軍艦マーチの使用をめぐって松本氏や若手スタッフと西崎氏は揉めています。
松本氏と西崎氏の対立。これが混沌としたヤマトワールドを構築する最大の原因となっていきます。
そんなTV版1作目は視聴率が不振で打ち切り。
予定されていたエピソードがカットされ、多くの矛盾が発生します。
松本氏と西崎氏の対立もあり、ヤマトの矛盾はTV版1作目で既に始まっていました。
TV版1作目の打ち切りで矛盾が発生したように、ビジネスとして成功していれば、矛盾も発生していなかったでしょう。
西崎氏は、劇場版1作目公開前までヤマトから降板するつもりでした。儲けの出ないビジネスに関わるほど、酔狂でもなかったのでしょう。
ですがそんな事はありませんでした。ヤマトが大ヒットしてしまうからです。
これにより松本氏と西崎氏の対立は続いていきます。
海外輸出のため、TV版1作目を編集し舛田監督により映画化されます。
舛田監督は沖田艦長をメインに据え、TV版で生きていたスターシャは、死んでいた。という編集を行いました。(以下スターシャ死亡編)
これらの編集は上映時間が原因で、矛盾したTV版1作目と整合性の取れない、スターシャ死亡編が出来上がりました。
TV版1作目が不振なこともあり、スターシャ死亡編の公開は1週間の予定でした。
ところが予定外の大ヒット。
これを受けて「さらば」の製作が決まります。
「さらば」の公開前日に劇場版1作目がTV放送されます。そこではスターシャは生存していたことになりました。(以下スターシャ生存編)
それはスターシャ死亡編をTV版1作目と合わせて再編集したからです。
TV版1作目でもスターシャは生存していたため、TV版1作目とスターシャ死亡編との矛盾を解消したともいえますが、今度は、スターシャ死亡編とスターシャ生存編の矛盾が発生してしまいました。
ここまでの経緯を70年代の私は、知る由もありません。
そのため、TV版を観た際は「映画と違うなぁ」と思い、スターシャ生存編を観た際は、「あれスターシャは死んだはずでは?勘違い?」などと不思議に思ったものです。
「さらば」の監督はスターシャ死亡編と同じく舛田監督が務めることになります。
TV版1作目には舛田監督がほとんど関わっておらず、スターシャ死亡編のヒットは舛田監督の手腕によるところが大きいと判断されても仕方ありません。
舛田監督はヤマトを戦艦大和のメタファーと考えていたように思います。
というのも「二百三高地」の脚本家笠原和夫氏と舛田氏が参加した「完結編」が、ヤマトの形をした大和のようになっているからです。
監督は舛田監督に決定。「さらば」で降板し、ヤマトを終わらせるつもりだった西崎氏。
お互いの思惑が一致したのでしょう。
西崎氏のアイデアで「さらば」のラストは特攻になります。
ヤマトを終わらせるには、これしかないからです。
そのため、TV版1作目で生き延びることを重視していた沖田艦長が、特攻を進めるような矛盾が発生します。
また舛田監督作品には続編と呼べるものがありません。
手掛けた作品は1本1本独立した作品と考えていたのかもしれません。
そのため前作との矛盾など気にしていなかったのでしょう。
こうして、ヤマトの形をした大和が、すべての前作を無視して作られていきます。
「さらば」の特攻をめぐって松本氏と西崎氏は再び対立します。
本来なら漫画家である松本氏が新たな漫画作品としてヤマトを描けばよかったのです。
それで済む話でした。
本シリーズ以前にも漫画版とアニメ版が存在する作品はありました。ですが、
漫画は漫画。アニメはアニメ。
微妙に(あるいは大胆に)異なっているのは珍しいことではありませんでしたから。
ところが松本氏はTV版1作目から深く関わっていたため、アニメでヤマトを作ろうとしました。
ヤマトを終わらせるつもりだった西崎氏も松本氏への妥協案として、「さらば」でヤマトを降板し、「ヤマト2」で松本氏の好きにすればいい。とでも言ったのかもしれません。
