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管理人Alphonseが観た映画の感想を書いているブログ。
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ここからは1話2話以降について書いておく。
さすがに1話2話のように細かく書いていく気はない。記憶に頼りながら書いているので、TV版での登場の時系列などバラバラだと思う。お許し頂きたい。
よく出来た作画と没入度の高い演出の仕掛けにまんまと引っかかってしまった後、数話を観る。
アスカ登場。往年の熱血ロボットアニメ調に。2体同時攻撃の回が私は好き。新旧劇場版にはない。死体のマネをしたり、トウジとの友情物語やレイの笑顔があったりして、どんどん親近感が増す。
工事現場のボーリングの音にウルトラセブンを彷彿。メトロン星人との対決シーンも連想。委員長の家族の名前が何気に新幹線になっている小ネタに気付いたりもする。
それでも何話の頃からか意味不明感がどんどん強まってくる。
ATフィールド、活動限界はまだなんとかなったが、リリス、リリン、使徒、人類補完計画。他多数。私にはリリス、リリンが特に意味不明。似た単語であるから混同してしまう。その上に馴染みがない。連想するものも出てこない。
数話みるとアダムが登場。アダムとイヴのイヴを連想するが、主役メカはエヴァ。すでに使われている(※1)から重複する。どういうこと?
※1)エヴァはイヴではなく福音(書)のこと。そしてリリンは人類をさす。リリスはざっくりいうとイヴ。だがそんな事は後に知る。
そのうち「魂のデジタル化はできません」とリツコのセリフ。何?魂。エヴァにアダムに魂。愈々ロボットアニメ感がなくなってキリスト教的世界観が増してくる。
エヴァをロボットと思い込んで観ている私には、違和感しかない。何故に勝手に暴走して動き出すのか。レイ(※2)にしても同じく人間だと思い込んでいる。何故に「三人目」とか言っているのか。謎は深まるばかり。
※2)レイは人間ではない。クローン人間である。それそれの個体で記憶が違うため、シンジに冷たかったり人間世界に疎かったりする。それがわかるのも後のこと。
こんな違和感だらけの作品。TVで人気が出るはずがない。途中で視聴をやめてしまうだろう。しかも詳細な書類描写が一瞬しか映らない。何が書いてあるかわからないまま次のシーンへ進む。サブリミナル効果の嵐に至っても同様。
ビデオならそんな事はない。一時停止という便利なものがある。1話2話にはサブリミナル効果の嵐がない。後半になって発動する仕掛け。何度でも観てしまう。
視聴を止めようかとも思った。話数的にも後半に入ってきている。内容もかなりシリアス路線に変更。ここまできても謎は増える一方。減る気配がない。そんな中エヴァの食事シーンを観る。
何?ロボットが食事。んなわけない。エヴァはロボットではないのか。生物?やっと一つ謎が解ける。この調子では話数的にも謎は解明されそうにない。
ええい。めんどう臭ぇ。ネタばれ覚悟でインターネットに接続。謎解説サイトを食い入るように読む。旧劇場版公開前だったが、見事な名推理だった。
既出だが、エヴァは人造人間。
ATフィールドは心の壁。他人との境界。
使徒は生物の進化の過程。そのためイカのような使徒が登場し、最後の使徒カヲルは人型なのだ。
「父と子と精霊の名のもとに」というキリスト教の文言から、父はゲンドウ。子はシンジ。精霊のレイ。そして聖母でありミサの意味をもつミサト。という人名に関する推理。
キリスト教的世界観からすると、これ以外の推理はありえないというものだった。
人類補完計画に関してもゲンドウが目指すのはユイとの再会。一方ゼーレの目指すのは不完全な人類を完全なものにする計画で別物である。というこれまた見事な名推理。
憑き物が落ちるとは、こういう状態をいうのだろう。
色々な謎が氷解。その他の細かいことまでは気にしていられない。世界観や細かな設定の辻褄が合わないことなどガンダムで経験済みだ。後からなんとでも言える。それがSF作品とロボットアニメがダメになった最大の原因でもあるのだが。
謎はすべて解けた。観るべきものはない。あとは人物に感情移入するしか見所がなくなってしまう。TV版が謎解き要素満載作品から、少年の成長物語へと私の中で変貌する。友人を守るために戦うシンジ。TV版ではトウジがエヴァに乗る。そのトウジを殺してしまう初号機。
鬱状態になってからサブリミナルの嵐。主人公への没入度がどんどん深くなっていく。
ネタばれ記事を観た手前、最終2話が物議を醸したのも知っていた。そのうち深夜アニメでエヴァの再放送が始まる。労せずして2回目視聴する。
エヴァが人造人間にしか見えてこない。そりゃ暴走もするわな。ATフィールドの意味を知ってから、リツコが話す山嵐のジレンマの話も違和感がない。元気一杯のアスカよりもミサトとリョウジばかりに注目がいく。世代的なものが原因だろう。本作の中ではTV版の頃からミサトがお気に入り。
しかし新旧劇場版を観てしまうとミサトは999、ヤマト、ウルトラマン世代のためにサービスしていたように思えて仕方ない。
深夜アニメで再放送されたためか、最終2話はレンタル店で長い間レンタル中だった。なんとか視聴。鬱状態になってからサブリミナルの嵐。次回予告も台本が書かれているだけ、作画が間にあわなかった(※3)とみえる。
※3)これも仕掛けの一つ。それを知るのも後年。
なんだかんだしている内、朝の食卓シーン。まさかの夢オチ?学園ラブコメの呈を成す。それは一つの可能性でしかなかった。SF風にいえばパラレルワールド。どんどんシンジの心理描写に肉薄していく。
次にゲンドウの声で「不自由をやろう」と地平線が描かれる。
それは、自分以外なにもない自由な空間に地平線が現れることで不自由が生まれるとしている。
ここから他者が現れ、軋轢が云々。。。
と自他の概念が描かれる。
