忍者ブログ

AlphonseのCINEMA BOX

管理人Alphonseが観た映画の感想を書いているブログ。

エヴァンゲリオン特集


SPECIAL BOXトップページへ戻る

■TV版の頃

ここからはTV版の頃を当時のアニメ事情や製作事情の点から書いておく。

とあるブログで本作の「犬神家の一族」の字体を引用し、アニメを観ているんじゃない。ミステリーを観ているんだ。と誤魔化した。という文章をみたことがある。それぐらいアニメは今ほど市民権がなかった。
しかしこの作品が人気になるや否や、野に埋もれたアニメファンたちはこれまでの鬱憤を晴らすかのように熱狂した。これがこの作品に人気が出た理由の一つ。

TV版が放送された頃、アニメの潮流は変っていた。ガンダムブームは去り、SFはうる星やつらのラブコメ路線に変更。宮崎駿作品が人気になり始め、金田一少年の事件簿や名探偵コナンが出てきていたはずだ。SFは過去のものとなり、ファンタジー路線やミステリー路線が人気を博していた。

そんな中、本作は放送された。本格SFを目指した筈だが、なんとか人気を得ようとラブコメ要素と謎解き要素満載になっている。ロボットアニメ自体がオワコンになっているのだから、今思うと放送開始時からすでに本作はオワコンだったと言えなくもない。

監督は庵野秀明。オネアミスの翼のスタッフだ。オネアミスの翼は、日本最高峰のアニメクリエーターによるアニメ。という宣伝文句につられ、映画館に観に行った。ロケット発射シーンは凄かったが、地味だった。今思うと結構いい映画だったように思う。それには四半世紀以上必要なわけだが。

その後トップをねらえを観るがいい印象がない。ラストは映像だらけで難解。一見さんお断り。お得意様だけにみせるような作品だった。まぁ無理もない。OVA作品であるから一般受けを狙う必要はないのだ。

後年ウィキペディアを読む。オネアミスの翼が興行的に不発だったため、ロボットと美少女を出したら人気が出たらしい。

これで庵野監督の方向性は決まってしまった。本当に作りたかったものはオネアミスに違いない。しかしそれでは飯が食えないので、アニメファンに媚びる作品を作るようになる。パクリ上等。ラブコメ路線にお色気シーン。サービス。サービスだ。

トップをねらえの人気からかナディアを監督。
前半は普通に冒険活劇。後半はパクリオンパレード。アダムもここから登場。

その後に本作。ナディアはNHKということもあってCMもなく清く正しく放送規制一杯の作品。

その反動なのだろう。エヴァはCMを効果的に使い、CM前では思わせぶりオンパレード。
わざわざCM直前、あるいは直後(どちらだったか忘れた。)に黒バックの白文字で意味深な英語を挿入。

そして残酷描写テンコ盛り。劇場版になってさらに規制が緩くなったため、TVでは放送できないシーンをこれでもかと盛り込んでくる。

残酷描写で思い出したが、使徒の首を絞める必要はない。コアを狙うべきであって、首を絞めるのは変な描写。しかしそれでは没入感の仕掛けが発動しないので、首を絞める。やれやれ子供だましもいいとこだ。

そんなエヴァも、途中からアニメファンに媚びることを止めた。TV版がビデオレンタルされ人気を博し劇場版が決まったころからだろう。一部には媚びるが突き放すときには突き放す。大人になれシンジ。といった所か。

TV版ではなく旧劇場版の話になってしまうが、アニメファンに強烈な一発を見舞ったために、僕の期待を裏切ったとばかり、否定的な意見も噴出する。味方であったエヴァが敵になる瞬間だ。2項対立構造の作品群ばかり観ていると尚更だ。

一方で大人には砂糖たっぷりの甘い結末ではない、少しほろ苦い、渋さも感じる結末が深い内容だと話題になり、社会現象化していくのであった。


SPECIAL BOXトップページへ戻る | エヴァンゲリオン特集表紙に戻る | つづきをみる

拍手[0回]

PR

エヴァンゲリオン特集


SPECIAL BOXトップページへ戻る

■TV版第1話、第2話以降

ここからは1話2話以降について書いておく。
さすがに1話2話のように細かく書いていく気はない。記憶に頼りながら書いているので、TV版での登場の時系列などバラバラだと思う。お許し頂きたい。