その結果「さらば」公開前に、「ヤマト2」の製作発表が行われます。
「さらば」のヒットを受けて作られたように思われる「ヤマト2」ですが、製作発表だけは「さらば」の公開前でした。
ここまでは作り手の内輪揉めで済んだのですが、「さらば」が公開されると特攻の描写が問題視されました。
「さらば」が公開された頃は戦争体験者が数多く生きており、戦争がデジタルではなく、生の記憶として息づいていたため、特攻を美化しているとして、批判を受けることになったのです。
同時期の999ではクレアが死んでいますが、これは批判されなかったように思います。
「さらば」だけが批判の槍玉に挙がりました。
クレアが批判されなかったのは、咄嗟の判断で鉄郎を守ろうとしたためです。
誰もそれを防ぐことが出来ず、クレア自身の判断の結果でしかありません。
しかし「さらば」のラストは上官の命令によるものなのです。
誰もが古代を止めることが出来た筈で、古代の意志でもありません。
今観れば「自動航行か遠隔操縦でやれば。」と思う方も多いことでしょう。
これ以降松本氏は登場人物の死に関して、非常に過敏になっていきます。
「ヤマト2」は「さらば」と同時進行で作画されましたが、本格的に作画が行われたのは放送2ヶ月前。
作画スタッフは「さらば」メインで作業していました。
西崎氏は「さらば」が不振なら、ヤマトを降板し、「ヤマト2」の製作を中止すればいいだろう。
ぐらいに思っていたのでしょう。
それが「さらば」がヒットしたため、西崎氏は降板せず、「ヤマト2」を本格的に作り始めます。
上述の特攻の美化をなくすためには、登場人物の死をなかったことにするしかありません。
それは結果として、更なる続編を作ることも可能にします。
特攻の批判をかわしつつ、続編も作ることが出来る。まさに一石二鳥。こんな旨みのある新作はないでしょう。
結果、結末だけを変更した「さらば」の水増し作品「ヤマト2」が完成します。
私は、デスラーが復活した際、ちゃんとした説明があったように、他の人物にも納得出来る理由があれば、「ヤマト2」での復活も受け入れられたのですが、何の説明もないため、一気に興味が失せてしまいました。
今では「さらば」をパラレルワールドで済ませばいい話ですが。
ヤマト以前にもシリーズ物と呼ばれる作品は存在していました。特撮ではゴジラ。アニメではマジンガーZ。実写では寅さん、TV時代劇です。
特撮のゴジラ、アニメのマジンガーZは、続編ごとに主要登場人物が入れ替わります。
一方寅さん、TV時代劇は、人物がほぼ同じ。ヤマトも同様です。
ところが寅さんやTV時代劇には、ヤマトのように西暦何年という明確な設定はありません。
ここがヤマトの斬新さではあるのですが、この細かな設定があるが故に、その矛盾が露呈することになってしまいました。
細かな設定を初めて導入したのがガンダムのように思われてしまうのは、ヤマトの詳細な設定が形骸化してしまったからなのです。
特撮やそれまでのアニメのように主要人物を変え、細かな設定をアバウトなファンタジー的なもので続編を製作すれば、ここまでの矛盾は発生していなかったでしょう。
事実松本氏による「永遠に」の原案では、古代達の子孫の話で、西暦何年という明確な設定はなかったのですから。
これ以降の続編は、ここまでのことを繰り返すだけなので、詳しく書きません。
松本氏と西崎氏の対決、商業主義、上映時間、ヤマトの形をした大和、前作の無視、続編のための続編、細かな設定の弊害。
矛盾した世界観を、さらに矛盾した世界観で追加し上書きする。
こうして混沌としたヤマトワールドが構築されていくのでありました。
SPECIAL BOX。
第27弾は、「松本零士」特集です。
去る2023年2月13日に松本零士さんが亡くなられました。追悼の意味を込めて急遽特集を組むことにしました。