というのが一般的なエヴァの解釈。しかし私の解釈で行くと、絵心のある人ならわかると思うが、登場人物だけ描いているとすごく自由なのに風景を描くととてつもなく窮屈になる。
自由奔放に画面で暴れまわっていた人物が背景を入れただけでとてつもなく窮屈そうになってしまう。
おそらく風景で東洋か西洋か過去か未来かを限定してしまうからだろう。
今でもここのシーンは作画のことだと思っている。
何の情報も設定もなにもない自由な状態。そこへ地平線が現れる。大地に立つ人型。これで上下天地が発生する。自由から不自由になる。背景を詳細に書き込む。設定をどんどん追加する。情報をどんどん追加する。ますます不自由になる。窮屈になる。閉塞感が増す。
2次元で書かれたものが、CG黎明期のようなドット絵から、ポリゴンで描かれ、3DCGで書かれていく。「インサイド・ヘッド」にはその逆が登場する。大林監督の「時をかける少女」には「知らないほうがしあわせだ。ってこともあるんだよ。」というセリフが登場する。
こんな面倒臭い解釈は私だけかも。TV版の中身に戻ろう。自他との境界を意識し、誰かに迎合する必要もないことに気付くシンジ。
ラストは自分の殻が少しづつ割れて、自分を認めていくシンジ。私はこのTV版のラストが感動的でバックに流れる主題歌と共に大好きだ。そのため今だにTV版は少年の成長物語だと思っている。
ここからはTV版の頃を当時のアニメ事情や製作事情の点から書いておく。
とあるブログで本作の「犬神家の一族」の字体を引用し、アニメを観ているんじゃない。ミステリーを観ているんだ。と誤魔化した。という文章をみたことがある。それぐらいアニメは今ほど市民権がなかった。
しかしこの作品が人気になるや否や、野に埋もれたアニメファンたちはこれまでの鬱憤を晴らすかのように熱狂した。これがこの作品に人気が出た理由の一つ。
TV版が放送された頃、アニメの潮流は変っていた。ガンダムブームは去り、SFはうる星やつらのラブコメ路線に変更。宮崎駿作品が人気になり始め、金田一少年の事件簿や名探偵コナンが出てきていたはずだ。SFは過去のものとなり、ファンタジー路線やミステリー路線が人気を博していた。
そんな中、本作は放送された。本格SFを目指した筈だが、なんとか人気を得ようとラブコメ要素と謎解き要素満載になっている。ロボットアニメ自体がオワコンになっているのだから、今思うと放送開始時からすでに本作はオワコンだったと言えなくもない。
監督は庵野秀明。オネアミスの翼のスタッフだ。オネアミスの翼は、日本最高峰のアニメクリエーターによるアニメ。という宣伝文句につられ、映画館に観に行った。ロケット発射シーンは凄かったが、地味だった。今思うと結構いい映画だったように思う。それには四半世紀以上必要なわけだが。
その後トップをねらえを観るがいい印象がない。ラストは映像だらけで難解。一見さんお断り。お得意様だけにみせるような作品だった。まぁ無理もない。OVA作品であるから一般受けを狙う必要はないのだ。
後年ウィキペディアを読む。オネアミスの翼が興行的に不発だったため、ロボットと美少女を出したら人気が出たらしい。
これで庵野監督の方向性は決まってしまった。本当に作りたかったものはオネアミスに違いない。しかしそれでは飯が食えないので、アニメファンに媚びる作品を作るようになる。パクリ上等。ラブコメ路線にお色気シーン。サービス。サービスだ。
トップをねらえの人気からかナディアを監督。
前半は普通に冒険活劇。後半はパクリオンパレード。アダムもここから登場。
その後に本作。ナディアはNHKということもあってCMもなく清く正しく放送規制一杯の作品。
その反動なのだろう。エヴァはCMを効果的に使い、CM前では思わせぶりオンパレード。
わざわざCM直前、あるいは直後(どちらだったか忘れた。)に黒バックの白文字で意味深な英語を挿入。
そして残酷描写テンコ盛り。劇場版になってさらに規制が緩くなったため、TVでは放送できないシーンをこれでもかと盛り込んでくる。
残酷描写で思い出したが、使徒の首を絞める必要はない。コアを狙うべきであって、首を絞めるのは変な描写。しかしそれでは没入感の仕掛けが発動しないので、首を絞める。やれやれ子供だましもいいとこだ。
そんなエヴァも、途中からアニメファンに媚びることを止めた。TV版がビデオレンタルされ人気を博し劇場版が決まったころからだろう。一部には媚びるが突き放すときには突き放す。大人になれシンジ。といった所か。
TV版ではなく旧劇場版の話になってしまうが、アニメファンに強烈な一発を見舞ったために、僕の期待を裏切ったとばかり、否定的な意見も噴出する。味方であったエヴァが敵になる瞬間だ。2項対立構造の作品群ばかり観ていると尚更だ。
一方で大人には砂糖たっぷりの甘い結末ではない、少しほろ苦い、渋さも感じる結末が深い内容だと話題になり、社会現象化していくのであった。
ここでは劇場版について書いておきます。と言ってももう書くこともない。CINEMA BOXの感想を引用すると二度手間なのでリンクだけしておきます。
TV版が人気を博し劇場公開決定。どんな作品になるかと足を運ぶも総集編にもなっていない。特にTV版で感動的なラストを観ていただけに、シンジの変りように激昂。金返せといいたくなった。副題はシト新生。
鑑賞直後の感想。
通常旧劇場版はこちらのことを指す。夏エヴァともいう。TV版の謎を解説するため作られたらしいが、TV版の頃からあった脚本。映像化されていなかっただけらしい。副題は、Air/まごころを君に。
鑑賞直後の感想。
リメイクともリブートとも言われる。装いもあらたに始まった。
鑑賞直後の感想。
マリが本作から登場。そのためTV版とは少し違った展開をみせる。
鑑賞直後の感想。
TV版とは完全に異なる展開。まさに新劇場版と呼ぶにふさわしいのはここから。
鑑賞直後の感想。
新劇場版の完結。
鑑賞直後の感想。
ここからは後年になって色々とわかったことも踏まえて、TV版第1話、第2話について書いていこうと思う。