よく出来た作画と没入度の高い演出の仕掛けにまんまと引っかかってしまった後、数話を観る。

アスカ登場。往年の熱血ロボットアニメ調に。2体同時攻撃の回が私は好き。新旧劇場版にはない。死体のマネをしたり、トウジとの友情物語やレイの笑顔があったりして、どんどん親近感が増す。

工事現場のボーリングの音にウルトラセブンを彷彿。メトロン星人との対決シーンも連想。委員長の家族の名前が何気に新幹線になっている小ネタに気付いたりもする。

それでも何話の頃からか意味不明感がどんどん強まってくる。

ATフィールド、活動限界はまだなんとかなったが、リリス、リリン、使徒、人類補完計画。他多数。私にはリリス、リリンが特に意味不明。似た単語であるから混同してしまう。その上に馴染みがない。連想するものも出てこない。

数話みるとアダムが登場。アダムとイヴのイヴを連想するが、主役メカはエヴァ。すでに使われている(※1)から重複する。どういうこと?

※1)エヴァはイヴではなく福音(書)のこと。そしてリリンは人類をさす。リリスはざっくりいうとイヴ。だがそんな事は後に知る。

そのうち「魂のデジタル化はできません」とリツコのセリフ。何?魂。エヴァにアダムに魂。愈々ロボットアニメ感がなくなってキリスト教的世界観が増してくる。

エヴァをロボットと思い込んで観ている私には、違和感しかない。何故に勝手に暴走して動き出すのか。レイ(※2)にしても同じく人間だと思い込んでいる。何故に「三人目」とか言っているのか。謎は深まるばかり。

※2)レイは人間ではない。クローン人間である。それそれの個体で記憶が違うため、シンジに冷たかったり人間世界に疎かったりする。それがわかるのも後のこと。

こんな違和感だらけの作品。TVで人気が出るはずがない。途中で視聴をやめてしまうだろう。しかも詳細な書類描写が一瞬しか映らない。何が書いてあるかわからないまま次のシーンへ進む。サブリミナル効果の嵐に至っても同様。

ビデオならそんな事はない。一時停止という便利なものがある。1話2話にはサブリミナル効果の嵐がない。後半になって発動する仕掛け。何度でも観てしまう。

視聴を止めようかとも思った。話数的にも後半に入ってきている。内容もかなりシリアス路線に変更。ここまできても謎は増える一方。減る気配がない。そんな中エヴァの食事シーンを観る。

何?ロボットが食事。んなわけない。エヴァはロボットではないのか。生物?やっと一つ謎が解ける。この調子では話数的にも謎は解明されそうにない。

ええい。めんどう臭ぇ。ネタばれ覚悟でインターネットに接続。謎解説サイトを食い入るように読む。旧劇場版公開前だったが、見事な名推理だった。

既出だが、エヴァは人造人間。
ATフィールドは心の壁。他人との境界。
使徒は生物の進化の過程。そのためイカのような使徒が登場し、最後の使徒カヲルは人型なのだ。
「父と子と精霊の名のもとに」というキリスト教の文言から、父はゲンドウ。子はシンジ。精霊のレイ。そして聖母でありミサの意味をもつミサト。という人名に関する推理。
キリスト教的世界観からすると、これ以外の推理はありえないというものだった。
人類補完計画に関してもゲンドウが目指すのはユイとの再会。一方ゼーレの目指すのは不完全な人類を完全なものにする計画で別物である。というこれまた見事な名推理。

憑き物が落ちるとは、こういう状態をいうのだろう。

色々な謎が氷解。その他の細かいことまでは気にしていられない。世界観や細かな設定の辻褄が合わないことなどガンダムで経験済みだ。後からなんとでも言える。それがSF作品とロボットアニメがダメになった最大の原因でもあるのだが。

謎はすべて解けた。観るべきものはない。あとは人物に感情移入するしか見所がなくなってしまう。TV版が謎解き要素満載作品から、少年の成長物語へと私の中で変貌する。友人を守るために戦うシンジ。TV版ではトウジがエヴァに乗る。そのトウジを殺してしまう初号機。
鬱状態になってからサブリミナルの嵐。主人公への没入度がどんどん深くなっていく。