最初に断っておきますが、松本零士さんが参加した作品を全て観ている訳ではありません。
私が観たことのある作品についてのみ書いていこうと思っています。
そのつもりでお読みください。
それでは、お楽しみください。
この他に「宇宙海賊キャプテン・ハーロック」「惑星ロボ ダンガードA」などのTVアニメ作品、OVA作品や、「男おいどん」「戦場まんがシリーズ」などの漫画作品もあります。
ここでは代表作の一つ「宇宙戦艦ヤマト」について書いていこうと思います。
地球滅亡までの1年間で惑星イスカンダルまで往復し、地球を助ける。というお話。
昔々。私がまだ小学生だった頃。
TV版は、放送していましたが観ていませんでした。
劇場版が公開され、人気が出たため映画館で初めて鑑賞しました。
そのため沖田艦長が亡くなるのを知らず、艦長の最後に涙したものです。
漫画も購入し、初めて松本零士作品を読みました。
当時は1巻しかありませんでしたが、漫画版は劇場版とほぼ同じ。途中がごっそり省略されていました。
その後TV版の再放送を鑑賞。
反射衛星砲の仕掛けに感心し、「すげぇ。」と思いました。
デスラーも最初は部下に容赦ない暴君で、徹底抗戦を主張する好戦的な人物として描かれ、後の作品群に登場してくるような雰囲気は微塵もありません。
また、後にデスラー戦法と呼ばれるワープを使った戦い方も、元はドメル将軍が発案者だったという、劇場版で省略されていた様々なことが判明したものです。
後年実写版が公開される頃に、観る機会を得ましたが、その時の感想を書いておきます。
劇場版の主役は古代進ではなく、沖田艦長。
特に「前門の虎、後門の狼」状態で、「毒を持って毒を制す」作戦を指揮するあたりは秀逸です。
ガミラス本星での決戦も艦長の指示をクルーが忠実に実行したに過ぎません。
一方、古代は艦長の命令を無難に実行し、森雪とイチャついているチャラ男でしかありません。
おそらくこんな感想を持ったのは、自分がある程度年齢を重ねたため、古代ではなく沖田艦長に感情移入したからだと思います。
そういったことを踏まえると、大人になった頃に観ても色褪せないのが1作目の魅力です。
前作の人気を受けて製作された続編。ある意味完結編。
惑星イスカンダルの旅から数年後、今度は白色彗星が地球を襲う。地球を助けるため再びヤマトは旅立つ。というお話。
やっと古代進が主人公らしくなっていきます。
安彦良和氏による劇場版の「断じて違う」は名シーン。
ここでヤマトは終了させるべきでした。
後にラストが異なったTV版2作目「宇宙戦艦ヤマト2」が放送されます。
ここからは内容を、ほとんど覚えていません。
ガンダム人気もありますが、前作の劇場版で「これでヤマトは終了です。」みたいなテロップを出しておきながら続編を製作。
しかも死んだはずの登場人物がほとんど生き返っている状態に興醒めしてしまいました。
それでも古代進と森雪が離れ離れになるシーンは必見。
情感あふれる手の芝居が秀逸です。
後にTV版3作目「宇宙戦艦ヤマトIII」が放送されます。
もう無茶苦茶。前作で倒したはずの暗黒星団ともう一度戦う話。
元々はTVの特番だった作品で、放送されたのは「ヤマト2」と「永遠に」の間。
ですから本来は「ヤマト2」の続編となるのですが、「永遠に」の後に劇場公開したため、こんなおかしな事になってしまいました。
沖田艦長が復活しただけで、私的にはNG。
映画館で流した涙を返してくれ。と言いたくなるからです。
一部の熱狂的なファンのために、古代進と森雪の結末を見届ける作品となっています。
後に「宇宙戦艦ヤマト 復活編」が公開されます。
「完結編」から数十年ぶり製作された実写版。内容は劇場版1、2作目のハイブリッド。
デスラーをはじめとするガミラス星人を意識の集合体のようなものとして描いた点は目新しかったのですが、それ以外は蛇足だらけ。