名作と呼ばれるTVアニメは第1話が伝説的な扱いを受ける。視聴率はすこぶる振るわなかったとしても、その後の人気の影響で第1話が凄いものに見えてしまうのだ。
今から思えばやはりこの第1話、第2話、つい観てしまうような仕掛けが用意周到に張り巡らされているように思われる。
まんまとその仕掛け(罠、沼とも言う)に私はハマったわけだ。
ガンダムと同じようなロボットアニメと誤認した時点で既に罠にハマっている。エヴァはロボットではない。人造人間である。初代仮面ライダーのような人間サイズだけが人造人間と思い込んでいるから意味不明になる。鉄腕アトムと鉄人28号。どちらもサイズは違うがロボットである。それと同じで初代仮面ライダーとエヴァはサイズは違うが人造人間である。
そんなことが判明するのは数話先。(というかオープニングだかビデオパッケージに人造人間と書いてある。ボーと観ているから気がつかないのだ。)毎回違う敵と戦うため、秘密基地から発進し、父の作った主役メカにその息子が乗り、時には仲間と一緒に、一箇所を守って戦う。これだけマジンガーZと共通項があればエヴァをロボットと誤認してしまうのも無理はない。
戦闘が1回で決着がつくと思い込んでいる。帰ってきたウルトラマンでは散々2回に分けて戦っていたにも関わらず、それをすっかり忘れている。これもガンダム効果。ロボットアニメがガンダムしかなくなってしまったから、その物語展開以外は新鮮に思えてしまうのだ。
使徒、ATフィールド、活動限界といった作品用語。意味不明なので、作中で解説されるのを待つか、調べるしかない。しかしこれは諸刃の剣で、ネタバレしてしまう危険を過分に含んでいる。結局解説されるだろうと期待して続きを観てしまう。
TVアニメはほとんど全て演繹法で描かれる。サザエさん、ドラえもん、宮崎駿作品。。。
ところが本作の第2話は帰納法が使用されている。いきなりベットで目覚めるシンジ。第1話のラストを完全に放棄していきなり違う話から始まる。
演繹法の作品しか観たことのない人には帰納法への免疫がないので、面喰らう。訳が分らないから、TVアニメなら、そこで観るのを止めてしまうかもしれない。そのため視聴率は取れない。
一方ビデオ(今[2021年]なら有料配信)から本作を観はじめた人は、少なからずお金を払って視聴している。最後までは観ておこうという気にはなる。また好奇心の強い人や探究心の強い学者肌の人なら訳がわからないものをわかろうとし、理解しようとする。本作のファンに高学歴の人が多いのもうなずける。
演繹法によって時系列に語れば何の変哲のない事件も、帰納法で語れば大事件になる。そのためミステリー小説は大半が帰納法で書かれている。真犯人を求めて最後まで読んでしまう。同じように第2話では戦闘の決着が気になるので最後まで観てしまう。このミステリー仕立ての手法はTV版で随所に登場する。
どんなに巧妙な仕掛けを施しても作画のクオリティが低ければ仕掛けが上手く機能しない。
アニメは小説じゃない。映像だからだ。上手とか下手とかそういったことも重要だが、アングルなどの表現手法も大事。
本作の第2話は新劇場版:序と一部重複している。記憶として新劇場版:序の方が新しいので、そちらを参考にするが、おそらくTV版も同じだと思われる。
暴走し、使徒に反撃を開始するエヴァは画面に向かってくる。最後のカットはエヴァの目である。ここまで画面近くに寄ってくる必要はないと思われるが、画面に向かってくる。
同じ手法を宮崎駿監督は天空の城ラピュタで、スピルバーグはジュラシック・パークで使っている。
その昔、3D映像というものが流行った。赤と青の眼鏡をかけて映像を観ると画面から飛び出たように観えるというものだ。その影響かもしれない。その時もやたら画面に向かってくる映像が多用された。今(2021年)はVR映像で多用される。とにかく画面に向かってくる。この手法は緊迫感あるいは親近感が増すので、つい映像にひきこまれてしまう。
他にも風に揺れる電線。土煙。破壊される車両などを使い、架空の使徒が本当にいるかのように描き、作品への没入度を高めている。
作画に入れても構わないが主題歌がヒット曲となったので敢えて別にした。
TVアニメのオープニングはその作品を視聴していると何度も目にすることになる。それを考慮してか古くからオープニング映像は本編よりも作画のクオリティが高い。余談だが金田伊功の描く「サイボーグ009」は古典的名作であり、神と人類が戦うお話。
本作もその例にもれずオープニング映像はクオリティが高い。それ以上に主題歌とのシンクロ率が半端ない。
一音一句確かめるような細かいカット割。アスカの機体がナイフを構えるシーンと曲とのシンクロ。初号機を舐めるカメラワーク。この曲のためにオープニングが作られたのではないか。と思われる程、曲と映像がシンクロしている。主題歌を口すさみながら本編を観るようになれば、すっかり罠にかかっている。
また既に書いたが、数話観ればオープニングが本編のシーンをいくつか繋げて作られている事に気付く。謎解き要素満載の展開の中、簡単な謎を解いたような気になる。これなら観ているうちに解ける謎があるかも。と観続ける罠にかかってしまう。
1話、2話で特に気になるのはエヴァと使徒のデザイン。作画に入れても構わないが、長くなるので敢えて別にした。
エヴァのデザインはヒーローというよりどちらかと言えば好戦的で悪役。しかも紫。紫は往年のロボットアニメでは敵の色。主役メカはトリコロールカラーと相場が決まっている。これまでとは違う異質な感じがするので、第1話で視聴を止めてしまう危険を充分にはらんでいる。しかしここまで書いた仕掛けのどれかにハマっていれば問題ない。
そのうち巨神兵のようなエヴァの姿が現れる。風の谷のナウシカを彷彿とする。さらにウルトラセブンに出てくる怪獣ギラドラスに似ていることに気付く人は往年の特撮通。破壊される車両や新劇場版のメカデザインで円谷特撮を彷彿とする。馴染みにあるものに触れると親近感が増す。あるいは懐かしさに駆られて観てしまう。