ネタばれ記事を観た手前、最終2話が物議を醸したのも知っていた。そのうち深夜アニメでエヴァの再放送が始まる。労せずして2回目視聴する。

エヴァが人造人間にしか見えてこない。そりゃ暴走もするわな。ATフィールドの意味を知ってから、リツコが話す山嵐のジレンマの話も違和感がない。元気一杯のアスカよりもミサトとリョウジばかりに注目がいく。世代的なものが原因だろう。本作の中ではTV版の頃からミサトがお気に入り。

しかし新旧劇場版を観てしまうとミサトは999、ヤマト、ウルトラマン世代のためにサービスしていたように思えて仕方ない。

深夜アニメで再放送されたためか、最終2話はレンタル店で長い間レンタル中だった。なんとか視聴。鬱状態になってからサブリミナルの嵐。次回予告も台本が書かれているだけ、作画が間にあわなかった(※3)とみえる。

※3)これも仕掛けの一つ。それを知るのも後年。

なんだかんだしている内、朝の食卓シーン。まさかの夢オチ?学園ラブコメの呈を成す。それは一つの可能性でしかなかった。SF風にいえばパラレルワールド。どんどんシンジの心理描写に肉薄していく。

次にゲンドウの声で「不自由をやろう」と地平線が描かれる。
それは、自分以外なにもない自由な空間に地平線が現れることで不自由が生まれるとしている。
ここから他者が現れ、軋轢が云々。。。
と自他の概念が描かれる。

というのが一般的なエヴァの解釈。しかし私の解釈で行くと、絵心のある人ならわかると思うが、登場人物だけ描いているとすごく自由なのに風景を描くととてつもなく窮屈になる。
自由奔放に画面で暴れまわっていた人物が背景を入れただけでとてつもなく窮屈そうになってしまう。
おそらく風景で東洋か西洋か過去か未来かを限定してしまうからだろう。

今でもここのシーンは作画のことだと思っている。
何の情報も設定もなにもない自由な状態。そこへ地平線が現れる。大地に立つ人型。これで上下天地が発生する。自由から不自由になる。背景を詳細に書き込む。設定をどんどん追加する。情報をどんどん追加する。ますます不自由になる。窮屈になる。閉塞感が増す。

2次元で書かれたものが、CG黎明期のようなドット絵から、ポリゴンで描かれ、3DCGで書かれていく。「インサイド・ヘッド」にはその逆が登場する。大林監督の「時をかける少女」には「知らないほうがしあわせだ。ってこともあるんだよ。」というセリフが登場する。

こんな面倒臭い解釈は私だけかも。TV版の中身に戻ろう。自他との境界を意識し、誰かに迎合する必要もないことに気付くシンジ。

ラストは自分の殻が少しづつ割れて、自分を認めていくシンジ。私はこのTV版のラストが感動的でバックに流れる主題歌と共に大好きだ。そのため今だにTV版は少年の成長物語だと思っている。


SPECIAL BOXトップページへ戻る | エヴァンゲリオン特集表紙に戻る | つづきをみる

拍手[0回]


エヴァンゲリオン特集


SPECIAL BOXトップページへ戻る

■TV版第1話、第2話について

ここからは後年になって色々とわかったことも踏まえて、TV版第1話、第2話について書いていこうと思う。

名作と呼ばれるTVアニメは第1話が伝説的な扱いを受ける。視聴率はすこぶる振るわなかったとしても、その後の人気の影響で第1話が凄いものに見えてしまうのだ。

今から思えばやはりこの第1話、第2話、つい観てしまうような仕掛けが用意周到に張り巡らされているように思われる。

まんまとその仕掛け(罠、沼とも言う)に私はハマったわけだ。

その一。ロボットアニメ的要素。

ガンダムと同じようなロボットアニメと誤認した時点で既に罠にハマっている。エヴァはロボットではない。人造人間である。初代仮面ライダーのような人間サイズだけが人造人間と思い込んでいるから意味不明になる。鉄腕アトムと鉄人28号。どちらもサイズは違うがロボットである。それと同じで初代仮面ライダーとエヴァはサイズは違うが人造人間である。

そんなことが判明するのは数話先。(というかオープニングだかビデオパッケージに人造人間と書いてある。ボーと観ているから気がつかないのだ。)毎回違う敵と戦うため、秘密基地から発進し、父の作った主役メカにその息子が乗り、時には仲間と一緒に、一箇所を守って戦う。これだけマジンガーZと共通項があればエヴァをロボットと誤認してしまうのも無理はない。