最新テクノロジーが結集した宇宙戦艦にしたため、攻撃がほぼ全自動。アニメ版の手作業で操船するヤマトの魅力はどこへやら。
またガラスが割れる音と共に艦内が爆発する演出もない。
PTAが校内暴力を助長すると言ったかどうか知りませんが、ヤマトの爆発音でガラスの割れる音は必須です。
爆発音にもめげずに人が必死で目的を達していくのがヤマトのヤマトたる由縁。
一方でコスチュームはそのまま再現。70年代は矢印のコスチュームでも問題ありませんでしたが、2010年にこのコスチュームでは、さすがに無理。同時期の2次元作品を観ていればわかりそうなものです。
これでは、ただの仮装パーティです。
変更すべき所と、変えてはダメなところを履き違えてしまいました。
TV版の「宇宙戦艦ヤマトIII」は、序盤だけは面白かったのですが、最後どうなったか忘れています。
リメイク版は、ヤマトというよりガンダム。
時系列的にもリメイク版はガンダムの後発なので、どうしてもガンダムの影響を感じてしまいます。
他に「復活編」、シド・ミードによるデザインのものもありますが、私が観ていないので、なんとも言えません。
2作目の「さらば」で止めておけば名作のままでいられたのですが。。。
続編を作れば作るほど混沌としたヤマトワールドが構築されていきました。
一応今回の特集を組むにあたり、ウィキペディアで調べた混沌としたヤマトワールドを整理しておきます。
作品を極力矛盾なく観るなら、
劇場版1作目TV放送版。
TV版2作目(ヤマト2)。
TV特番(新たなる)。
劇場版3作目(永遠に)。
TV版3作目(ヤマトIII)。
劇場版4作目(完結編)。
となります。
「さらば」に感動した方には物足りないシリーズになってしまいますが。
今では西崎義展氏の著作物となっているヤマトですが、松本氏を一躍有名にした作品であることに変わりないため取り上げました。
ここでは代表作の一つ「銀河鉄道999」について書いていこうと思います。
殺された母の復讐を果たすため、主人公星野鉄郎は999に乗る。というお話。
ヤマト人気絶頂の頃、TV版が放送され、満を持しての劇場版。
星野鉄郎の顔を変更し、少年の成長物語として描きました。
渡っている最中に橋が崩落するアクションシーン。
女性の手を握る少年。それにハッとする女性。
そしてキスで驚く少年。
これまでのTVアニメでは描かれなかったようなシーンが数多く存在しています。
ラストには漫画版ともTV版とも異なるアルカディア号に乗ったハーロックも登場。
エメラルダスも登場し、松本零士キャラ総出演という豪華さ。
エンディングはゴダイゴの歌う「銀河鉄道999」。
歌詞の内容が作品の内容と、これ以上ないほどシンクロ。
実はこの曲。希望に満ちているため、応援歌のように扱われがちですが、歌詞の内容からもわかるように失恋ソングなのです。
同時期の海援隊の「贈る言葉」と同じ扱われ方です。
この作品を世に出すため松本零士氏とりんたろう氏は生まれてきた。と思えるほどの完成度。
余談ですが橋が崩落するシーンは後に宮崎駿監督が「ナウシカ」の中で戦車が橋を渡るシーンで真似しています。
前作の人気を受けて製作された続編。事実上完結編。
地球で機械化人と戦っていた鉄郎は、メーテルのメッセージを受け取り、再び999に乗る。というお話。
前作が名作すぎるがゆえに、続編を作ることの難しさがよくわかる作品。
前作と同じようにラスト、ハーロックやエメラルダスも登場してきますが、さすがに2度目は1度目ほどの興奮もないまま終了。
救いはラストに流れる「SAYONARA」でしょうか。
前作から数十年ぶりに製作された続編。
地球で鉄郎は囚われの身になっていた。そこへメーテルのメッセージが。再び999に乗る。というお話。
鉄郎の顔が漫画版、TV版と同じに。
地球から旅立つ際には線路が破壊されてしまい、鉄郎は二度と地球には戻って来られないのでは?