使徒のデザインも凝った仕掛けになっている。使徒のデザインはあさりよしとお。漫画「宇宙家族カールビンソン」の作者と気付く人は、かなりのSF漫画通。それを知らなくともメカらしくない。既視感のある生物でもない。得体の知れない何か。謎めいた展開を補完するのに充分な役割を果たしている。さらに言えば、どこか可愛らしくもある。
登場人物に感情移入できる。あるいは推しのキャラがいる。第1話、第2話ではこの仕掛けは完全には機能していない。
アスカはまだ登場していないし、レイやその他の登場人物も見せ場らしい見せ場はない。シンジのみでこの仕掛けを発動させるしかない。この第1話、2話だけに限れば結構いい奴。普段はダメだけどやるときはやるタイプ。TV版新旧劇場版をすべて観てしまうと、もう物語ありきで、単なる操り人形になってしまっているのがよくわかる。
推しのキャラがいる。あるいは登場人物に感情移入できるかは、物語の世界観とか、小難しい設定より今では大事になった。声優さんがアイドル並みに人気が出るようになったことも一因だろう。
各話タイトルが縦横書き明朝で書かれていること。これも第1話、第2話では完全には機能していない。
縦横書き明朝ですぐに私は「犬神家の一族」を連想した。しかしただの書体なので偶然だろうと気にも止めていない。後にアスカの機体が「犬神家の一族」の死体の恰好で湖に沈んでいるカットが登場する。
これでやっと各話タイトルの仕掛けが発動する。私には死体のマネは単なるパロディで笑うだけだった。
ある世代は学校のプールで「死体のマネ。」とか言って遊んでいたはずだ。そのためこのシーンは、その延長線上でしかない。おそらく本作の主要スタッフの世代からしても、その程度のつもりだったに違いない。
しかし危険だからと、ある世代以降はそんな遊びはしていない。遊んでいたとしても謎解き要素満載のTV版。各話タイトルが、縦横書き明朝なのは単なる偶然じゃない。作り手が意図的に仕組んだものだ。謎を解くための手掛かりを求めて、各話タイトルにも意味があるのではないかと探しまくる。何度でも作品を観る仕掛けにどっぷりハマってしまう。
後で知った事だが、ウィキペディアによると各話のタイトルは有名なSF小説が由来らしい。初見時の私には各話の内容を的確に表現した、いいタイトルぐらいの認識しかない。
この仕掛けは劇場版でも発動する。旧劇場版の副題「まごころを君に」もSF小説「アルジャーノンに花束を」の映画化タイトルだ。本作の後に「まごころを君に」を観たが甘ったるいラブストーリーだった。本作に人気が出る以前に「アルジャーノンに花束を」はベストセラーだった。友人の勧めもあり私は読んでいた。泣けるSF小説だった。
旧劇場版とは、かすりもしない。全くの別物である。
同じく旧劇場版の「シト新生」というタイトルも「新しい使徒が登場し、TV版の続きが見られるのでは?」と期待させるための仕掛けである。新劇場版でも副題が騒ぎになったが、「まごころを君に」の仕掛けに気がついてからはミス・リード以外の何物でもない。と冷めたものだった。
ところがエヴァに人気が出た途端、TVでこの縦横書き明朝を嫌というほど目にすることになる。エヴァの映像を放送すると著作権使用料が必要だ。それよりもPCやスマホがあれば小学生でも簡単にマネることが出来る縦横書き明朝の方が安くつくからだろう。
挙句に「犬神家の一族」がリメイクされ、「地球が静止する日」が公開され、「アルジャーノンに花束を」がTVドラマになったりと便乗商品が大量発生して幻滅したファンも多いことだろう。
第1話ではなく第壱話と表記されることと、WARNNINGと同時に警告の文字。
初見時は和洋折衷な感じがオシャレだった。今から思えば、子供向けではない大人向けのアニメを観ているんだ。みたいな。受け手の自尊心をくすぐる仕掛け。
「サクラ大戦」というアニメも和洋折衷なアニメらしいが、観ていない。その影響ではないかと勝手に思っている。
これだけ書けば充分だろう。とにかく仕掛けが一杯なのだ。漫画は読んでいるのではない。読まされているのだ。といった人がいるが、アニメも観ているのではない。観させられているのだ。
どの仕掛けにハマッたかは、人それぞれだろう。他にも探せばあると思うが第1話と第2話のみに限定してもこんなに見つかってしまうから驚きだ。人気が出るのも当然という他ない。
SPECIAL BOX。
第26弾は、「エヴァンゲリオン」特集です。
ついに完結したエヴァンゲリオン。長かったぁ。こんな長いシリーズになるなんて、20世紀に予想していた人はいただろうか。完結したので特集を組むことにしました。
ネタバレ満載ですので、ご注意ください。
それでは、お楽しみください。
西暦2015年。突如として襲来した使徒。
父の召還により第三新東京市にやってきた碇シンジは、 人類の最後の切り札。汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオンに乗り、使徒と戦うのであった。
はるか昔。
まだネット配信もない時代。レンタルビデオばかり観ていた私は、「機動警察パトレイバー」にハマっていた。
それも一応観終わった頃、やたらとレンタル中の作品を目にすることになる。どれも第1巻から最終巻までレンタル中の札がつきっぱなし。
そのビデオパッケージは紫色をしていて、アニメにしては異質な感じのする背表紙。
タイトルは「新世紀エヴァンゲリオン」。というものだった。
これといって観たいものがあるでなし、何気に手に取り家に帰って鑑賞する。なんだかよくわからないが、ロボットアニメのようだ。
所詮ガンダムみたいに小難しい設定テンコ盛りなのだろう。そう思って観ていると、案の定「使徒」だの何だのと、よくわからない名前が連呼される。
「やれやれ、またこういう小難しい設定の作品に人気が出たのか?」
と思って観ていた。しばらくすると主人公らしき人物とその父親が揉めている。どうやら内向的な少年が主人公のようだ。
「愈々ガンダムに似てきたぞ。」