その二。2回にわたる戦闘。

戦闘が1回で決着がつくと思い込んでいる。帰ってきたウルトラマンでは散々2回に分けて戦っていたにも関わらず、それをすっかり忘れている。これもガンダム効果。ロボットアニメがガンダムしかなくなってしまったから、その物語展開以外は新鮮に思えてしまうのだ。

その三。数多くの作品用語。

使徒、ATフィールド、活動限界といった作品用語。意味不明なので、作中で解説されるのを待つか、調べるしかない。しかしこれは諸刃の剣で、ネタバレしてしまう危険を過分に含んでいる。結局解説されるだろうと期待して続きを観てしまう。

その四。帰納法とミステリー仕立て。

TVアニメはほとんど全て演繹法で描かれる。サザエさん、ドラえもん、宮崎駿作品。。。
ところが本作の第2話は帰納法が使用されている。いきなりベットで目覚めるシンジ。第1話のラストを完全に放棄していきなり違う話から始まる。
演繹法の作品しか観たことのない人には帰納法への免疫がないので、面喰らう。訳が分らないから、TVアニメなら、そこで観るのを止めてしまうかもしれない。そのため視聴率は取れない。

一方ビデオ(今[2021年]なら有料配信)から本作を観はじめた人は、少なからずお金を払って視聴している。最後までは観ておこうという気にはなる。また好奇心の強い人や探究心の強い学者肌の人なら訳がわからないものをわかろうとし、理解しようとする。本作のファンに高学歴の人が多いのもうなずける。

演繹法によって時系列に語れば何の変哲のない事件も、帰納法で語れば大事件になる。そのためミステリー小説は大半が帰納法で書かれている。真犯人を求めて最後まで読んでしまう。同じように第2話では戦闘の決着が気になるので最後まで観てしまう。このミステリー仕立ての手法はTV版で随所に登場する。

その五。作画。

どんなに巧妙な仕掛けを施しても作画のクオリティが低ければ仕掛けが上手く機能しない。
アニメは小説じゃない。映像だからだ。上手とか下手とかそういったことも重要だが、アングルなどの表現手法も大事。
本作の第2話は新劇場版:序と一部重複している。記憶として新劇場版:序の方が新しいので、そちらを参考にするが、おそらくTV版も同じだと思われる。

暴走し、使徒に反撃を開始するエヴァは画面に向かってくる。最後のカットはエヴァの目である。ここまで画面近くに寄ってくる必要はないと思われるが、画面に向かってくる。
同じ手法を宮崎駿監督は天空の城ラピュタで、スピルバーグはジュラシック・パークで使っている。

その昔、3D映像というものが流行った。赤と青の眼鏡をかけて映像を観ると画面から飛び出たように観えるというものだ。その影響かもしれない。その時もやたら画面に向かってくる映像が多用された。今(2021年)はVR映像で多用される。とにかく画面に向かってくる。この手法は緊迫感あるいは親近感が増すので、つい映像にひきこまれてしまう。

他にも風に揺れる電線。土煙。破壊される車両などを使い、架空の使徒が本当にいるかのように描き、作品への没入度を高めている。

その六。オープニング映像。

作画に入れても構わないが主題歌がヒット曲となったので敢えて別にした。
TVアニメのオープニングはその作品を視聴していると何度も目にすることになる。それを考慮してか古くからオープニング映像は本編よりも作画のクオリティが高い。余談だが金田伊功の描く「サイボーグ009」は古典的名作であり、神と人類が戦うお話。

本作もその例にもれずオープニング映像はクオリティが高い。それ以上に主題歌とのシンクロ率が半端ない。

一音一句確かめるような細かいカット割。アスカの機体がナイフを構えるシーンと曲とのシンクロ。初号機を舐めるカメラワーク。この曲のためにオープニングが作られたのではないか。と思われる程、曲と映像がシンクロしている。主題歌を口すさみながら本編を観るようになれば、すっかり罠にかかっている。

また既に書いたが、数話観ればオープニングが本編のシーンをいくつか繋げて作られている事に気付く。謎解き要素満載の展開の中、簡単な謎を解いたような気になる。これなら観ているうちに解ける謎があるかも。と観続ける罠にかかってしまう。