という、なんとも波乱に満ちた幕開けをし、ラストはヤマトの後ろ姿が映るカットで終了。
続編が作られるような期待をさせつつ、その後は映像化されませんでした。
2000年以降にOVAやTV版、実写版も製作されましたが、私が観ていないので何ともいえません。
2作目以降、長く続編を製作しなかったため、ヤマトほど混沌とすることはありません。
3作目のエターナル・ファンタジーを知っている方は少ないのではないでしょうか。
あー、また、えらい長い特集になってしもうた。。。
今回はTV版がメインの特集となってしまいました。
しかし26年も前の作品なので思い出すのが一苦労です。
シト新生あたりから庵野監督作品とは心理的に一定の距離があります。好きな所もあるが、期待を裏切り、観るに耐えないことがあるからです。そのため私には観る前にある程度心の準備が必要な作品群なのです。
もっと早く特集を組んでもよかったのですが、未完のものをとやかく書くのもいかがなものかと控えていました。
一応完結したということで特集を組んでみました。
気がつけばパクリの宝庫だった作品が、今度はパクられる側に回っています。なんだか時の流れを感じてしまいますね。
以下のサイトの情報を参考にさせていただきました。
ありがとうございました。
ここでは連想した作品群を紹介しておきます。
もう昔昔の話なので、書いているこちらも時系列がはっきりしません。本作と出会う前に観ていたのか、本作と出会ったから観たのか、今となっては判然としませんが、本作から連想した作品をいくつか紹介しておきます。
スーパーロボットマジンガーZとドクターヘル率いる機械獣との戦いを描く。というお話。
がっつり昭和にTV再放映時に観る。
エヴァとの共通項(特にTV版)は毎回違う敵と戦うため、秘密基地から発進し、父の作った主役メカにその息子が乗り、時には仲間と一緒に、一箇所を守って戦うこと。
マジンガーZと同じ永井豪原作のアニメ版。
悪魔でありながら人類のために仲間を裏切り戦う。というお話。
がっつり昭和にTV放映時に観る。
エヴァとの共通項(特に旧劇場版)。デビルマンのアニメ版では、好きな女の子のために戦うこと。漫画版では、カヲルがサモトラケのニケに座ってシンジと語るシーンと、数多くの残酷描写があること。(ワンシーンのみで連想してしまうとキリがないなあ。)余談だが永井豪作品だけに残酷描写があるように思われがちだが、そんなことはない。
怪獣から地球を守るためやってきた異星人の活躍を描く。というお話。
がっつり昭和にTV放映時に観る。
エヴァとの共通項は活動限界とメカデザイン。
他にもウルトラセブンなどの特撮ものを彷彿とするが、あまりに細かくなるので、多くの方が指摘するように帰ってきたウルトラマンのみとした。
宇宙に人類が移民するようになった世界で主人公アムロ・レイが最新鋭機ガンダムで戦う。というお話。
がっつり昭和にTV放映時に観、後に映画館でも鑑賞。
エヴァとの共通項は数多くの作品用語。難解なSF作品。
詳しくは機動戦士ガンダム特集を参照。
作業用ロボット(レイバー)による犯罪を取り締まるため設立された警察組織の活躍を描く。というお話。
本作の前にレンタルビデオにて鑑賞。
エヴァとの共通項はミステリー要素とキリスト教の用語。コンピューターウイルス。
おそらくエヴァにもっとも影響を与えた作品だと思われる。
詳しくは機動警察パトレイバー特集を参照。
横溝正史原作の同名小説の映画化。
犬神家で発生する連続殺人事件に名探偵金田一耕助が挑む。というお話。
がっつり昭和にTV放映時に観る。
エヴァとの共通項(特にTV版)は縦横書き明朝、死体のマネ、謎解き要素。
多くの人類が滅んだ世界で主人公ナウシカが活躍する。というお話。
がっつり昭和にTV放映時に観、後に映画館でも鑑賞。
エヴァとの共通項は多くの人類が滅んだ世界。巨神兵のデザイン。
石ノ森章太郎の同名漫画のアニメ化。
黒い幽霊団(ブラックゴースト)を裏切り、黒い幽霊団と戦うサイボーグたち。というお話。
がっつり昭和にTV放映時に観る。