と思ってみていると、包帯だらけの少女が健気にもベットから降りて戦おうとする。それを見た主人公は代わりに主役メカに乗り込む。
「なんだ結構いい奴じゃん。」
と主人公に感情移入。お約束どおりに戦闘が始まった。
「ATフィールド(※1)?なんだそりゃ。ウルトラマンのバリアみたいなものか。」
攻撃が無効化される。主役メカピンチ。
と、ここで第1話は終了。女の子がクルクル回っている映像と共に「Fly me to the moon」が流れ出す。
※1)ATフィールドにバリア以外の意味を知るのはずっと先。
「なんだなんだ、戦闘の決着はどうなったんだ?」
すかさず第2話に突入。オープニングの映像の意味(※2)に初見時、気付く筈もない。戦闘の決着が気になるので尚更だ。
※2)オープニング映像は本編のシーンをいくつか繋げて作られている。ガンダムのように本編と無関係のオープニングを嫌ったのだろう。あるいは作画の手間を省くため、本編にオープニング映像を流用したのかもしれない。
第2話が始まった。すぐに戦闘が始まるかと思っていたら、見知らぬ天井で目覚める主人公。
「どういうこと?」
と観ているこちらを置き去りにして話が進む。(はるか昔の事なので、この後どういった展開だったか覚えていない。)とにもかくにも、なかなか戦闘の決着がわからない。登場人物たちの話をまとめると、どうやら勝ったことだけは確からしい。けれども病院のベッドで眠るほどの怪我をしたようだ。
「しかしこのまま戦闘シーンなしは、あり得ないよな。」
と思っていたら、やっと戦闘が始まった。
主役メカピンチ。活動限界(※3)。なんだそりゃ。バッテリー切れみたいなもんか。うわっ。主役メカ停止。目に光が灯らない(※4)。敵にやられ放題じゃん。
※3)活動限界が第1話からなのか第2話からなのか、そんな細かい事まで記憶にない。
※4)ロボットアニメの表現上の文法。目が光ると起動。目が消えると停止。その文法を鉄人28号の頃から守っているので、いちいち説明は不要なのだ。
主人公気絶。うわっ最悪。絶望する大人達。そこへいきなり咆哮をあげて再起動する主役メカ。反撃開始だ。何暴走?暴走って何だよ。そんなことより、ピンチを悟った敵はすかさずATフィールド。主役メカどうする。素手でATフィールドをこじ開けると。ムムム。なんと強引な。何?ATフィールドを中和。中和って化学の授業じゃあるまいし。グググ。ATフィールドをこじ開けるのに成功。敵ピンチ。主役メカ、パンチの嵐。コアを破壊して戦闘終了。
「こ、こ、これは一体。」
どう評価していいのか。わからなかった。なにしろ使徒、ATフィールド、活動限界という用語の意味もさることながら、暴走する主役メカが意味不明。
観ているうちにわかるだろうと軽視していたのが、そもそもの間違いだった。それ以前に主役メカをメカと認識している時点で間違いなのだが。それがわかるのは、ずっと先。
それでも作画は凄かった。TVアニメでこれは大変だろうなぁとは思っていたけれど。
これが記憶を堀り起こしながら書いたエヴァ初見時の感想だ。
追記:戦闘が開始されるのは第2話から、第1話ではエヴァが地上に登場するまでで終了する。
SPECIAL BOX。
第25弾は、「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」特集です。
最初に断っておきますが、原作については私が観ていないので、アニメ版についてのみ書いていこうと思っています。
そのつもりでお読みください。
それでは、お楽しみください。
鬼殺隊の隊士となった竈門炭治郎(かまどたんじろう)。
無限列車で大量の行方不明が発生しているとの知らせを受け、仲間である我妻善逸(あがつまぜんいつ)、嘴平伊之助(はしびらいのすけ)とともに鬼退治のため無限列車に乗り込むのであった。
久しぶりの映画館。
「THE NEXT GENERATION パトレイバー 首都決戦」以来なので5年ぶりです。
コロナ禍ということもあってか、記録的な大ヒットとなった本作。
「千と千尋の神隠し」を映画館で観た手前、映画館で観ておこうかと、半ば義務感のようなものに駆られて鑑賞しました。
5年前は大画面、大音響に感動していましたが、今回はやかましいだけでした。慣れたのかもしれません。
しかし「千と千尋の神隠し」よりは定番のエンターテイメント作品に仕上がっていました。
「鬼滅の刃」自体に関しては「鬼滅の刃 兄妹の絆」に詳しく書いたので、今更書くこともありません。
あえて本作で気になった箇所と言えば、必殺技の乱用でしょう。
基本漫画のアクションの見せ場といえば1対1の対決が定番です。古くは「巨人の星」では投手と打者。「あしたのジョー」はもちろん1対1。「ドラゴンボール」「北斗の拳」「ワンピース」も同じです。
この方が物語として盛り上げやすい。なぜなら主人公と対峙する相手も詳細に描くことができるからです。
ところが、本作では何度も触手が伸びてきて主人公たちを襲います。
そのため何回も必殺技を繰り出すことになってしまい、必殺技の希少価値が薄れてしまいました。わざわざ必殺技の名を叫ぶのが馬鹿らしくなってしまうほどです。
実写映画ではそんなことはありません。古くはブルース・リーやジャッキー・チェン。最終決戦は1対1になるものの、1対多のアクションが必ずあります。
一方、日本のテレビ時代劇は、ほとんどが1対多のアクションです。1対1の対決では一瞬で勝負がついてしまい盛り上がらないからでしょう。
本作のヒットを受けて実写でチャンバラをやろうとする物好きなプロデューサーがいたとしたら、1対多や1対1でどこまで盛り上がるかにかかっているといえそうです。
その他に気になったのはアクションシーン。本作はCGと手書きの両方のアクションが使用されています。そのためか、CGのアクション(触手が伸びてくるシーン)では手書きのアクション(主人公たちが刀をふるうシーン)が物足りなく感じ、テレビシリーズのような高揚感は得られませんでした。葛飾北斎の「GREAT WAVE」のようなエフェクトに慣れてしまったこともあるのかもしれません。