その七。人物以外のデザイン。

1話、2話で特に気になるのはエヴァと使徒のデザイン。作画に入れても構わないが、長くなるので敢えて別にした。
エヴァのデザインはヒーローというよりどちらかと言えば好戦的で悪役。しかも紫。紫は往年のロボットアニメでは敵の色。主役メカはトリコロールカラーと相場が決まっている。これまでとは違う異質な感じがするので、第1話で視聴を止めてしまう危険を充分にはらんでいる。しかしここまで書いた仕掛けのどれかにハマっていれば問題ない。

そのうち巨神兵のようなエヴァの姿が現れる。風の谷のナウシカを彷彿とする。さらにウルトラセブンに出てくる怪獣ギラドラスに似ていることに気付く人は往年の特撮通。破壊される車両や新劇場版のメカデザインで円谷特撮を彷彿とする。馴染みにあるものに触れると親近感が増す。あるいは懐かしさに駆られて観てしまう。

使徒のデザインも凝った仕掛けになっている。使徒のデザインはあさりよしとお。漫画「宇宙家族カールビンソン」の作者と気付く人は、かなりのSF漫画通。それを知らなくともメカらしくない。既視感のある生物でもない。得体の知れない何か。謎めいた展開を補完するのに充分な役割を果たしている。さらに言えば、どこか可愛らしくもある。

その八。登場人物。

登場人物に感情移入できる。あるいは推しのキャラがいる。第1話、第2話ではこの仕掛けは完全には機能していない。
アスカはまだ登場していないし、レイやその他の登場人物も見せ場らしい見せ場はない。シンジのみでこの仕掛けを発動させるしかない。この第1話、2話だけに限れば結構いい奴。普段はダメだけどやるときはやるタイプ。TV版新旧劇場版をすべて観てしまうと、もう物語ありきで、単なる操り人形になってしまっているのがよくわかる。

推しのキャラがいる。あるいは登場人物に感情移入できるかは、物語の世界観とか、小難しい設定より今では大事になった。声優さんがアイドル並みに人気が出るようになったことも一因だろう。

その九。各話タイトル。

各話タイトルが縦横書き明朝で書かれていること。これも第1話、第2話では完全には機能していない。
縦横書き明朝ですぐに私は「犬神家の一族」を連想した。しかしただの書体なので偶然だろうと気にも止めていない。後にアスカの機体が「犬神家の一族」の死体の恰好で湖に沈んでいるカットが登場する。

これでやっと各話タイトルの仕掛けが発動する。私には死体のマネは単なるパロディで笑うだけだった。
ある世代は学校のプールで「死体のマネ。」とか言って遊んでいたはずだ。そのためこのシーンは、その延長線上でしかない。おそらく本作の主要スタッフの世代からしても、その程度のつもりだったに違いない。

しかし危険だからと、ある世代以降はそんな遊びはしていない。遊んでいたとしても謎解き要素満載のTV版。各話タイトルが、縦横書き明朝なのは単なる偶然じゃない。作り手が意図的に仕組んだものだ。謎を解くための手掛かりを求めて、各話タイトルにも意味があるのではないかと探しまくる。何度でも作品を観る仕掛けにどっぷりハマってしまう。

後で知った事だが、ウィキペディアによると各話のタイトルは有名なSF小説が由来らしい。初見時の私には各話の内容を的確に表現した、いいタイトルぐらいの認識しかない。

この仕掛けは劇場版でも発動する。旧劇場版の副題「まごころを君に」もSF小説「アルジャーノンに花束を」の映画化タイトルだ。本作の後に「まごころを君に」を観たが甘ったるいラブストーリーだった。本作に人気が出る以前に「アルジャーノンに花束を」はベストセラーだった。友人の勧めもあり私は読んでいた。泣けるSF小説だった。

旧劇場版とは、かすりもしない。全くの別物である。

同じく旧劇場版の「シト新生」というタイトルも「新しい使徒が登場し、TV版の続きが見られるのでは?」と期待させるための仕掛けである。新劇場版でも副題が騒ぎになったが、「まごころを君に」の仕掛けに気がついてからはミス・リード以外の何物でもない。と冷めたものだった。