何度となくアニメ化されているが、ここでは金田伊功の描くオープニングがある作品。
エヴァとの共通項はオープニングにおける映像と曲とのシンクロ。神と人類が戦う話。
平井和正原作の同名小説のアニメ映画化。石ノ森章太郎との共作ともいえるが、製作が角川春樹なので小説を売るためのメディアミックス戦略から言えば小説版を原作とするのが妥当だろう。
宇宙より飛来した敵(幻魔)と超能力者が戦う。というお話。
公開時に映画館で鑑賞。
エヴァとの共通項はカセットテープがしっかり回っているなど写実的な描写があること。
殺された母の復讐を果たすため、主人公星野鉄郎は999に乗る。というお話。
がっつり昭和にTV放映時に観る。
エヴァとの共通項(TV版と旧劇場版)は主人公と大人の女性とのキス、少年の成長物語。
ガンダムの富野監督によるSFロボットアニメ。
異星人と地球人とのファーストコンタクトが最悪の形で進展していく。というお話。
公開時に映画館で鑑賞。
エヴァとの共通項は旧劇場版の登場人物たちのラスト。エヴァの残酷描写として登場人物たちのラストは取り上げられることが多いが、この作品の方がよほど残酷。
また「DEATH AND REBIRTH」の公開はこの作品の公開方式を真似たのかもしれないが、「DEATH AND REBIRTH」が作品として呈を成していないので論外。
日本初のアニメブームの火付け役といわれる作品。
地球滅亡までの1年間で惑星イスカンダルまで往復し、地球を助ける。というお話。
公開時に映画館で鑑賞。
エヴァとの共通項(特に新劇場版Q)は戦艦の発進シーン。一つ一つ作業を確認しながら進んでいく。今観るととてもアナログ。しかしこのアナログ感がヤマトの魅力。ラピュタと同じく機械を人間が操作している感じがいいのだ。
ヤマトの続編であり、ある意味完結編。
惑星イスカンダルの旅から数年後、今度は白色彗星が地球を襲う。地球を助けるため再びヤマトは旅立つ。というお話。
がっつり昭和にTV放映時に観る。
エヴァとの共通項(特にシン・エヴァ)は登場人物の死。一人一人亡くなっていく。裏宇宙というのも、反物質のテレサみたいだ。ある世代にはエヴァよりヤマトの方が感動的。
ガンダムの富野監督によるファンタジーロボットアニメ。
異世界バイストンウェルで主人公ザマ・ショウがダンバインで戦う。というお話。
がっつり昭和にTV放映時に観る。
エヴァとの共通項(特にシン・エヴァ)は虚構と現実。
私が初めてTVアニメをビデオで第1話から最終話まで通して観た作品でもある。この作品が生まれた頃は、ビデオで作品を観る人もまだ少なかったのだろう。とにかく毎回意味もなく戦闘シーンがある。戦闘が始まっても弾薬が切れて攻撃不可能となり、すぐに撤退する敵軍。
TV放送では1週間の間隔が空くので、気にならないが一気観などすると無駄にテンションを上げるための客寄せパンダでしかないことに気付かされる。
それを知ってか知らずか、エヴァでは敵である使徒が登場しない回がTV版にはある。TV作品がビデオ化され、一気観されることをエヴァはすでに想定していたのかもしれない。もちろん作画スタッフの労力との兼ね合いもあるのだろう。余談だがガンダムよりこの作品の方が私は好き。
つかこうへいの同名舞台の映画化。
かつての人気映画スター。スターの愛人。スターの付き人。が映画界を舞台に織り成す人情悲喜劇。というお話。
がっつり昭和にTV放映時に観る。
エヴァとの共通項(特にシン・エヴァ)は虚構と現実。
私の中で、初見時以降ずっと駄作扱いだった。ラストシーンが気に入らなかったからだ。後年TVで観る機会があり、この作品が舞台作品の映画化であることを意識して観てみると、実によく出来ている。ラストシーンもすんなり受け入れられるようになった。
虚構と現実というテーマを扱う作品や、脚本に文句をつける意見をネットで目にすると、いつもこの作品を思い出す。
完成した映像が、必ずしも脚本通りとは限らないことを明確にこの作品は表現しているからだ。