また、CGのアクションを観た後に手書きのアクション(煉獄と上弦の対決シーン)を観たためか、必殺技のエフェクトばかり目についてしまって、人物の動作に物足りなさを感じてしまいました。とは言え、「幻魔大戦」の火炎竜を彷彿として、何とも懐かしい気持ちにさせてくれたのも確かなのではありますが。
戦いが終盤に差し掛かってからは、本作のもう一つのメインともいえるお涙頂戴タイム。印象に残ったのは煉獄の母の言葉。
「人より優れているものは、その能力を私利私欲に使うべきではない。世のため、人のために使いなさい。」
他にも煉獄の言葉で、
「いくら悲しみに沈んでいても、時間は止まってはくれないし、同情などしてはくれない。」
など名言が数多く登場します。
今から思えば、「3年B組金八先生」の名言集のようでもあります。金八先生では主人公金八からすべての言葉が生まれましたが、本作は登場人物の多くから名言が登場しています。
これも、誰もがオンラインで発言できる時代に、ヒーローだけに名言を負わせるのは荷が重過ぎるからでしょう。
さらに、煉獄の言葉に、
「人は老いて死んでゆく。だからこそ、いとおしくもあり、尊くもあるのだ。」
というのがあります。
これは無限列車と同じくSLが登場する「銀河鉄道999」のテーマの一つでもある永遠の命と限りある命のオマージュとみることはできないでしょうか。
「銀河鉄道999」の星野鉄郎はメーテルとの別れを経て大人になります。本作の竈門炭治郎も煉獄との別れを経て大人になっていくように思えてしまいます。
マスクをしながら劇場を出るとき、瞳が濡れていたのはここだけの秘密です。
煉獄のラストに改めて涙。最初は風変わりな先輩だった煉獄。それがラストになってからこの人の弟子になりたいと思わせるような名言。
「先輩が後輩の面倒をみるのは当り前だ。」
でやられてしまった。理想の上司にランキングするぐらいのキャラクターに仕上がっている。
それを顕著に表しているのが伊之助の対応。最初とラストでは明らかに煉獄に対する態度が違う。
厭な奴を好きになる。しかもそれがその人の最後になってわかる。という仕掛けは「さらば宇宙戦艦ヤマト」のデスラー総統。「機動戦士ガンダム」のララァ・スン。と同じ。
主人公を盛りあげるだけの脇役が、忘れられないキャラクターに変貌する瞬間だ。
しかも煉獄のラストでは、猪の仮面をかぶっている伊之助の表情はわからない。
観ているこちらが想像するより他はない。その伊之助が煉獄のラストに涙しているのが判明するのは声優の声である。
助演男優賞を煉獄ではなく、伊之助にあげたくなるほどの名演技であった。
こういったマニアックな観かたは多くの人はしないだろうから、煉獄ばかり人気が出てしまうのだろうなぁ。
と思ったりもする。
そういえば本作は楽しい夢の中で過ごすという話が出てくる。初見時は連想しなかったが、「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」と同じ。宮崎駿監督の「風立ちぬ」には夢の中の話があり、新海誠監督の「君の名は。」は夢の中の話が現実とリンクしている。
伏線が回収されていないとか、物語が破綻しているとか、リアルじゃないとか、物語に色々難癖をつける輩を一掃するには、これ以上ない夢の中の話。最近の流行なのか、とにかく夢の中の話ばかり観ている気がするのは私だけだろうか。
ここでは思いつくまま本作について色々書いてみようと思います。
新型コロナウイルスによって映画界のみならず、あらゆるエンタメ業界が制限を余儀なくされた中、本作は公開され大ヒットを記録しました。
これまで我慢を強いられた観客が一斉に押し寄せたため、これだけの大ヒットになってしまった。
と考えられなくもない。本来なら10億程度のヒットで収まっていたかもしれません。
洋画が全く公開されていない状況下でもありますしね。
このヒットがコロナによるものかどうかは、コロナが収束してからはっきりすることでしょう。
そのためにはこの大ヒットを受けて色々と変更を加える大人の事情に振り回されて欲しくないと思っています。
パロディになったり、似たような作品が量産されたり、実写化したり、声優を人気俳優に変更したり、深夜枠だった放送枠をゴールデンタイムに変更し規制だらけの表現で誤魔化したり、原作にないエピソードや人物を追加して話を水増ししたり、死んだはずの人物を復活させたり、前日談や後日談を作ったり、その他色々。
せめてコロナが収束するまでは大人しくしていて欲しいと思います。大人なんだから。
原作を読んでいないのにこんなことを書くのはおかしな話です。しかし本作をテレビアニメで観た時、「進撃の巨人」がオーバーラップしたのだからしかたありません。おそらく残酷描写が数多く出てきたからでしょう。
本作が人気作となるまでは「ワンピース」と「進撃の巨人」が二大人気漫画でした。
特に「進撃の巨人」は講談社の少年マガジンということもあって、これまでの集英社の少年ジャンプ路線と一線を画していました。
友情を賛美するジャンプ路線を真っ向から否定し、仲間の中に敵がいます。しかも主人公が無敵でもありません。大事なところで全然役に立たないし、1対1よりも1対多の対決ばかりです。話の内容もどちらかと言えば「エヴァンゲリオン」よりの謎だらけのストーリー展開。
そんな作品がヒットしたため、本作では友情路線を封印し、兄妹愛と家族愛を前面に持ってきました。BLと呼ばれるボーイズラブ漫画が認知されてきたこともあるのでしょう。これまでのジャンプ路線とは大違いです。
しかしそれでは往年のジャンプファンが黙っていないので、お約束の修行シーンを入れて強くなる定番の話を入れてあります。他にも比べてみると色々とありそうですが、どこぞで誰かがすでに何かしら書いているかもしれないなぁ。
先述した「進撃の巨人」も多くの謎が解明されラスト間近。本来なら最終回に向けて盛り上がりそうなものですが、そんな気配がありません。