ところがエヴァに人気が出た途端、TVでこの縦横書き明朝を嫌というほど目にすることになる。エヴァの映像を放送すると著作権使用料が必要だ。それよりもPCやスマホがあれば小学生でも簡単にマネることが出来る縦横書き明朝の方が安くつくからだろう。

挙句に「犬神家の一族」がリメイクされ、「地球が静止する日」が公開され、「アルジャーノンに花束を」がTVドラマになったりと便乗商品が大量発生して幻滅したファンも多いことだろう。

その十。旧字体。

第1話ではなく第壱話と表記されることと、WARNNINGと同時に警告の文字。
初見時は和洋折衷な感じがオシャレだった。今から思えば、子供向けではない大人向けのアニメを観ているんだ。みたいな。受け手の自尊心をくすぐる仕掛け。

「サクラ大戦」というアニメも和洋折衷なアニメらしいが、観ていない。その影響ではないかと勝手に思っている。

これだけ書けば充分だろう。とにかく仕掛けが一杯なのだ。漫画は読んでいるのではない。読まされているのだ。といった人がいるが、アニメも観ているのではない。観させられているのだ。

どの仕掛けにハマッたかは、人それぞれだろう。他にも探せばあると思うが第1話と第2話のみに限定してもこんなに見つかってしまうから驚きだ。人気が出るのも当然という他ない。


SPECIAL BOXトップページへ戻る | エヴァンゲリオン特集表紙に戻る | つづきをみる

拍手[0回]


エヴァンゲリオン特集


SPECIAL BOXトップページへ戻る

■TV版初見時の感想

はるか昔。
まだネット配信もない時代。レンタルビデオばかり観ていた私は、「機動警察パトレイバー」にハマっていた。
それも一応観終わった頃、やたらとレンタル中の作品を目にすることになる。どれも第1巻から最終巻までレンタル中の札がつきっぱなし。
そのビデオパッケージは紫色をしていて、アニメにしては異質な感じのする背表紙。
タイトルは「新世紀エヴァンゲリオン」。というものだった。

これといって観たいものがあるでなし、何気に手に取り家に帰って観賞する。なんだかよくわからないが、ロボットアニメのようだ。
所詮ガンダムみたいに小難しい設定テンコ盛りなのだろう。そう思って観ていると、案の定「使徒」だの何だのと、よくわからない名前が連呼される。

「やれやれ、またこういう小難しい設定の作品に人気が出たのか?」
と思って観ていた。しばらくすると主人公らしき人物とその父親が揉めている。どうやら内向的な少年が主人公のようだ。

「愈々ガンダムに似てきたぞ。」
と思ってみていると、包帯だらけの少女が健気にもベットから降りて戦おうとする。それを見た主人公は代わりに主役メカに乗り込む。

「なんだ結構いい奴じゃん。」
と主人公に感情移入。お約束どおりに戦闘が始まった。

「ATフィールド(※1)?なんだそりゃ。ウルトラマンのバリアみたいなものか。」
攻撃が無効化される。主役メカピンチ。
と、ここで第1話は終了。女の子がクルクル回っている映像と共に「Fly me to the moon」が流れ出す。

※1)ATフィールドにバリア以外の意味を知るのはずっと先。

「なんだなんだ、戦闘の決着はどうなったんだ?」
すかさず第2話に突入。オープニングの映像の意味(※2)に初見時、気付く筈もない。戦闘の決着が気になるので尚更だ。

※2)オープニング映像は本編のシーンをいくつか繋げて作られている。ガンダムのように本編と無関係のオープニングを嫌ったのだろう。あるいは作画の手間を省くため、本編にオープニング映像を流用したのかもしれない。

第2話が始まった。すぐに戦闘が始まるかと思っていたら、見知らぬ天井で目覚める主人公。

「どういうこと?」
と観ているこちらを置き去りにして話が進む。(はるか昔の事なので、この後どういった展開だったか覚えていない。)とにもかくにも、なかなか戦闘の決着がわからない。登場人物たちの話をまとめると、どうやら勝ったことだけは確からしい。けれども病院のベッドで眠るほどの怪我をしたようだ。