突如として出現したブラックホールから地球を守るため、木星を破壊する。というお話。
公開時に映画館で鑑賞。
エヴァとの共通項は第三新東京市の名前の由来。そしてシン・エヴァでの曲。
本作のスタッフでもある摩砂雪によるロボットアニメ。
何かのアニメ作品の宣伝の中で見つけたOVA作品。
キャッチコピーは「これがアニメーション?これがアニメーション!」
本作の前に観たのか、本作の後に観たのか判然としない。
摩砂雪の名前を覚えていたので、本作を観る前に観ていた可能性が高い。
エヴァとの共通項は摩砂雪。庵野総監督の影に隠れて目立たないが、作画のクオリティはこの頃から完成されている。
この作品は2時間ほどで終了してしまうので、作画量も少なくてすむが、TVアニメのエヴァでそれを実現するのはキツイと思っていた。しかしエヴァの作画の質は劣化することなく最後まで維持されていた。上述の戦闘がない回のおかげ、と言ってしまえば、それまでなのだが。
本作のスタッフでもあるあさりよしとおによるSF漫画。
本作前に何話かは読んでいた。
エヴァとの共通項はスタッフのみ。
高橋留美子の同名漫画のTVアニメ化。
がっつり昭和にTV放映時に観る。
エヴァとの共通項はラブコメ要素、パクリ満載、スタッフ。
本作のスタッフ(TV版、新劇場版:序)もりやまゆうじ参加作品。
架空の世界で宇宙を目指す宇宙飛行士たち。というお話。
公開時に映画館で鑑賞。
エヴァとの共通項は本作と共通するスタッフが数多く名を連ねていること。
内容はエヴァとは似ても似つかぬ作品。地味だが、いい映画。
庵野総監督のOVA作品。
本作の前にレンタルビデオにて鑑賞。
一応観ているのだが、内容を覚えていないため、あらすじはない。
などによる。いい印象がない。
エヴァとの共通項はタイトルからも窺えるが、パクリが多く散りばめられていること。
タイトルのパクリの元ネタは「トップガン」と「エースをねらえ」
庵野総監督のTVアニメ作品。
ジュール・ヴェルヌの「海底二万哩」をアニメ化。
ブルー・ウォーターという謎の石を巡る冒険活劇。というお話。
本作の後にレンタルビデオにて鑑賞。
エヴァとの共通項はアダムの他、エヴァと同じく多くのパクリが存在する。
宇宙からのメッセージを調べるため木星に向かう。というお話。
本作の後にレンタルビデオにて鑑賞。
エヴァとの共通項は難解なSF作品であることと、太陽、地球、月の直列のシーン。
SF作品が目指す一つの到達点。ルパン三世の劇場版第1作でも直列のシーンが登場し、TV版初代ガンダムのオープニングにも似たような映像が登場する。
ナレーションを廃し、セリフを無くし、登場人物の感情表現を押さえ込ませ、映像のみで映画を作るとこうなる。
エヴァを考察する暇があったら、この作品の考察をして欲しい。公開から50年以上経っているのに今だに答えが出ていない。正解を導き出したらノーベル賞ものだと思う。
誰かのブログに、この映画は感じる映画だという記事があり、妙に納得した。理解しようと思うから、おかしなことになる。「Don't think. Feel.」この映画は感じる作品なのだ。
今回の特集を否定してしまうことになるが、そんなこともあってエヴァに関する考察記事は読むのが馬鹿らしくなる。
パクリの宝庫とも言われるエヴァンゲリオン。上記の作品群のどこをパクっているのかというトリビア的な作品群として認知する方もいるかもしれません。
私としては本作の特集を組むにあたり、連想した作品の列挙という意味合いが強く、あくまで私の独断と偏見によるものです。
一方で最初に観た作品がパクリであっても、ある人にとっては初体験かもしれません。その映像体験が強烈であればあるほど、どんなに時間軸では先に世に現れていても、初体験の衝撃は記憶から消えることはありません。
例えるなら、恋愛映画や恋愛ドラマに感動した人が源氏物語を読んだら、源氏物語がパクリに思えてくるでしょう。
ですから、これらの作品群をエヴァンゲリオンより後に観られる方は、エヴァンゲリオンのパクリに思えてくるかもしれないことをあらかじめ伝えておきます。