実写版「進撃の巨人」が不評だったとか、映画化されても総集編でしかなかったためかもしれません。
2020年の後半から「進撃の巨人」のファイナルシーズンが放送されていますが、その反応を見ていると人気作の栄枯盛衰を感じてしまいます。本作も何年かしたら、一つのブームとして忘れ去られてしまうのでしょうか。あるいはコロナ禍という特殊な状況下のヒットだったと言われるかもしれません。
本作は深夜アニメから人気が出たといわれています。これまで人気アニメと言えばゴールデンタイムか、夕方が一般的でしたが、それだけアニメ視聴者が大人ばかりになったということでしょう。
ニュース映像で見た漫画の最終巻を求める行列は、平日であったということもありますが、大人ばかり。それは果たして手放しで喜んでいいことでしょうか。
テレビから時代劇が消えた原因の一つは、高齢者しか時代劇を観ないからだと言われています。
同じ原因でアニメがテレビから消える日も近いかもしれません。
テレビアニメでは屋敷の中で鼓を打つと天地左右が入れ替わる術を鬼が使います。この仕掛け「インセプション」のようでもあり、山田風太郎の「忍法八犬伝」のようでもあります。
大正コソコソ話によると、この鼓を打つ鬼は人間の時「八犬伝」が愛読書だったので、山田風太郎の「忍法八犬伝」が元ネタではないかと思われます。
他には列車と競争したい伊之助に「8マン」を彷彿としたり、列車内での煉獄の移動速度が「サイボーグ009」の加速装置を彷彿としたりしましたが、多くの作品に触れれば触れるほど連想作品は増えてしまうので、半ば作品を多く鑑賞したことによる弊害かもしれません。
あと、どうでもいい話になってしまいますが、煉獄の父も弟も煉獄とほぼ同じ髪型なのには笑ってしまいました。
とまぁ、色々と書いていくとキリがないので、このあたりで。
今回は感想より編外余録の方が長くなってしまいました。
原作は既に終了していながら、映像化されていないというこれまでとは一風変った作品です。
今後どうなっていくか想像もつきません。いろんな大人の事情が交錯して幻滅する作品になっていくのか、長期シリーズとして何作も続編がつくられるのか。予想できませんね。
TV放映鑑賞後の感想を追記(2021/9/28)
以下のサイトの情報を参考にさせていただきました。
フリー百科事典「ウィキペディア」
映画チラシサイト(画像はここから入手しました。)
ありがとうございました。
SPECIAL BOX。
第24弾は、「猟奇的な彼女」特集です。
それでは、お楽しみください。
さえない僕がある日、電車で出会った彼女はとても猟奇的な彼女でした。
実にいい映画だった。素晴しい。絶賛に値する名作の一本だ。
前半コメディーで、後半泣かせるという定番路線の映画。
韓国映画ということで、韓国独特の感じがするかと思いきやそうではない。
日本を舞台にして、韓国人が演じている映画ではないかと思うほど違和感がない。
ハングル語の字幕スーパー版ならば、観る気が失せてしまったかもしれないのだが、
吹き替え版のため、すんなり観ることが出来た。
以下、ネタバレ注意。
まず前半戦という字幕が出る。いわゆるコメディー部分だ。
ヒロインの彼女は、電車でお年寄りがいると若者に席を譲れと命令する。
猟奇的というより、暴力的だ。
そのうち酔いが回ってきて電車の乗客に吐いてしまう。
日本では、モザイクか、映さないようにする所だが、韓国映画ではお構いなし。
嘔吐物がしっかり映っている。
しかも、その乗客がカツラというもの笑える。
こういうシーンは、変な話だが映画を観ている気になる。
テレビより規制が緩いという感じがするし、製作した国の文化を窺い知れるからだ。
傍らで観ていた僕は、そのカツラの乗客に彼女の彼氏と間違われ、嘔吐物を上着で拭き、酔いつぶれた彼女の面倒を看ることになる。
このとき、彼女をおんぶしている最中に、世界が離れ、二人だけがズームになる。
大林監督版「時をかける少女」の再来だ。
このとき私は、この演出は他の映画でもよく観かけるので、あまり気には止めていなかった。あの雨のシーンを観るまでは。。。
余談になるが、この演出方法はヒッチコックの「めまい」で初めて登場したという。
説明すると長くなるので、詳しいことはウィキペディアでも調べてください。
そうして面倒を観ていると警官が現れ逮捕されてしまう。
なぜ逮捕されたのかわからなかったが、おそらく彼女の父親が通報でもしたのだろう。
介抱した翌日にまた彼女に呼び出される僕。
隣で援助交際している女の子がいると、周りを気にせず注意する彼女。
援助交際は韓国でも蔓延しているのかと思ってしまった。
その後、同じように酔いつぶれてしまう彼女。
結局3日連続で過ごすことになり、ほぼ奴隷状態で彼女と付き合うことになる僕。
デートは絶叫マシンとお決まりのコースだけかと思いきや、スカッシュをやってみたり、剣道をやったりする。
スカッシュは今でもプレイできる場所があるのかどうかわからないが、ともかくこの映画が公開された頃は流行っていた。
そしてなにより、何故か剣道。なぜだ。なぜなんだ。と叫ばずにはいられない。日本にしかないのかと思っていた。韓国にもあるようだ。
デートを重ねるうち、彼女の好きな飲み物はコーヒーで、お酒2、3杯で酔いつぶれて、意識を飛ばしてしまうことが判明する。
そんな彼女の目標はシナリオライターになること。
最初に書いたシナリオはSF銃撃アクション映画。
そのシナリオを説明するため、銃撃アクションのオンパレードになる。
そのアクションは「マトリックス」のようでもあり、「男たちの挽歌」のようでもある。
香港映画のように、何の脈略もなく、アクションシーンが入るわけではないが、普通の恋愛映画では、まずお目にかかれないぶっ飛んだ展開がいい。
デートを重ねるうち、次のシナリオを持ってくる。
そのシナリオは時代劇アクション映画。
香港映画でお馴染みの「木枯らし紋次郎」のような二人が、雨の中で決闘する。