「しかしこのまま戦闘シーンなしは、あり得ないよな。」
と思っていたら、やっと戦闘が始まった。

主役メカピンチ。活動限界(※3)。なんだそりゃ。バッテリー切れみたいなもんか。うわっ。主役メカ停止。目に光が灯らない(※4)。敵にやられ放題じゃん。

※3)活動限界が第1話からなのか第2話からなのか、そんな細かい事まで記憶にない。
※4)ロボットアニメの表現上の文法。目が光ると起動。目が消えると停止。その文法を鉄人28号の頃から守っているので、いちいち説明は不要なのだ。

主人公気絶。うわっ最悪。絶望する大人達。そこへいきなり咆哮をあげて再起動する主役メカ。反撃開始だ。何暴走?暴走って何だよ。そんなことより、ピンチを悟った敵はすかさずATフィールド。主役メカどうする。素手でATフィールドをこじ開けると。ムムム。なんと強引な。何?ATフィールドを中和。中和って化学の授業じゃあるまいし。グググ。ATフィールドをこじ開けるのに成功。敵ピンチ。主役メカ、パンチの嵐。コアを破壊して戦闘終了。

「こ、こ、これは一体。」
どう評価していいのか。わからなかった。なにしろ使徒、ATフィールド、活動限界という用語の意味もさることながら、暴走する主役メカが意味不明。
観ているうちにわかるだろうと軽視していたのが、そもそもの間違いだった。それ以前に主役メカをメカと認識している時点で間違いなのだが。それがわかるのは、ずっと先。
それでも作画は凄かった。TVアニメでこれは大変だろうなぁとは思っていたけれど。

これが記憶を堀り起こしながら書いたエヴァ初見時の感想だ。


SPECIAL BOXトップページへ戻る | エヴァンゲリオン特集表紙に戻る | つづきをみる

拍手[0回]


エヴァンゲリオン特集


SPECIAL BOXトップページへ戻る

■作品紹介

◆制作年:1995年◆タイトル:新世紀エヴァンゲリオン
◆監督:庵野秀明◆主演:シンジ◆助演:アスカ、レイ、ミサト、リツコ、リョウジ、ゲンドウ
◆コメント:テレビシリーズ
◆制作年:1997年◆タイトル:EVANGELION DEATH AND REBIRTH
◆監督:庵野秀明◆主演:シンジ◆助演:アスカ、レイ、ミサト
◆コメント:初の映画化。この後に公開される作品の予告編的作品。シト新生といった方がしっくりくる方は往年のファン。
◆制作年:1997年◆タイトル:THE END OF EVANGELION
◆監督:庵野秀明◆主演:シンジ◆助演:アスカ、レイ、ミサト、ゲンドウ
◆コメント:一つの終着点。副題は、Air/まごころを君に
◆制作年:2007年◆タイトル:ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:序
◆監督:庵野秀明◆主演:シンジ◆助演:アスカ、レイ、ミサト、ゲンドウ
◆コメント:我々は再び、何を作ろうとしているのか? You are (not) alone.
◆制作年:2009年◆タイトル:ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:破
◆監督:庵野秀明、摩砂雪、鶴巻和哉◆主演:シンジ◆助演:アスカ、レイ、マリ、ミサト、ゲンドウ
◆コメント:新劇場版2作目。You can (not) advance.
◆制作年:2012年◆タイトル:ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:Q
◆監督:摩砂雪、前田真宏、鶴巻和哉◆主演:シンジ◆助演:アスカ、レイ、マリ、ミサト、ゲンドウ
◆コメント:新劇場版3作目。You can (not) redo.同時上映は「巨神兵東京に現わる」劇場版。
◆制作年:2021年◆タイトル:シン・エヴァンゲリオン 新劇場版:||
◆監督:摩砂雪、前田真宏、鶴巻和哉◆主演:シンジ◆助演:アスカ、レイ、マリ、ミサト、ゲンドウ
◆コメント:新劇場版完結編。Thrice upon a time.
俳優、および監督名はインターネット上で調べたものを掲載しています。
主演、助演の区別は独断と偏見で決めさせていただきました。

■あらすじ

西暦2015年。突如として襲来した使徒。
父の召還により第三新東京市にやってきた碇シンジは、 人類の最後の切り札。汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオンに乗り、使徒と戦うのであった。


SPECIAL BOXトップページへ戻る | エヴァンゲリオン特集表紙に戻る | つづきをみる

拍手[0回]