日本映画のことをよくわかっている。
日本映画といえば、雨なのだ。とにかく雨を降らせておけば、日本映画らしくなる。
決闘の最後は、背中を押して相手を倒すあたり、コメディー色豊かで面白い。
そのうち、後半戦に突入。いわゆる泣かせる部分だ。
いきなり、スカートで僕の所に現れる彼女。
ヒールが痛いから、スニーカーと交換しろという。仕方なく交換する僕。
流石に、足のサイズが合わないだろうと思ってしまうが、健気にヒールを履いて歩く僕。
そのうち、彼女は親に見合いを勧められていたが、結婚したくないので、僕を見合い相手の妨害に使おうとする。
ところが、僕は彼女が僕を必要としなくなったと思いこむ。
彼女がいない間に、見合い相手に僕は彼女への対処方法を伝授する。
そこではじめて、彼女は、いかに僕が自分を理解していたかに気付く。
見合いからの帰路、雨が降り始め僕は彼女を家まで送っていく。
ここから、この映画の私の評価は少しずつ変わっていった。
雨の中で階段だ。
大林監督版「さびしんぼう」の名シーンを彷彿とさせる情景だ。
この映画の監督は絶対大林監督が好きに違いないと確信した。
しかし、「さびしんぼう」ほど感動的なシーンは生まれず、家で彼女の両親に会う。
そこで、彼女が結婚を勧められ、拒否していることを知る僕。
父親も酒には弱く、2、3杯で酔いつぶれてしまう。
どうやら、彼女が酒に弱いのは、父親譲りのようだ。
出会って100日目に、女子大にバラの花を一輪持って来いとムチャブリをする。
さらに、「理想の女の子はどんな子なの?」と問いただす彼女。
「ピアノを弾いている女の子が理想だ」という僕。
そこで彼女は「どんな曲を弾いているの?」と訊くと、
「パッヘルベルのカノン」
と応える。
出来すぎです。
私の思い出の曲と丸かぶり。
このままでは、「さびしんぼう」の韓国版になってしまう。
それではダメだと思ったのかさらに話は続く。
ある時、山の上から、向こうの山まで声が聞こえるか試してみようという彼女。
聞こえるかどうか向こうの山まで行って来いと、僕に命令する。
僕がいなくなってから、はじめて彼女は涙をみせます。彼女はいわゆるツンデレでした。
その後、奴隷のような状態がいやだったから、僕は結局彼女から身を引くことを決意する。
最後にタイムカプセルに相手への気持ちを込めた手紙を埋めて、2年後再会を約束する。
電車を別々に乗って別れようと、先に電車に乗る僕。
しかし、電車を追って飛び乗ってしまう彼女。
逆に彼女と別れたくなくなって電車から飛び降りてしまう僕。
お互いすれ違いになってしまったことを知る二人。
なんとよく出来た別れのシーンだろう。ここで終わっても一向に構わないが、タイムカプセルのことが気にかかる。ここで終わらせるわけにはいかない。話はさらに続く。
2年の間に僕はネットにこれまでの彼女との思い出を書き込み、それが映画会社に認められシナリオライターになる。まるで「電車男」のような展開だ。
2年後、再会を約束した場所に彼女は来ない。僕は一人でタイムカプセルを空け、彼女の手紙を読む。そこには、彼女は結婚していた彼が亡くなり、彼のことが忘れなくて、僕に彼の面影を追い求めていた。そして、彼の面影を忘れることができたら、彼女は約束の場所にくるだろうと書かれてあった。
どことなく、「めぞん一刻」のような設定だ。
その1年後、彼女がやってくる。なぜか約束の場所にいるおじいさん。カットがあったためか、地元の人かわからなかったが、そのおじいさんの話では約束の場所にある木は1年前に雷で倒れてしまったという。
ところが、ある男性がその木とそっくりの木を見つけてきて植えなおしたという。その男性のいうには、ここで約束した人がいるからだそうだ。
結局二人は約束の場所で再会できなかった。
初めてあった駅で僕に会えるかもしれないと思った彼女は駅に向かう。彼女は気付かなかったが、駅のホームには僕らしい影が映っている。
ここのシーンはまさしく「君の名は。」の逆バージョンであった。知らなかった。この映画が「君の名は。」の元ネタの一部であったとは。
BGMにパッヘルベルのカノンが流れ見事すぎる名シーン。もう私には衝撃的すぎます。
ラストは母親が、亡くなった彼の弟を彼女の結婚相手として紹介する。その彼の弟こそが、僕であった。というハッピーエンドで終了。
あまりに上手く出来すぎているので、努力している人には運命の女神が微笑むという台詞で締めてある。 もう「さびしんぼう」のラストとほぼ同じ。雰囲気が実によく似ている。
後半戦以降は、私のことを映画にされているような錯覚をおこさせるほど、私の興味あるものばかり登場してきて驚きまくりだった。
私はマニアックなものばかりを追いかけた時期と、メジャーなものばかり追いかけた時期があるが、マニアックなものと思っていたものも、実はメジャーなもので、多くの人が影響を受けてきたのかもしれない。
この作品は社会現象まで引き起こしたらしいので、共感する人が多かったということからしても、私のマニアックは結構メジャーなものだったといえるのだろう。
とにかく、なにか運命的なものを感じずにはいられない作品になってしまった。
今回はCINEMA BOXに書いた感想を、ほぼそのまま流用した形の感想です。
違う所といえば、平成が終わる頃の2018年にこの映画を観たということぐらいでしょうか。
本来はもっとはやく特集に取り上げたかったのですが、韓国との関係が冷え切ってしまって、反韓ムードの中、取り上げるのもどうかと思いためらっていました。
また極めて個人的な思い入れの強い作品なので、他の方からすれば駄作に思われるかもしれません。
しかし、この作品を大林監督の奥さんが見つけ、日本に紹介したのが大林監督。2020年に大林監督が亡くなってしまったので、追悼の意味を込めてこの作品を取り上げました。
以下のサイトの情報を参考にさせていただきました。
フリー百科事典「ウィキペディア」
映画チラシサイト(画像はここから入手しました。)
ありがとうございました。